手旗信号
「まずはこれを見てほしい」
そう言って、彼は一枚の写真を差し出した。
広い、片道二車線の幹線道路。――日中に写したものだった。道路の両脇にはファミリーレストラン、ホームセンターなどが並んでいるのが見て取れる。車の数は写真に写っているだけで、六台。……何の変哲もない、ただの道路を写した写真だ。
「これがどうしたっていうんだ?」
俺は彼に問いかける。
「ここを見てくれ」
彼の指した部分を、改めてよく見た。
それは、道路の先にある交差点だった。
――よく見ると、そこには親子が写っていた。ピンボケしていて表情までは伺えないが、母親と娘のようだ。娘は、十二、三歳といったくらいの背丈だろうか。母親の右斜め前に立っている。
それも至って普通の光景のように思えたが、唯一不思議に思えることがあった。――親子揃って、右腕を上に。左腕を左に。ピンと伸ばしているのである。
「……何してんだ? これは」
「おそらく、手旗信号だろう」
……なるほど。確かにそう言われると、そう見えなくもない。ただ……。
「……これが……幽霊だってのか?」
「ああ。そうだ」
彼は、平然と言った。
……友人が「心霊写真を見せてやる」というので来てみたら、なんともリアクションのとりにくいものを見せられてしまった。
「……じゃあ、何か伝えたいことがあるから、手旗信号してるってわけか?」
「……そこまではわからない。ただな……」
彼は、乗り出すように顔を突き出して、
「この話はまだこれで終わりじゃない」
真剣な顔で、そう言った。
「この交差点は、事故が多発する場所なんだ。こんなに、見晴らしのいい交差点なのに、だ。そしてその理由は、この親子の霊。夜でも昼でも関係なく、ここに立っている。……特徴としては、歩いてる人には見えない、ってことだ。車に乗っている人にしか見えない。――俺の大学の先輩で、実際にここで霊を見て、事故を起こした人がいる。話を聞いたんだが、なんでも親子が立っていて、二人綺麗に揃った手旗信号をしてるって言うんだ。こう……バッ、バッ、とな。それに見入ってしまって、事故を起こしてしまったらしい。……車は大破。先輩は命に別条はなかったが、三箇所も骨折した。……これも見てくれ」
彼はスマートフォンを取り出すと、少しの間操作して、画面を俺に突き出した。
それは、“Google ストリートビュー”。インターネット関連会社であるGoogle社の提供するWebサービスであり、ネット上で全国の道路のパノラマ写真が見られるというものである。
――見ると、それは先ほどの交差点を撮ったものだった。
写真には、親子が写っている。二人揃って、右腕を上に。左腕は、降ろしていた。
「……Google ストリートビューって、カメラ乗せた車で全国走って、撮ってるんだよな」
……まさか、ネット上で同じ親子を――幽霊を見ることができるとは。俺は、驚きで返事ができなかった。
「よし。行くぞ」
彼は、立ち上がった。
「……まさか……」
「その交差点だ。ここから二十分くらいのところにある」
……そんなの、聞いてない。
展開が早すぎて、ついていけないんだが……。
*
お目当ての場所には、思っていたよりも早く着きそうだった。
平日の、それも昼間だ。交通量は、休日などに比べたら少ない方だろう。
隣には、車を運転する友人。俺の膝の上には……手旗信号の五十音表。
『俺が見ちまったら、事故を起こしちまう。お前が見てくれ』
そう言って、渡されたものだった。
「もう着くぞ」
彼が、そう言った。
見覚えのあるファミリーレストラン、ホームセンター……。先ほどの、写真で見た風景だ。
この先に……。だんだんと、緊張してきた。
「……ッ‼︎ いるぞっ!」
彼が言った。見ると……確かに、交差点のところには親子が立っている。母親が後ろに立ち、前には娘が。もうハッキリと見える距離にいるのに、表情はピントが合わないようにぼやけている。そして――。
一心不乱に。手旗信号をしていた。
――頭上で腕をクロスするように挙げ……
――右腕を上に。左腕を左に。……そして気を付けの姿勢。
――右腕を右に。左腕を右斜め下に。
――右腕を上に。左下は降ろす。――ストリートビューで見た形だ。
――右腕を右に。左腕を左に。……気を付け。
この一連の動きを、繰り返し行っていた。……親子、綺麗に揃っている。
「なぁ。なんと言っている」
「ちょっと待ってくれ……」
車は交差点の前で止まった。……すぐ斜め前に、親子が立っている。
俺は急に恐怖に襲われ、もうそちらを見れないでいた。五十音表の上に視線を走らせ、親子の伝えようとしている言葉を探す――。
――そして、知った。
(……‼︎ これは……!)
「なんて言ってるんだ!」
「……」
――彼の言葉に、俺は返事ができなかった。
その言葉を――口にしたくなかった。
車が走りだし、俺は咄嗟に振り返った。
――そこには、もう何もいなかった。