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研修は案の定欠伸を噛み殺さなければ受けていられない、退屈な物だった。内容は終始初歩的な物に留まり、これから新人と言う扱いから抜け出し若手、中堅へと言う現場の中核を担う人材が受講してもなんの発展性もないような事柄がわんさかテキストと共に流れ込んで来た。
研修の午前中を全て座学につぎ込んだ研修もやっとの事で終わりを告げ、昼休みの時間が到来した。そしてそれは僕にとって予想していた最悪の時間の幕開けでもあった。
「午前中、どうでした?」
前の席に座っている河崎が手にコンビニのおにぎりを持ちながら振り返って来た。
自分も既にサンドイッチを買っていたいだけに、何とも言えない感覚に苛まれる。
「別に、どうもこうもないですよ」
僕はサンドイッチを頬張りながら言った。
「正直言ってつまらない」
僕の端的な言葉に河崎も同じように頷いた。
「それ、俺も同じです」
なんとなくムカついた。
「なんかホント改めて何すけど、今更っていのが殆どですよね。もう倉庫業に勤めて三年になる連中を集めてやる事がこれかよって、ホント時間が無駄ですよね」
そういう割には……
思わず口から飛び出しそうになった言葉をサンドイッチと共に呑み込む。
僕は知っている。本当は河崎がこの研修で出て来た用語の半分も知らない事に。僕は知っている。勤めて三年も経つと言うのに河崎がまだ現場を回すレベルにまで力量が足りていない事を。
そして僕は知っている。彼がこの三年間、自分の不足している実力を補う為に、いや転嫁させる為に、様々な物を利用して来た事を。
彼が唯一秀でている事と言えばそれは言い訳と言い逃れ、そして自分に火の子が掛かって来そうになったらそれを察知して逃げると言う能力だけだろう。
それを知っているだけに僕は思ってしまう。
彼は、河崎は一体自分の事をどうおもっているんだろう? と。自分を客観的に見て、自分が情けないと、周囲から可哀相な奴だと思われている事に気づかないのだろうか? そんな風に見られていて屈辱を感じないのだろうか?
可哀相な奴。
僕はつくづくそう思う。自分を守る為に周りに振り向いた嘘はどれも寒々しくて、みんなを落胆させるどころか呆れさせる物ばかりだった。だから誰も何も言わないのだろう。
可哀相だとは思うけど、それだけだ。それ以上の事を感じさせる可哀相ではないのだ。
「それはそうと、星野さん」
何となく嫌な予感がした。河崎がわざとらしい接続詞を使って言ってくる前置きはいつだってずるさの証でもあった。
今から俺大事な事言いますからね。ちゃんと聞いておいて下さいよ。絶対に拒否しないでくださいね。そんな事を無言で言われているような気がして嫌だった。そして今回もまた、彼はその前置きありの予防線張りまくりで僕に聞いてくるのだった。
「今度の日曜日、みんなで遊びに行くみたいじゃないですか」
どうやらこいつの本懐は今日、ここにあったらしい。無駄に遊び好きの河崎がそれをどこで聞いて来たのかは知らないけど、どうやら職場内において個人の情報は無いに等しい物らしい。
「なんか鈴木君の紹介で女の子も何人か来るって。俺聞きましたよ」
誰が何をしゃべったのかは知らないが同僚の間でひそかに行われようとした合コンバーベキューは河崎の登場によって暗雲を渦巻く物となりそうだ。
正直な所二十代後半から、いや、もしかしたら社会人として働き始めてからなのかもしれないけど、やっぱり職場の人間関係はめんどくさいと思っていた。バイトの時とは違う。気まずくなったら辞めればいいという気軽な物じゃない。正社員としてやっていく上で、会社内での立ち位置を気にしながら日々の業務に当たらなければいけないのだ。それは介護においても、倉庫番においても変わりが無かった。世の中に社交辞令と言う言葉があるように、それを真に受けて引き取ってしまう困った存在の物に対して同じように、社交辞令を以ってして返すと言う事がどういう事か、この年になって僕は分かって来たような気がする。
「場所はどこなんですか?」
社交辞令を社交辞令として受け止められない者に対して社交辞令として返す場合、その答えは正に社交辞令とは間逆の物となってしまう。つまり裏の裏は表となってしまうのだ。
「……ウチの倉庫から少し離れた先にある蓬公園です。そこのキャンプ場でやろうと思って」
河崎が破願した。
コイツは本当にずるい奴だな。そして、そんな自分の事を何とも思わないのだろうかと、心底不思議に思いながらその後の研修を受けるのだった。
●
