第75話 父の名を継ぐ者たち
朝の光が、静かな海面を金色に染めていた。
シーランドへ向かう帆船は、風を受けて緩やかに進んでいた。
エリクスは甲板の手すりに寄りかかりながら、遠く霞む海の先を見つめていた。
その隣に立つルーク・ノクシアルは、まだカイという旅の名の余韻を残したまま、静かに風を受けていた。
二人の黒髪が海風に揺れる。
「やはり、君はウサマに似てるいるな」
「そうですか? 確かに従兄弟だし、同じ黒髪ですけど」
王太子の言葉にルークは首を傾けた。見た目の話だろうが、自分ではそれほど似ているとは思っていない。
ウサマとは、お互いの性格を知れるほど話す期間は無かったが、多分、全然違うのだと思う。――ウサマは、自由だ。
「……ウサマと話した時、少しだけ、見えた気がしたんだ」
エリクスが唐突に口を開いた。
「何が、見えたのですか?」
「名の外にいる者の目線……と言ったらいいかな。君も知ってると思うけど、ウサマは名を持たない事の孤独を、まるで盾みたいに抱えてた。でもそれを、自分で受け入れてるように見えた」
ルークは小さく頷いた。
「ウサマは、自分の国を持たない子です。それとは別ですが、ウサマはどこか他人事みたいに、自分のことを語る。……それは、殿下にはわからないかもしれませんが……」
王太子のエリクスにはわかるだろうか。貴族嫡男のルークでさえ、もし、父親が平民出でなければ、知ることもなかったかもしれない、複雑な家族内の感情。
「多分……ウサマは、彼の家庭で中間子でもあり、誰か、大人に、見てもらえなかった時間が長かったからだと思います」
「そうか……」
エリクスは、海の向こうへ視線を逸らしながら、小さく言った。
「私は多くの大人に囲まれて育った。だが、私も、父上とは、あまり話すことはないんだ。……王と王太子としての関係しか、持たせてもらえなかった。私自身も、それを当然だと思っていた。ずっと、玉座の影として……」
「それは……僕の父ともですか?」
エリクスは微かに笑った。
「ノクシアル侯は、王の臣下である前に、父上の友だった。だからこそ、侯が時折私にかける言葉には、父親のような響きはあったように思う。君はどうだった?」
ルークの瞳が、ふと静かに揺れた。
「……父は、平民出身と言うのもあるんでしょうけど、僕の前では父親でいようとしてくれていたように思います。でも、貴族という立場が、それを許さない時もあって……僕はそれを、勝手に寂しがったこともありました」
「君の父上が陛下に背を向けず、でも信仰から距離を取ったのは……君の伯父、ヴィンセントと言う人の影を見ていたからだと聞いた」
「……そうですね。伯父の問いに、惹かれ、恐れて、それでも答えを探し続けた父です。陛下も、きっと同じだったんでしょう」
風が二人の間を抜けていった。
波が、帆をなぞるように低く響いた。
「君は、ホープ卿のその姿をどう思ってる?」
エリクスの問いに、ルークは迷わず答えた。
「誇りです。……だけど、同時に、あの背中を追いかけ続けるのは、やっぱり、少し怖い」
その答えに、エリクスはゆっくりと頷いた。
「……私もだ。王である父の背を見て育ってきた。でも、今なら思える。父が成し遂げられなかったことを、私が成し遂げてみせる。あの背中を越えたいと思えるようになったのは、君やアサド、それとウサマに出会ったからかもしれない」
ルークの視線がエリクスを捉えた。
旅の途中で見せた、仲間としての眼差しだった。
「殿下がその問いを掲げるなら、僕は……盾として、その問いに立ち会います」
エリクスは、わずかに息を止めるようにして、その言葉を受け止めた。
「ノクシアルの名で?」
「もちろん。僕の名で」
二人の間に、長い沈黙が流れた。
けれどその静けさは、何より強い信頼の始まりでもあった。
船は、シーランドの岸辺へと進み続けていた。




