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【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第8章 本物の王

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第73話 Ice sparkling in the sun

 雪はすっかり溶け、ウィンブローの石庭には、早咲きの花がちらほらと咲き始めていた。

 かつて冷気に閉ざされていた政務室には、いま薄く陽が射し込み、重たい書棚の影も、どこか柔らかさを帯びていた。

 控えていた近衛が静かに扉を押し開ける。きぃ、と小さな音が鳴る。

 オスカーは、かつてと変わらぬ姿で机に向かっていた。

 だが、金の髪に白いものが混じり、指先の動きには歳月の重みが宿っていた。

 ドアの向こうから、ひとりの少女が静かに歩み出る。

 陽の差す中に姿を現したその人影は、赤のマントを翻し、金の髪を後ろで束ねていた。

 蒼と翠の混ざるまなざしで、迷いなくまっすぐにオスカーを見据えていた。

「……ご機嫌よう、殿下」

 エルセラの声は柔らかだった。

 だがその一語が、部屋の空気をわずかに揺らす。

 オスカーはゆっくりと顔を上げた。

「……やっと、来たか」

 静かな声だった。

 あの日よりもさらに落ち着き、なお一層はっきりとした響きだった。

「一度、リナリー様にご報告してきました。これからの在り方を、どうすべきか……考えたうえで、もう一度ここへ来ました」

「……継ぐのか」

「はい」

 オスカーは、その一言に長く黙した。

 やがて、机の上に両手を組み、背筋を伸ばす。

「そうか。……あの日、問う娘だった君が、今日は選ぶ者としてここにいるわけだな」

 エルセラは頷いた。

 言葉はなかったが、その頷きに宿る意思は揺るぎなかった。

 父と向き合うことは、エルセラにとって過去との決着であり、未来への入り口でもあった。

「君が名を出さずとも、私は敗北を受け入れたつもりだった」

「はい。……でも、あたしは、それだけでは終われません」

 オスカーのまなざしが鋭くなった。

「――何故だ」

「名を継ぐことは、権威を得るためではありません。継がされた名を、自分の意思で名乗るためです」

「……継ぐのではなく、名乗る、か」

「あたしは、王権を引き継ぐのではなく、それを新しく変える者になりたい。だから、あなたに問う娘ではなく、名を持つ者として、会いに来ました」

 政務室に、再び静寂が落ちる。

 長く、深く、誇りと痛みと記憶の沈黙が流れた。

 オスカーは、娘に問いを返すことを恐れた。

 真に向き合えば、崩れてしまうものがあった。

 だが、それを守った末に失ったものの方が、大きかったのだ。

 やがて――

「……王となるつもりか」

「女王として、ではなく。……エルセラとして、王座に立ちます」

 その言葉に、オスカーは、深く、ただ深く、椅子に身を沈めた。

「……ならば、私が語るべき言葉は、もはやない」

「いいえ。あたしは、聞きたいの。あなたがこの国に見た理想を。そして、何を恐れ、何を守ろうとしたのかを」

 オスカーは微かに目を細める。

「リナリーは、愛の『炎』の名のもとに戦った。私は、『氷』の秩序の名のもとに戦った。だが、君は、名を選ぶ自由の名のもとに、何も壊さず『炎』と『氷』に勝った」

「壊したものも、きっとあります。でも、それでも手を伸ばしたのは、あたしは、未来を継ぐ者でありたかったから」

 オスカーは立ち上がり、窓の外を見た。

 そこには、かつて自分が統べていた白き庭園が、陽に染まり始めていた。

「……君が、王として立つことに、もはや私の否はない。ただ願う。君が、私の過ちを繰り返さぬように」

「はい。あたしは、あなたの敗北を継ぎません。わたしの選んだ王の形を、この国に残します」

 オスカーは、それ以上、何も言わなかった。

 だが、そのまなざしには――初めて、娘を見る父の影が、微かに宿っていた。

 エルセラの心に、そっと灯がともる。

 それは赦しではない。和解でもない。けれど、たしかに父と見つめ合ったという温度だけは、胸に残った。

 エルセラは静かに一礼し、踵を返した。

 扉の先に、新しい秩序のための光が待っていた。



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