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翳りの先

作者: 不埒者

眼が覚めた。眼鏡を手に取り、時計に焦点を合わせる。時計の針は午後の二時半を示している。

床を出、布団を押入れにしまった。しめてここまで十五分。朝だからか全体的に動作が遅い。

カーテンを開くと、朝日が部屋にさした。いや、朝日ではないか。もう昼過ぎだしな。

一輪の蓮華を持って席を立った。戸棚の中からマッチと煙草を持ち、玄関へと歩みを進める。

結構前、切り花にしようと思い庭から摘み取ってきたものだ。が、結局使われることは無く、冬の乾燥した環境に長い間置かれ、花弁はぱりぱりになっている。手入れをしていたおかげで、状態は極めて良好だった。

靴(と言っても手持ちは下駄しか無いが)をはいた。そして、ドアノブに手を掛けてゆっくりとまわし、少し力をこめて押し込んだ。と、言うのも、外から来る風の圧が、思ったより強かったのだ。その証拠に、少し開いたときに、隙間から風がぴゅーぴゅーと音を立てて入り込んできている。

しかし、力を加えてしまえばこちらのもの。少し開いてからは割りと簡単に開いた。よし、これで外に出られる。

玄関の敷居を跨ぎ外に出た。

左の方で、からからと使い古された木桶が、小気味よい音を立てて転がっている。あとで立たせておこう。

敷地を出てすぐ左に進み、そのまままっすぐ4町ほど進むと公園がある。

途中で茶屋もある。どうせ一年に一度しかないのだ。たまにはいいだろう。

下駄の鼻緒に親指と人差し指の間が食い込む感触が、酷く懐かしく感じた。最後に足に靴と呼べる物をはいたのは、三月ほど前の、弟の結婚式が最後だったように思う。

普段足袋で済ませてしまっている自分に、洋物の革靴は少々堅苦しく感じていた。やはり俺にとっての「靴」は下駄だ。世間一般での靴は、その機能を果たせない。洋物の革靴は俺には合わない。

砂利がじゃりじゃりと音を立てて弾ける。舞い上がった煙は、自分を通り抜け、後ろへと流れていった。

茶屋でみたらしだんごを4つ買った。笹の葉に包まれている。笹の香りが鼻腔を擽った。久しく嗅ぐことのなかった香りだった。ここに越して来てから、もう一年になる。越してきてすぐに、家族は俺を残し発っていった。交通事故。俺は仕事で出掛けていた。どうして、皆と一緒に行かなかったのだろうか。そんな思いばかりが自分の中をまわり続けていた。

しかし、時間の流れとは残酷なのか慈悲なのか。仕事の忙しさもあいまって、次第にそれが頭の中をめぐる事は少なくなっていった。

 

 小さい頃におふくろを病でなくして以来、親父は大工仕事に充てる時間を増やしていた。残された俺を養うため。暫く、自分で食事を作る日々が続いた。少しさびしかったけれど、幸せだった。そう言えた。

しかし、そんな日々は長く続かなかった。元々父親は体が強くなかったのだ。仕事に従事する時間が短かったのも、それを配慮しておふくろが止めていた為だったのだ。

そんな身体に長期間今までになかった負担が加われば、どうなるか位安易に想像がつく。

死因は、転落死。日ごろの疲れの皺寄せが来たのだ。高所での作業中に……。

結局俺は養子として、新しい家族に迎え入れられた。悲しいこともあったけれど、そこでの生活は楽しく、過去の辛い思い出を思い出すことは、なくなっていた。

引き取られてから三年、アパートで暮らしていたが、お金がたまり、ついに家を買うところまでこぎ着けた。

引っ越しをして、全てが上手くいく。これから新たに始まる。そう思っていた矢先の事だった。あの事故は……。それが、一年前の事。

2度目は、辛いというものではなかった。自分で自分を殺めようとしたことが何度あったか。もう数も覚えていない。

それでも尚今日こうして生きていられるのは、周囲の人々のおかげだ。

親戚や近所だった人達の励まし、援助。あれが無ければ俺はもうこの世に居なかっただろう。

これからも俺は、あの人たちに感謝し続けるだろう。


 公園に着いた。今までの事を思い出し、目尻が少し湿っている事に気付いた。

ああ、柄じゃないな。

最初のおふくろと親父の遺骨は神社に。二番目の家族の遺骨は寺院に、それぞれ納骨されている。

それでも尚、この公園に来たのは理由がある。

それはここが、生まれてからずっと行き続けた場所だったからだ。

最初の両親が死んで、二番目の家族も死んだ。

どちらの親に遊んでもらったときにも、遊び場は変わることなく、いつも「ここ」だった。


持ってきた煙草を口にくわえ、マッチを擦って煙草の先にともした。

息を吐くと、白い煙は、ゆらゆらと揺れてすーっと消えていった。

蓮華を取り出す。さっきと同じようにマッチを擦り、今度は花弁にともした。煤を出しながら燃える。煤によって出来た柱は、時節風に揺れながら、まっすぐと空に伸びていった。


「笑う角には福来る」

そういえば皆、心の底から笑っていたような気がする。白い煙に巻かれながら、そんな事をふと思い出した。

俺もそうしよう。今までの災厄は、過去。もう過ぎ去ってしまった物だ。だが、未だにそれを引きずっているのも事実だ。

だからと言って、悲しくしていて、何か良いことがあるわけでもない。

ならばせめて、みんなに報告しなければ。


自分はみんなの分まで、こうして生きています、と。

胸を晴れるように。


精一杯の笑顔で、空へと微笑んだ。






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