お分かりになってくれただろうか? 僕にとっての河崎とはそういう存在だった。いっつも他人の目ばかりを気にして生きているクセに、肝心なところだけは抜けていて、でも中途半端に自分を守る術は心得ているから、とにかく形勢が悪くなったら逃げる。そしてそんな奴なのに人好きな性格をしてるからみんなと群れたがる。だけど自分から誘う事は出来ない。
断られるのが怖いからだ。拒否されたら、拒絶されたら、首を横に振られたら、そんな臆病風をビュウビュウ吹かせながら、だからこそ外堀を埋めて行くように(それもかなりヘタクソなやり方だけど)約束を取りつけるようにしていく。こうすれば断りにくいだろうとか、ああすれば頷きやすいだろうって、そんなことばっかりを考えているアイツの事が、正直僕は大っきらいだった。
なんでお前にそこまでの事が分かるんだよって意見もあるかもしれないけど、僕にしてみたらそんな意見に意味なんかは無かったし、実際河崎がどう考えていようが関係なかった。
だって僕には実際そう見えてしまうんだから仕方が無い。
僕にとって河崎はそういう人だった。ズルくて、卑怯で、臆病で、そして可哀相な奴。
ホントに、同情する余地もない位可哀相な奴。
そういう認識しか僕には出来なかった。でもだからこそこんなにも印象に残っているのかもしれない。こんなにもアイツの事を考えているのかもしれない。
もう少しアイツの話しを想いだそうと思う。同僚達と飲み会になると決まって出て来る話し。愚痴の中に飛び交った下ひた笑いの一部始終を、振り返ってみようと思う。
●
バーベキューの形を呈して合コンをしようと声を上げたのは今年新卒で入社した毛呂山だった。私大の現役新卒生で、まだ入社して一年も経っていないというのにその可愛がられっぷりは見事に堂に入っている物があり、一種のマスコットキャラ的な立ち位置を獲得している彼が発した案は正に見事としか言いようが無かった。
私大とはいっても所詮は三流の大学だが、そんな三流だからこそ持っている大雑把な交友力に僕達は感謝する事になっていた。
簡単に言ってみれば倉庫業とは男だらけの世界なのだ。額に汗水たらして自分の肉体を酷使するこの現場に女性が似つかわしくないのは重々承知している。もしこの場に女性がいたらきっと誰もが手を差し伸べたくなる気持ちに駆られるのは必然だった。
確かに、実際女性が一人もいないのかと問われればそれはまた真実とは程遠い答えになってしまうのだが、僕にとってあの事務女性パートタイマー達が決して異性を感じさせる物だとは思っていない。というより思えない。既に当の立った女性達がガニ股で、それでもまだ上がりきっていない生理の話しをしている姿を見て頭をブンブンと振る。
僕にとっての女性はまたそれとは違うのだ、と。
毛呂山の発案に倉庫内は歓喜した。日常生活の中で女性と接する事の少ない職場だからこそ生まれる歓喜だった。実際みんな必死なのである。
昨今少子化だの晩婚化だの草食化だの、何かと色々叫ばれている世の中ではあるがそのあおりをもろに受けているのが自分達であるという危機感を覚えている人種達がここにいるのだ。
皆がこぞってバーベキューに参加を表明したのは言うまでもなかった。
もっともそれは、あくまで毛呂山と交流がある奴に限られた話しである事からその他の人間はあらかじめ排除されている訳だ。
当然だろう。いくら人懐っこい毛呂山でも全ての職員と仲がいい訳ではなく、義理がある訳でもないのだ。
と言う訳でひきこもごも、という事になって話しはトントン拍子で進んで言った。誘われなかった奴、誘われた奴、その二者達は互いに互いの暗黙のルールを守ってその日を待ったわけだ。
余計な事すんなよ。
無言で交わされる牽制の嵐に僕自身ひきこもごもな状況だった訳だけども、どうやらその牽制に引っかかってしまったのは他ならぬ、僕だったらしい。
というより僕の感覚としては嵌められた、という感覚が一番近かったのかもしれない。
「……星野さん」
毛呂山の残念そうな顔を見ながら僕は素直に事実を受け入れる事しか出来なかった。
「分かってるよ」
僕としては謝ってるつもりではあるけど、やっぱりどこか憮然とした態度になってしまうのだろう。
「悪かったと思ってるから」
蓬公園には木枯らし一号が吹きすさんでいた。毛呂山が集めた総勢六名の若い女性達が寒そうに腕をさする中、それをうらやましそうに見つめる男達の集団にいたのは七人目の男、河崎だった。
「いやあ、みんな寒いね」
笑顔でそう言う河崎の顔を見ながら、僕も同感を得ていた。
本当だよ、と。バーベキューなんてやる季節じゃねえし。つうかお前なんで来たんだよ。
分かってる。分かってはいるつもりだ。
僕が悪いんだよな?
