第80話 女王陛下と黒き獅子の従者
高窓から差す陽光に、金のレースと赤い絨毯がきらめいていた。
シーランド女王のいる、エルムハースト宮の謁見室。
左右に控える近衛たちは一言も発さず、空気は張りつめたまま。
その中心に、女王が立っていた。
エルセラ・フォン・シーランド。
かつて旅の中で笑っていたあの少女は、今や王冠を戴き、シーランド全土を統べる者となっていた。
背筋は伸び、纏う外套は深紅。
けれど瞳の奥に宿る『焔』は、あの頃と、何も変わっていなかった。
扉が開く。
そこに現れたのは、黒髪の青年。
また背が伸びて、肩の線も大人びていたが、どこか迷子の猫のような雰囲気を残している。
(ウサマってば、相変わらず大きな黒猫みたいね)
赤い絨毯の上を歩いてくる彼を見て、エルセラは思わず、微笑みそうになるのをこらえた。
けれど女王として、凛と声を響かせる。
「ウサマ。――我が命により、聖地より召喚した者」
ウサマは軽く片膝をついて頭を垂れた。
でもすぐに、口元をわずかに上げて小さく言う。
「女王陛下から、直々に……呼出されるようなこと、俺したかな……?」
その言葉に、謁見室の緊張が一瞬ほどけた。
エルセラも口角を上げ、少しだけ肩の力を抜く。
「……あなたにしか頼めないことがあって呼んだの。わたしは、わたしの選んだ王の形を、この国に残す。でもそれには、もうひとつの血の理解が要る。だから、あなたの力が、要るのよ」
(その為に、公式の場にしたんだから)
周りが少しざわめいたが、ウサマはわかっていなかった。
「俺の力……?」
エルセラに心が読めることは言ってないし、ばれていないはずだ。
ママや、他の魔女たちが伝えていなければ、の話だが……。
しかし、どうやら、その力のことではなかったようだ。
「あなたが、この国を旅をして、選んできた心が、要るの」
今度は、心だと?
なんのことだかわからず、ウサマは少し頭を傾けた。
そして、六年前の旅のことを思い出す。
シーランドを旅して、選んだ心――。
海岸の村でエルセラと出会って、ママの家で再会して、魔女の村、そしてウィンブロー城へのふたりの旅。
――そうだ。
自分は、最初から何も変わっていない。
あの、石が飛んできた時から、心は決まっている――。
やがて真っ直ぐにエルセラを見て、少し強く息を吐いた。
「……お前、本当に王様になっちまったんだな」
(わざとなの……? ウサマ)
エルセラは少し目を伏せた。
「ええ。でも、あの時の二人旅がなかったら、わたしは王じゃなく、リナリーの娘で終わっていたかもしれない」
(……お願いだから、……イエスかはいか、こたえて……)
エルセラの威厳を保った表情と言葉に、ウサマは込み上げてくるものを必死にこらえる。
こんな大事な場面に、すぐに気が付けなかった自分も悪いが、選択肢にノーはないのか?
これは公開プロポーズだ――
少し間をおいて、ウサマは静かに頷いた。
「なら、俺も……誰の息子とか孫じゃなく、俺自身として応えなきゃな」
エルセラが一歩近づき、ほんの少し、声を落とす。
ウサマには、エルセラのかつてないほどの緊張が伝わってきた。
「……ありがとう。ここまで来てくれて、嬉しかった」
「……呼ばれたら、そりゃ行くよ。――俺の女王だろ?」
(……ウサマ……!)
