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【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第8章 本物の王

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第76話 Beyond the sky

 ウィンブロー城の門前に、白と赤を基調とした花弁が敷かれていた。

 シーランドの古い慣習に従い、統一の象徴として両派の色が並べられた式道は、はるか正面の大階段まで続いている。

 エルセラは、緋色の外套を肩にまとい、金の髪をゆるやかにまとめていた。

 その背筋は真っすぐで、まだ戴冠していない少女でありながら、すでに『女王の器』を湛えていた。

 門の内側には、整列した衛兵、式官、貴族たちが並ぶ。

 炎派の代表たちは後方に控え、氷派の主要人物の姿もまばらながら確認できる。

 そのどちらもが、息を呑んでエルセラを見ていた。

「エルセラ・フォン・シーランド――新たなる御名を以て、参列者の前にお進みください」

 式官の声が朗々と響く。

 彼女の傍に立つのは、エリクス王太子。そして、そのすぐ後ろに控える騎士ルーク・ノクシアルだった。

 ヴァロニアからの参列者として、二人は特別に友好の証として入廷を許されていた。

 エルセラは、ゆっくりと一歩を踏み出す。

 踏みしめた花道の下には、幾多の血が染みついていると、エルセラは知っている。

 けれど、今日はそこに血はない。

 あるのは、静かな風と、春の兆しと、希望の視線。

「――リナリーの娘ではなく、わたし自身として、ここに立ちます」

 低く呟いたその声は、誰に向けたものでもなかった。

 だが、ルークの胸には確かに届いていた。

 その横顔は、まるで今この国が新しく息をし始めるのを、受け止めているかのようだった。

 やがて、玉座のある式場の前庭に到達したとき、鐘が鳴り響いた。

 それは、これから始まる新しい秩序の予告であり、過去との訣別を告げる音だった。




 式場の中心に設えられた白の石壇には、かつて王たちが祈りを捧げ、剣に手を添え、名を授かってきた『継承の台座』があった。

 しかし今日、その台座の前に立つ者は、名を授かるのではなかった。

 エルセラは、一歩ずつ、石壇の前へと進む。

 その歩みの背後には、シーランドの民と、参列を許された外国使節。

 そして、父の名を認めたオスカーと、かつて自らを育てた炎派の者たちの視線があった。

 式官が告げる。

「これより、継承の誓いを以て、我らが未来の女王、エルセラ・フォン・シーランドの名が、歴史に刻まれる」

 エルセラは、振り返らずに静かに言った。


「――わたしは、この名を、王家の血でなく、選びの名として受け継ぎます」


 ざわめきが、わずかに波紋を広げた。

 続けて、彼女の言葉が場を包む。


「わたしは、炎でも氷でもない。どちらの血も継いだ者でも、血の重さだけで立つ者でもありません。この名を、父からもらうのではなく、母のために名乗るのでもない。わたしは――わたし自身の名として、この国に、未来を誓います」


 その声は高くはなかったが、確かに響いていた。

 エルセラがそっと石壇の上に手を置く。

 その指先に、微かに震えがあったが、次第にその手に力がこもる。


「わたしは、エルセラと申します。

 リナリーの娘でも、オスカーの娘でもなく。

 わたしは、この国に問われる者として、そして応える者として、この名を選び、受け継ぎます」


 その瞬間、誰かが深く息を吸う音が聞こえた。

 誰かが目を伏せ、誰かが拳を握りしめていた。

 そして、多くの者が、沈黙のまま、頷いていた。

 式官が、正式な言葉を重ねる。


「女王エルセラ・フォン・シーランド――その選びの名、ここに記され、歴史の頁に刻まれんことを」




 鐘が三度、空を貫いた。

 扉がゆっくりと開き、陽光が射し込む。


 ――新たな女王は、血統に選ばれたのではない。


 自らの選択と歩みによって、この座を選び取った。

 それを見守る者たちの中で、最も静かに微笑んだのは、後方の黒衣の女だった。

 ルークがその女を見ると、ふと、視線が合う。

 かつて、リナリーと呼ばれたその者は、そのまま静かに、身を翻した。

 そして、ルーク・ノクシアルは、その姿に、『母』の矜持を見ていた。

 その時、風が吹いた。

 血の色を帯びた花々が、舞い上がる。

 リナリーの後ろに付き添っていた、若い女の黒い髪も風になびいた。

 白と赤が、混ざり合いながら、光に溶けるように空を満たしていった。


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