それは毛呂山や同期の鈴木、田島さん、寺川さんの顔を見れば分かる。
はいはい分かってますよ。
僕はそれぞれ四人、加えて四十五で未婚の独身男、里崎さんに目礼してその場をとりなした。
まだバーベキューは始まっていない。仕切りの毛呂山が声を上げていないから男女に別れてグループが形成されたままだ。三つのバーベキューセットが三途の川みたいに二つの性を隔てている。なんとなくそれが今の、僕達の状況を露わしているようにも見えたけど、なんとなく自分で自分が可哀相になったので辞めることにした。
そんな事よりも……
僕は目の前、肉を隔てたその向こう側にいる女性陣よりも自分と同じ側にいる男性陣を見て思う。
河崎ってホントに嫌われてるんだなあ、と。
誰ひとりとして河崎に喋りかけようともしない異様な雰囲気の中、それでも彼は何事もなくシレッとその場にいる事が出来るのだ。まるで最初から僕も呼ばれていた正規のメンバーですよ、みたいな顔をして。それが他の男達にしてみたら癪に障るのだろう。皆して代わる代わる不快な視線を河崎へと向けて、まるでそれが無意味な事だと気付くとその視線を斬り捨てて、そしてまた見つめて、みたいな事を何度も何度も、みんなして繰り返していた。
まあ、何にせよそれと同時に僕の居心地も最高に悪い事は簡単に想像できるだろう。
正直言って帰りたい気分だった。だけどそんな事をしたら余計自分が反感を買う事は分かっている。だからこそ動く事が出来なかったのかもしれない。
「それじゃあ皆さん、始めましょうか。いつまでも突っ立てったって始まりませんしね」
毛呂山の爽やかさと愛らしさ、男本来が持つ女性を引っ張りたいと言う野心めいた気持ちがハイブリッドされた言葉を以ってして互いの緊張の輪が解けたように、両者は歩を三途の川へと向かわせるのだった。
女性陣の平均年齢は二十三歳位で、上が二十六から下が二十一という、何とも若い人員構成となっていた。それは男達にしてみれば下心が丸出しになってしまうようなお歴々ではあったが、当然結婚という二文字を真剣に考えている、いや、深刻に考えている里崎さんにしてみたら少し残念な構成なのかもしれないが、一般的に考えてみたらそれは嬉しい構成なのだろう。
しかし対照的に女性の観点からしてみれば僕達はどうなのだろう?