その言葉に、エルセラは少しだけ頬を赤らめた。
その場にいた近衛たちは、誰もがその表情を見なかったふりをした。
ウサマにだけは、女王を祝福する喝采の心の声が聞こえていた。
カーテンの隙間から月光が差し込んでいた。
高窓の向こうには、港の灯が揺れている。
王宮の一室。応接間のテーブルに、冷めた紅茶が二人分、並んでいた。
エルセラはドレスの裾を軽く持ち上げてソファに座り、少しだけ目を伏せていた。
向かいに座るウサマは、足を組まず、ただ背もたれに凭れて天井を見ている。
「……あの頃はさ」
ウサマが言う。
「お前のこと、王家の娘なんて、これっぽっちも思ってなかった。森の中走り回って、裸で泳いで、すぐ寝るし、石は飛んでくるし……」
「待って。すぐ寝るのは、君がやってたことよ」
エルセラが少し笑って返す。
でも、その笑みはどこか切ない。
「でもね……いま、こうして王冠を戴いて、玉座に座って……誰の娘でも、誰の代わりでもなく、あたし自身で立つのって、……本当は、怖いの」
その声は震えてはいなかった。
けれど、どこかで一人だけが知っている弱さが滲んでいた。
ウサマはテーブル越しに、そっとエルセラを見た。
「じゃあ、聞くけどさ」
「……なに?」
「お前さ。さっきは、女王としてのわたしに仕えよって言ってたけど、ただのエルセラとして、俺に、何か言いたいことないの?」
エルセラは目を見開いた。
すぐには言葉が出なかった。
けれど、ほんのわずかに、ゆっくりと、静かに、口を開く。
「……ねえ、ウサマ。あたしが王様じゃなかったら、君は……隣にいてくれた?」
「バカ言え。王様じゃなかったら、俺はとっくにこんなとこから攫ってる」
「……ぷっ、」
エルセラは小さく吹き出して、可笑しくなって目元を押さえた。
「……そうだった、君は、そういう人よね」
「そういう人だよ……」
ふたりの間に、ふっと沈黙が落ちる。
やがて、エルセラは立ち上がった。
ウサマの前まで歩き、そっと膝を折り、王としてではなく、彼女自身として、静かに、低く呟いた。
「……あたしの名を、自然に呼んだのは、ママ以外であなただけよ。だから、あたしは……あなたにだけは、あたしでいたいの」
ウサマはゆっくりと手を伸ばし、エルセラの頬に触れた。そして、深く息を吐いた。
「……やっぱりもう、命令してくれ。ずっと、お前のそばにいろって」
エルセラは目を閉じた。
そして、かすかに頷いた。
「命令よ。……あたしの、従者になって。王としてじゃない。女として――あなたを、望んでる」
エルセラはそっと立ち上がり、ウサマの頬にそっと触れた。
黒髪に指先が触れ、それはまるで、物語の一場面のようだったが、ウサマは、そこからふいっと目を逸らした。
手を振り払うでも、突き放すでもなく。
ただ、じっと、拗ねたような瞳で、エルセラを見返した。
(やっぱり黒猫ね)
「……でもさ」
「……なぁに?」
「俺って、いつも下だよな」
エルセラは少し戸惑ったように瞬きした。
「下って??」
「……旅の時も、俺は、ずっとあんたの後ろにいた。歳だって下だし、今だって、女王と従者。……お前に呼ばれて、来て、仕えて、従って……」
言葉が詰まる。
ウサマの声は、冗談っぽく笑っていた。けれど、その奥には、静かな怒りと哀しみがあった。
「……好きになった女に、ずっと下の立場でしか見られないって、正直、面白くない」
エルセラは息をのんだ。
ウサマは、ほんの少しだけ笑った。
「でも、だからって、離れられるわけじゃないし。もう俺、お前から目、逸らせないし。……だから、今、言うだけでも言っとくけど」
ウサマは立ち上がった。
女王の目の前に、まっすぐ立って、言った。
「……俺は、お前に選ばれたから従うんじゃない。自分で、お前の隣に立つって、そう選んだから、ここまで来たんだ」
その言葉に、エルセラの瞳が揺れる。
「……さっきは命令しろって言ったり、次は下に見るなって言ったり。……君って、ほんとに、そういうところ……」
「ムカつく?」
「ううん――愛しい」
エルセラが、ひとつ息を吐いた。
今度はエルセラのほうが、ウサマを見上げる形になる。
けれど、その王族の色の瞳には、決して見下す色はなかった。
「……じゃあ、お願い」
「……命令じゃなくて?」
「うん。お願い」
エルセラは、両手でウサマの服の胸元を握りしめる。
「――お願い、ウサマ。あたしの隣にいて」
その言葉に、ウサマはようやく笑って、
「……やっと言ったな、そーいうの」
そう言って、そっとエルセラの額に、自分の額を寄せた。
言葉にするには幼すぎて、黙って飲み込むには苦しすぎて、けれど、それでも残った想いが、ようやく届いた夜だった。
ウサマは、『女王の従者』ではなく。
彼は『隣に立つ者』だと――女王が、初めて、自らの言葉で認めた夜。
王宮の高窓に、月が静かに差していた。
冷えた床にも、照らされた髪にも、もう影はなかった。
ただそこに、ひとつの温もりだけが、そっと重なっていた。
おしまい
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最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
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ロマンタジーに挑戦したいと思い、ムーンライトノベルズで「氷の王と炎の王妃」と言う、シルヴィア王妃のスピンオフを同名儀で書いています。
もし18歳以上の方でご興味あれば、そちらも読んでいただけると嬉しいです。
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(※18歳以上 性行為・センシティブ表現がありますのでご注意ください)
藤井 紫




