幸せ眼鏡
美佳は仕事の帰り道、次の仕事をどうしようか悩んでいた。もうすぐ派遣仕事の更新時期だ。できればあまり派遣先は変えたくない。でも今の派遣先はひどすぎる。次から次へと用を言いつけ、たとえ一分でも空きがあると、もったいないとでも言いたそうだ。ややこしい先輩派遣社員もいる。
周りの人が全部幸せに見える。そりゃあ、個別に見ればいろいろあるんだろうけど、みんなきれいな服を着てお友達や家族と一緒に歩いているし。
駅近くでは全員が眼鏡をかけた若い女の子や男の子がはじけるような笑顔で何かを配っている。
「ちっ」
思わず舌打ちしてしまった。
そのときだ。若い女の子が近づいてきて、配っているモノを私に手渡した。
「どうぞ、幸せ眼鏡です」
「幸せ眼鏡?」
周りが細い黒の柄の眼鏡だ。
「私、コンタクトレンズ入れているんで眼鏡はかけませんから」
「いえ、これは視力矯正用ではありません。何でも良いように見える眼鏡です」
「そんな眼鏡あるはずないでしょ」
「いえ。私はものすごく内気でこんなアルバイトとてもできないと思っていたのですが、この眼鏡をかけると急に前向きになってできるようになったんです。お姉さんもぜひ、効果を体験してみてください」
「私、眼鏡は買う予定はないので……」
「今キャンペーン中でお試し商品を無料でお渡ししてます。お試し期間は三ヶ月です。それを過ぎると効果はなくなりますので、そのままご使用になる場合は、料金を支払ってください」
「でも、どうやって」
「詳しくはそのパンフレットに記入してあります。ではよろしく」
無理やり私の手に握らせてその女性は去って行った。
何が幸せ眼鏡だ。そんなんで何でも良くなるなら、みんなこの眼鏡をしたらいいんだ。そうしたら戦争している国とかもなくなるんじゃないか。
「ふん」
両手で眼鏡を持ち上げてみた。
春めいた青空の一角が小さく切り取られていた。つい先ほどまで仕事をしていたビルが青空の中にきりっと立っている。
「あれ、私ってあんなきれいなビルでお仕事していたっけ」
今まで、仕事場を客観的に観たことがなかったけど、そのきれいさに初めて気がついた。
「ふうーん」
どうせ別の派遣先を紹介されたところで、ややこしい社員がいないと言うわけではないし、それに嫌な人はほんの一握りで他の人は可もなく不可もなくという人たちだし。と、なるともう更新手続きしてしまおうか。
「これって、さっきの眼鏡効果?」
わからないけど、決断できたのはいいことだ。どんな小さなことでも迷っているうちは次のステップに進めないが、決めると次に進むことができる。
家に帰って説明書をよく読んでみた。
どうやら眼鏡の一部から目には見えない電波が出ているらしい。三ヶ月経つと自動でその電波が切れるので、更新のためには三万円を払わないといけないらしい。
まあとりあえず、使ってみるか。
翌日からその眼鏡をしていった。ついでに派遣先に更新の手続きをしに行った。
仕事場でも派遣先でも、急に眼鏡をしてきたので驚かれたけど、頭が良さそうに見えると好評だった。
私は、眼鏡をかけたおかげで、ちょっと今までとは違う自分になったような気がした。
本来は、うじうじと後悔する性格なのだが、切れ者の女性のように、過ぎたことは過ぎたことで、さっぱり忘れることにした。(実は忘れてはいないのだけど、忘れたことにして考えないようにした。)
私に眼鏡を渡してくれた女の子のように、これを機会に、今までとは違う自分を演じてみようと思った。だって本来の私はこの眼鏡の奥で守られているから、多少冒険しても大丈夫。
嫌な先輩にも、明るく挨拶するようにした、お芝居だけどね。帰り道に気になっていたイケメンのいるイタリアンレストランにも行ってみた。ちょっとお財布的には痛かったけど、無理な範囲ではないことがわかってラッキーだった。
そうこうしているうちに一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎた。自分でも驚いたのだが、周りの状況がかなり変わってきていた。
ややこしい先輩派遣社員は、あまり嫌みを言わなくなったし、イケメンレストランでは、その店員さんと普通にお話ができるようになった。ただ彼は妻帯者だったので、彼女になるのは無理だったけど、今度、彼女のいない男性を紹介してあげると言われた。
相変わらず給料は安かったので、日曜日のバイトも始めた。引っ越しの手伝いのバイトはキツかったけど、できるときにすればいいので気が楽でお小遣いにはなった。
ついに三ヶ月の期限が来た。更新をどうしようかと説明書をよく見ると、毎年更新三万円、または、眼鏡が壊れない限りずっと費用がいらないコース七万円とある。
どうしようか悩んだが、この眼鏡をかけてから自分が明るい方に変わったので、更新はするつもりだった。私は物持ちがいいので七万円コースにした。で、説明書に書かれている口座に七万円を振り込んだ。七万円をこんなことにぽんと出せる自分を褒めてあげたい気分だ。また明日からもずっとこの効果が続くのだ。
一年後、私は派遣先で社員にならないかと言われ、社員になった。レストランのお友達が紹介してくれた最初の人とはうまくいかなかったけど、懲りずにまた紹介してもらって、今はその人と良い関係を保っている。半年以内には結婚する予定。だっておなかに赤ちゃんができたから。
この眼鏡のおかげで私は本当に幸せらしきモノをつかんだ。これからもこの調子でずっとがんばるつもり。
仕事と彼に浮かれている美佳は最近の新聞は全然見なかったが、新聞の片隅に詐欺集団が捕まった小さな記事があった。
何の変哲もない安価な眼鏡を『幸せ眼鏡』と言って高く売っていた容疑だった。
彼らは、偽薬と仮面効果からこれは売れると思いついたらしい。実際かなり売れたそうだ。
でも美佳をはじめ多くの人は、本当にこれで今までの自分よりも幸福になったそうだ。美佳はたぶん知らないままで、ずっと眼鏡の効果が持続することだろう。
がんばれ、美佳。
小説家になろう、に初めて投稿します。これからよろしくお願いします。