考えるまでもない。ハッキリ言って外れだ。自分で言うのも不甲斐ない話しだが、これはどうにも仕方が無いのだ。なにからなにを取ってもいい所が見当たらないのだから仕方が無い。
容姿、収入、家柄、性格。どれをとってもみんなひと癖どころかふた癖程ある連中ばかりだ。こんな連中を相手によく毛呂山もこんな会をセッティングしてくれたなと、彼のその手腕に脱帽するばかりだった。
そして彼もバーベキューの途中から、肉が焼けるにつれて気が付き始めたのだろう。全く会話が弾んでいないと。
毛呂山は慌てて話題を提供した。努めて明るく。
「そういえば星野さん、この前の研修行ったんですよね? どうでした?」
だがそれは正直な所、地雷でしか無かった。
「あ、その研修なら俺も行ったけど」
当然の事ながら意気揚々と手を上げたのは河崎だった。毛呂山が僕の行った研修がどれだけ凄いかを説明している矢先の事だった。(実際の所何一つ凄さを感じられない研修だったが)
「俺も星野さんも同期だからな。加えてそこにいる鈴木と大島さんもそう。ウチの会社のゴールデンエイジって呼ばれてるんだから」
そんな話しは誰一人として聞いていないし呼ばれてもいないのだが、わざとらしい冗談に空気は少し和んでいた。女性陣が微妙な笑いを返す中、毛呂山もこれを突破口にしようと決めたのだろう。
「どうでした? 研修」
「大した事無かったかな」
何故か河崎が言うと腹が立つ、彼にしか出せない味がそこにはあった。
「なんか言いたい事は確かに分かるんだけど、でも結局上から押し付けられたマニュアルでしか無いって感じ。やっぱり現場は流動的な物だからな。それを上からああやって抑えつけられるようにして講釈を垂れられても困るわな」
河崎の言葉にどことなくふに落ちない感覚を覚えているような顔をしている毛呂山だったが、対照的に女性陣の毛呂山を見る目は少し変わったようだった。簡単に言えば仕事が出来る男に見えて来たのだろう。だけど僕は知っている。いや、この場にいる全ての男達は知っている。
お前、ホントにその流動的な現場とやらで一人前に働く事が出来ているのか、と。そして付け加えるなら、その小馬鹿にしたマニュアルとやらをお前は本当に理解できているのか、と言ってやりたかった。それはみんな同じだろう。毎日のように現場の足を引っ張りながらその原因を様々な物の理由にして逃げている彼の姿を見ればそれは当然の感情だった。後輩の毛呂山だって気付いている事である。だけどこの場でそんな事をわざわざ言ったって栓無い話しだと言う事も分かってる。だから河崎のテンションの高さとは裏腹に、みんなが沈黙しながら肉を取る作業に勤しんでしまったのは仕方の無い事だった。
「いや、確かに初心忘れれるべからずって言うからさ、大事な研修ではあったんだよ。ああいう研修をする事によって仕事についていけてない、能力不足の連中を底上げする事が出来るんだったらそれはそれで良い事だろ?」
むかつくなあ。
正直な所、僕は相当ムカついていた。いつも迷惑をかけられているのはこっち側のはずなのに、何故そこまで強気な発言をする事が出来るのかが分からない。そしてあまつさえ、自分の仕事の能力を棚にあげた上で、何故他人を揶揄する事が出来るのだろうか? 僕には分からない。河崎が一体何を考えているのか、いや、本来だったら他の人間だって考えている事なんか分からないのだ。他人の考えなんて分かるはずが無い。でも河崎のはもっと分からない。飛びぬけて分からないのだ。だから不思議で、ムカついた。心がささくれ立った。
「でもぶっちゃけさ、ホントの事言うとそういう社員とはあんまり一緒に仕事したくないよね。迷惑するのはこっちだもん」
笑い話のつもりで言ったのか、全然受けていない女性陣を尻目に一人笑っていた。もはや毛呂山の先導なんかない。きっかけさえつかめればそんな事は関係ないとばかりに自分のペースに持って行こうとする河崎。男性陣に誰ひとり話しを振る事無く、女性陣目がけてのみ言葉を消費し続ける彼の行動に彼女達も少しずつ違和感、いや、不快感を覚え始めていたのだろう。そんなちょっとした空気の違和感にコンマ数秒遅れて気がついたのか、河崎は急にスピンしてしまった乗用車のハンドルを毛呂山に渡すみたいに放棄してしまった。
