第10話 知恵
なにか食べられる野草を探す、フリをする。
ミコトは感覚を研ぎ澄まし、ビノダロスが現れるのを待った。
「アラシ、このキノコ食べれるかな?」
手綱を引いているアラシに時折声をかけ、ビノダロスに存在をアピールする。
「グォ、グォ、」
アラシも気が立っているようだ。
首元を軽く叩き、落ち着かせる。
「ガサッ」
遠くで鳴るビノダロスの足音を聞き逃さなかった。
――来た。
ミコトは地面を力強く蹴りアラシに乗った。
走り出す。
「アラシ、ビノダロスが見失わない速さで--」
後方、振り返ると大きな黒い影のような物体が迫ってきているのが見える。
速い。さっきの足音の距離を考えても、異常な速さだ。
「いけ!」
アラシが鼻を鳴らしスピードに乗る。
(大丈夫。ここまでは想定内だ。)
ミコトが言い聞かせる。
むしろ速い動きがこの後の成功率を高める。
ビノダロスは速度を上げている。人間があれほど速く走れるものなのかと、ミコトはおののいた。
外見と裏腹にビノダロスの足音は軽快で、獣が森を駆けるようだ。
幸いアラシはまだ余力を残している。
もうすぐ集合地点となる。
加速を緩め、ビノダロスとの距離を縮める。
事前に枝に吊るしたロープを掴み取る。
ビノダロスの足音は目と鼻の先だ。
眼前に、断崖絶壁の景色が広がる。
――飛べ!
願いを込めた渾身の風。
ロープの先に結ばれた凧が風を受けて舞い上がる。
ミコトはアラシの背から跳び上がった。
アラシは目の前に現れた険しい崖を難なく駆け下りていく。
そして――ビノダロスが、ミコトの下に長く垂れ下がる凧のロープを掴んだ。
「よし!」
空中で二人がロープにしがみついている。
ミコトがエンケルの輪をロープに伝わせ落とす。
エンケルはビノダロスの手首に巻き付き、固く結ばれる。
「んん。」
ビノダロスのうなり声。空いた片手でエンケルが千切られる。
重みを感じながら、ミコトは無我夢中で風を起こし続けた。
崖下から、光が反射している。
無数の竹とんぼの羽が刃のように光を放っている。
リオストスが光魔術を施した竹とんぼ。
鋭い輝きがビノダロスを本当に切り刻みそうだった。
森の中を風の如く走るムサシナタスが竹とんぼを操る。
刃の群れが迫るなか、ビノダロスがミコトを見上げた。
「終わりか?」
ロープから手を離し、ビノダロスは乱反射する竹とんぼのなかに落ちていった。
――かかった。
「ムサシ!」
ミコトの叫びを聞き、ムサシが竹とんぼめがけて玉を投げつけた。
ビノダロスを濃い煙が包む。
しっかりと着地したビノダロスの周りに次々と煙玉を転がしていく。
「眠りなさい。」
リオストスが少し離れたところで、アラシに乗り呟く。
ムサシが、風をまとめ上げる。
煙と竹とんぼが渦を巻き、ビノダロスを覆った。
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ムサシとリオストスが目を凝らす。
「眠り煙...」
ビノダロスらしき影が呟く。
「効いてない。」
ムサシが剣を構えた先に、煙をまとった黒ずくめの大男が立っている。
生け捕りは不可能だと、ムサシは悟った。
殺しちゃだめだ、と言うミコトの声を頭から消去した。
ビノダロスの初動と同時に喉元への斬撃。
かわしたビノダロスの兜が落ちる、より速く背後をとる。
脊髄を狙った刃がマントを裂き、装甲をひっかく。
速い。そして、硬い。
刃を滑らせるだけでは斬れない。それならば。
ムサシは足を開き腰を落とす。
どこからか迷い込んだ風が、残った煙をけちらした。
ビノダロスが懐から小さな斧を取り出す。
わずかに笑っているようだった。
「ふっ。」
ムサシは息を吐き、ビノダロスに肉薄した。
流れる刃は次の動き全てに繋がる。
乱気流に巻き込まれたビノダロスは全方位に揺れていた。
ただ剣と斧がぶつかる音は動きに反して少なく、小気味いい。
ビノダロスはムサシの攻撃のほとんどをかわす。
武器を打ち合わせるとムサシの軸がわずかにブレた。
しかし立て直し、ほとんど見当たらぬ隙を次々に狙う。
剣がビノダロスの隙にたどり着く前に、その隙は姿を消す。
凄まじい連撃が容易く打ち消されているがムサシは攻撃の手を緩めなかった。
「ムサシ!」
「グォォン」
リオストスが叫ぶ。
ムサシが斧の柄で横腹を突かれ飛ばされる。
「ああ!」
背後からミコトの斬撃。
「みこ...!」
ビノダロスが声を発する。
ムサシですら敵わぬ相手だということは、ミコトもわかっていた。
ビノダロスは斧一振りでミコトの剣をはね飛ばし、目標に手を伸ばす。
「むっ。」
リオストスが日光を強く反射させ、ビノダロスの視界を奪う。
――ザッッ
そのときムサシの一閃がビノダロスを捉えた。
風が剣と共に舞う。
ビノダロスは、瞬間的に身をよじり負傷を回避していた。
胸の装甲が二つに裂けた。それだけだった。
斧がムサシの脳天に振り下ろされる。
躍り出たミコトの額からあごの先に、血が流れる。
すんでのところで斧は止められたが、ミコトの頭が前に出た。
ビノダロスの鎧から、真っ二つになった写真が滑り落ちたのをミコトは見ていた。
少女の写真だった。
「ビノダロス。」
ミコトの言葉に応えるように、強く柔らかい風が三人を包む。
まばゆい風が瞳に反射し、向かい合う者の顔を照らした。
ミコトの胸に、ムサシの痛みが降り注ぐ。
ムサシはミコトの背中ごし、ビノダロスの顔のシワの影を見つめた。
風が通り過ぎるまでのしばらくの間、三人は動けずにいた。
「...」
「風が吹けば...」
ビノダロスが声を出すとミコトは我に返った。
「オッケーや。」
ビノダロスの言葉の意味を考える前に、ムサシの方を振り返る。
「ムサシ!」
リオストスも駆け寄る。
「...なんだ。諦めたか。逃げろよ...」
意識がはっきりしていないようだ。
「ドサッ」
ミコトがムサシの上に頭から倒れる。
「この男たち...」
リオストスが呆れて呟く。
「!」
ビノダロスの大きな手が二人に伸び、リオストスはびくっと身を震わせた。
「連れて帰るのね...」
二人をひょいと両肩に担ぐ。
「ああ。こいつら、やりすぎじゃ。」
リオストスは歩き出すビノダロスを追いかける。
「私も、同行します。手当をしなくては。」
「もちろんだ。あの煙玉は強烈じゃった。」
自分が作ったことを悟られていないとリオストスは思っていた。
「逃げないんだな。」
「...」
行き場所があれば、逃げたかもしれない。
「王都まで、かなり遠いです。どこまで行くんですか?」
「わしの家じゃ。」
リオストスはアラシを連れ、ビノダロスの後を歩いた。




