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【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
終章

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第79話 『水』と『焔』の後継者

 聖地オス・ローの朝は、まだ肌寒く、静かだった。

 窯に火を入れる匂いが石畳の路地に流れ出し、どこかの宗派の朝の祈りの歌がかすかに届く。

 人々が目覚める前、地下の整備口に通じる小さな広場には、すでに一人の若者が立っていた。

 父親譲りの、鮮やかな金髪に、翠の瞳。

 足元の工具箱を開け、自分で書き直した地図と照らし合わせながら、地下排水路の弁を調整している。

 アサドだ。

 今では地下整備の番人として、街の裏側を守る仕事を手伝っている。

 雨の降らない砂漠の街で、一番大事なのは『水』だ。いや、砂漠じゃなくても、それはきっと同じ。

 アサドは、水の音を聞くのが好きだ。そして、水飛沫がかかるこの仕事も好きだ。

 だから、今でも、シーランドで浴びた雨のことは忘れられない。

 あの時、一緒に濡れながら歩いてくれた従兄弟のことも、()()()()()()()()()

 水の音を確認し、手を止めたそのとき、背後から声が飛んだ。

「よう、坊主。起きるの早すぎじゃねぇか? あいつの息子とは思えねぇな」

 ふり返れば、片目に眼帯をした男、ソルが、背後で腕を組んで立っていた。

「おはようございます。……今朝は西門の水位が高くて。弁を調整しておかないと、夕方の巡礼で詰まります」

 アサドが淡々と報告するのを見て、ソルは本当に育ったもんだと目を細める。

「それと、僕はもう二十三なので、坊主って言うのは……」

 と、意見するが、ソルは全く聞いていないようだ。

「……なぁ、アサド」

「はい?」

「オレはてっきり、弟の方――ウサマが、オレの後を継いでくれるもんだと思ってたんだけどな」

 アサドは一瞬驚いたような顔をして、それから笑った。

「……僕も、最初はそう思ってました。でも、ウサマはあの人のもとに行きましたからね」

「あの人か。……女王様の呼び出しに、すっ飛んで行ったんだろ?」

「『俺みたいな奴を呼ぶなんて、女王様も随分物好きだな』とか言ってたけど、あれは物凄く喜んでましたね」

 ソルは、ふっと目を細めて、空を見上げた。

「……あー。でも、女王から直々呼び出しって事は、あいつ、もうこっちには戻ってこねぇかもな」

 寂しさを口にされ、アサドは、少し黙った。

 その様子に、ソルはくくっと喉を鳴らして笑う。

「でも、心配する必要ねぇか。あいつは、案外、表に出るのが似合う。表に出る言葉、賑やかな人波。でも……お前はどうするんだ? このまま、どこにも属さずに生きるのか?」

 アサドは静かに、地下への扉に手をかけながら答えた。

「……僕は、外に出るよりも、人の内にある声に耳を澄ませたいんです。それが、僕に与えられた役割だと思ってます」

「お前のその、ちょっと陰気臭いところ、絶対ハリーファの血だな……」

「そう言えば……ソルおじさんって、声を聞かれないようにしてるんですか?」

 その言葉に、ソルはしばらく黙って、しばらくアサドを睨んだ。

「今、お前に語りかけたんだが、なんか聞こえたか?」

「……いえ? なんにも」

 自分でも理由がわからないのか、ソルは肩をすくめてみせた。

「……面倒な能力だな」

 朝の空気が、二人の間を流れる。

 やがてソルは、アサドの背中をぽんと軽く叩いた。

「……案外、お前の方が向いてるかもな。名を継ぐってのは、いつだって意外な奴がやるもんだ」

「おじさんも、そうだったんですか?」

「……オレの師匠ってのは、養父のことだ。随分昔に死んだけどな。『名前も、想いも、全て捨てて、自由になれ』なんて言われたけどよ。師匠(ラシード)の想いの行きつく先を、オレ自身が見たかったんだよ」

「やっぱりおじさんも、継いだんじゃなくて、自分で道を『選んだ』んですね。その、師匠の想いの行きつく先は、もう見れたんですか? それとも、まだ途中?」

 ソルは、すぐには答えず、見覚えのある翠の瞳をじっと見つめる。

 角度によっては菫色に見えるソルの左の瞳に、アサドは自分の顔が小さく映っているのが見えた。

「……師匠の名前を継ぐってのは、声にできない敬意の形だ。思想や問いを、次の奴がどう燃やすか、それが全てだ」

 アサドは、水の音が消えたかのように、静かにソルの言葉を聞いていた。

「……思想、ですか」

「ああ。お前が、ウサマを探す旅で拾ってきた問いを見てるとな、思い出すんだよ。昔、世界を変えるために火を灯した男がいた。いや、逆かな。あの男がいたから、世界に火が灯った。名を捨てた風を装ってたけど、あれこそが、最初の『焔』だった」

 ソルの声が、わずかに懐かしさを帯びる。

「……ラシードと、どこか同じ志を持ってたやつさ。確か『ヴィンセント』だ」

 空に視線をやったその顔には、ほんのかすかに懐かしさが滲む。

「……おじさん、ヴィンセントを、知ってるんですか?」

 アサドが、目を見開く。翠の瞳の奥に微かな焔が見えた。

 ソルは肩をすくめる。

「ああ、直接会ったことはないけどな。いや、あったかな……」

「今は……?」

「どっかで、生きてるぜ?」

 アサドは息を飲んだ。

「……いつか、会えるでしょうか」

「どうかな。でも、この先、お前が答えを持って旅するなら、あいつの問いに引き寄せられる日が来るかもしれねぇ。……そしたら、向こうの方から現れるかもな」

 アサドは、静かに頷いた。

「――僕が、あの人に返す言葉を持てるように、生きてみます」

 そして、ふたたび足を踏み出した。扉の向こう、地下の闇へと。

「ソルおじさん、もうひとつだけ」

「ん?」

「名を問う者が神なら、名を継ぐ者は何ですか?」

 ソルは目を細めて、低く答えた。

「名を継ぐ者はな……その神に、答えを返す者だよ」

 扉が軋み、アサドの姿が消えていく。

 その背に、光がひとすじだけ射し込んでいた。


 ソルはしばし無言でその光景を見つめ、それから、ぼそりと呟いた。

「オレらの時代は、父親を『神』だって、言ったもんだけどなぁ」







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