「でも毛呂山も分かるだろ?」
自分ではどうする事も出来ない。恐ろしいまでの対処能力の低さと、自分で産んだ空気のバツの悪さに責任を取る事が出来ない、甘んじてその雰囲気を受け止める事の出来ない彼の弱さが出た瞬間だった。そしてそれを他人に転嫁する事によって彼は自分のずるさを発揮する。
「お前だって結構他の先輩に迷惑かけてんだからしっかりやるんだぞ」
だけどそれは河崎にとっての地雷ともなった。
「いい加減にしろよ」
突然声を上げたのは里崎さんだった。片手には紙コップに注がれたビールを持っていて、顔が赤い。どうやら軽く酔っているようだ。
「お前、よくそんな事が言えたもんだな」
どうやら里崎さんは今回の合コンに希望を見いだせなかったらしい。そもそも若干堅物の入っている里崎さんには女の子達がきゃぴきゃぴし過ぎているし、河崎の話しを黙って聴いている女なんて、と、理不尽な怒りに駆られてしまったのだろう。おまけに普段こんな会に参加しないだけに意気込んできた結果がこれだ。
「お前は最低の野郎だ」
目を座らせながら放ったその一言はいきなり強烈だった。
「河崎、お前、自分で気付いてるのかどうか知らないけどな、これだけは言っといてやる。いいか? これは俺の親切心なんだから良く耳をかっぽじって聞いておけ」
突然キレ始めたオヤジに女性陣がざわつく。当然僕も含めた男性陣はまあまあと言いながら里崎さんをなんとなくとりなそうとするのだったけど、どうやらなんとなくではだめだったらしい。里崎さんは酔っ払ってはいるけど、確かな怒りを里崎へと向けていた。決して何となくでは無い。確実な怒りだった。
「お前はずるいんだよ」
ビールをまた一口呷って、大きく息を吐きながら言った。
「仕事を見てりゃ分かる。いいか? 仕事って言うのは最も人間性が垣間見える部分なんだよ。最近の若い奴は仕事とプライベートは別みたいな事言ってやがるけど、そうじゃねえんだよ。仕事とプライベートは別じゃねえんだ。切っても切り離せねえんだよ」
何だか話しが訳のわからない方向へとスライドしそうになっていたが、寸での所で押しとどめる。
「仕事って言うのは人生そのものなんだよ。他人の責任を被ったり、逆にかぶせたり、同僚の為に一つだけでも多くの事をしてやったり、上司にごますって周りから後ろ指さされたりよ、殆どが人生そのものなんだ。そいつの生きざまがそのまんま出るんだよ。それが仕事なんだ。それをプライベートがどうとか、笑わせるなってんだ。お前等はみんなプライベートをひけらかしながら仕事してるような物なんだよ。仕事って言うのは人間性を持ってやる物なんだ。そんなにプライベートが大事ならなにも考えないロボットにでもなっとけ」
「あの……里崎さん」
河崎は若干気押されながらも、それでも訳のわからない事を言っている先輩に対して冷静さを保っている後輩像を崩さず対応している。対応しているつもりだ。そしてそれを周囲に見せつけようともしている。もしかしたら僕が穿った見方をし過ぎているのかもしれないけど、しょうがない。それが河崎の可哀相な由縁の一つでもあるのだから。
「俺、さっきから里崎さんが何を言ってるのか全然わからないんですけど」
いつも思う。河崎はポーズばかりを気にしているんだと。でも肝心な何かがついてきていない。だから思われて、言われてしまうのだろう。
「だからお前はずるいんだよ」
里崎さんは青汁を呑むかのように渋い顔をしてビールを呷り、続けた。
「お前はきっと今までの人生の中で、何一つ自分で決めて来なかったんだろうな」
里崎さんは簡単に言いきってしまった。
「仕事って言うのはな、選択と決断の連続なんだよ。どんな些細な事だってそうだ。タイムカードを切って倉庫に出て、周囲の状況を見てどこから仕事に取り掛かるか、いや、右足と左足、どっちから足を出すかさえ選択と決断なんだよ。お前はそれをいつも人にまかせっきりだ。物品の搬入が遅れている時、通常のタイムテーブルじゃ回らないから休憩の時間をずらしたり人員を確保する為に隣りのヤードに連絡を入れたり、それをする為に考えるのが選択で、決めるのが決断だ。そして自分で決めた決断のもと、もしそれが裏目に出てしまっても、それを受け入れるのが責任だ。責めを負う事、任される事を責任っていうんだ。だけどお前はそれをしない。ごちゃごちゃ言い訳ばっかりを並べて、選択肢だけ他の奴らに提示して一切自分で決めようとしない。こっちから決断を求めてもお前はそれをかわすし、あまつさえ決断したとしてもそれさえ自分の責任と認めない。だれだれさんの事を思ってとか、こうした方がみんなの負担が軽くなるんじゃないかとか、他人に責任を転嫁する事しか言わない。そんなお前の勤務態度を見てれば自ずとその生き方も見えてきて当然だろう?」
皆が黙りこくる中、肉が焼ける音がジュージューと響く。
「俺はお前が嫌いだ。自分の事を自分で決められない、ずるくて卑怯な奴は好きになれない。本来だったら一緒に仕事なんかしたくない。それでも仕事だから、その一点の理由だけでお前と付き合ってるんだ。それをこんな所でお前の為に台無しにされたら、それこそバカらしいじゃないか。だから俺は決めたよ。もう帰る。気まずい空気にさせた事は謝るさ。悪かった。でも俺はお前とは違う。俺は自分で決めて今ここにいるんだ。そして喋っている。このバーベキューの場に相応しくない最悪の空気を作りあげてな。全部自分で決めたんだ。俺自身がな。選択と決断だ。分かるだろう? ずるくて卑怯なお前なら分かるだろう? 傍から見れば一番おかしいのは俺だ。空気をぶち壊して、せせら笑いながら帰るんだからな。これだから酔っ払いは、なんて思っているのかもしれないな。でも俺はお前にだけは言われたくない。自分の口で自分の意思を伝えることすらできないお前に何かを言われる筋合いなんかない。俺は俺だ。皆そうだ。自分は自分なんだよ。じゃあお前は誰だ? 河崎、お前は誰なんだよ?」
里崎さんは河崎を睨むようにして叫んだ。河崎はどうしていいのか分からないようで挙動不審に目をきょろきょろさせていた。
「何か言いたい事があるなら言えよ」
挙動不審な河崎に、里崎さんは語気を強めた。
「言えよ!」
冷たい空気が充満する公園の中で、大きな声が響いた。冬の乾燥した空気は澄んでいて、よく音を通らせた。
河崎は目を右往左往させながら口もあたふたさせていた。顔面が大忙しで、まるで年末年始の大掃除を思わせるかのような表情をしていた河崎はこう切り出した。
「……何言ってるんですか?」
河崎は目を瞬かせながら言う。
「いきなり怒鳴り散らしてなに訳の分からない事を……ていうかちょっと落ちつきましょう――」
「逃げるんじゃねえよ」
里崎さんは河崎を逃がさなかった。もはや周囲にいる女性陣、同僚等関係ない。河崎の事しか見えていないようだ。
「ちゃんと答えろ」
里崎さんの眼光に射竦められたように、河崎は背筋を伸ばしていた。だがその口から出て来た事は伸ばした背筋とは対照的な、緩く歪んだ物でしか無かった。
「俺だってなにも好きでやってる訳じゃないですよ。ただ状況的にそういう事が多いってだけで、決めるべき時は決めてますし、ミスした時はちゃんと認めてます。この前だって毛呂山がミスった時――」
「もういい」
「え?」
きょとんとする河崎を尻目に、里崎さんは紙コップに入ったビールを全て飲み干し、河崎から視線を外すとこう吐いてその場を後にしてしまった。
「お前は何一つ自分の言葉を持ち合わせてないんだって事が分かったから、もういいって言ったんだ」
それが最後の言葉だった。里崎さんは最期の最期まで好きな事を言って、最期に周りのメンバーに詫びを入れて、女性陣にも深々と頭を下げて、毛呂山にはさらに深く礼をして、その場からいなくなってしまった。
残された僕達がその後、自然消滅的に解散に至ったのは当然の流れだろう。誰もが声を発する事無く片付けに入っていた。ただ河崎を除いて。
里崎さんが帰った後、河崎は一人、少しおどけながら愚痴り続けていた。
なんだよ、好きかって事言って結局この場の空気悪くしたのあの人じゃねえかよ。なんか良く分かんねえけどああいうTP〇をわきまえないオヤジにはなりたくねえよな。
河崎の愚痴が公園内でひたすら木霊し、なんとなく里崎さんの言っていた事を思い出すのだった。
責めを全うし、負う事が出来る事が責任。
ただその言葉だけが、フワフワと浮いている河崎へと向けられ、投射されていた。




