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【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第8章 本物の王

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第67話 帰るべき場所へ

 夜の冷気がまだ石畳に残る早朝、

 セイントグラントの裏門近くで、四人は肩を並べていた。

 空は淡く白んでいた。

 雪は止み、霧が低く流れている。

 街の塔が霞んで見えるなか、馬車の軋む音が遠くに響いていた。

 ノアの頬にはまだ微かな疲れの色が残っていたが、昨夜よりは目に力が戻っていた。

 カイはその傍に立ち、視線を町の北へ向けていた。

 ウサマは黙って、兄の足取りに目を配っている。

 そして、エルセラがゆっくりと口を開いた。

「……ここで、あたしは別れるわ」

 三人が振り返る。

「モレスへ戻るの。……お母(リナリー)様と、話すために」

 静かだった。けれどその言葉には、張りつめた決意の気配があった。

「女王になるってことは、母の娘であることから逃げられないってことだと思うの。このまま進んでも、きっと誰かが私に『母の罪』を背負わせる。だったら……先に、母と向き合っておきたいの」

 ウサマが、少し口を開きかけたが、言葉を飲んだ。

 代わりに、ノアが一歩前に出た。

「……戻って、危なくはない?」

「わからない。でも、だからこそ行くわ。リナリーの娘ではなく、あたし自身として。あの人に、それをぶつける」

 カイが小さく息を吐いて、短く言った。

「……無理はするな。道を選ぶのは、君の自由だ。でも、引き返す自由もある。忘れないで」

 エルセラは少しだけ笑って、首を振った。

「ありがとう。でもあたしは、前に進むために戻るの」

 霧が流れ、淡い陽の光が差しはじめる。

「……じゃ、また会いましょう」

 エルセラはそう言って、マントの留め具を直した。

 その姿は、すでに誰かの娘ではなかった。

 馬に乗る姿を、三人が見送る。

 雪解けの道を踏みしめ、エルセラは南へ、モレスの方角へと姿を消していった。

 それぞれの道が、いま確かに分かれた。

 だが、交わる日が遠くないことを、四人ともわかっていた。



 エルセラの馬が霧の中に消えてから、しばらく誰も口を開かなかった。

 残された三人は、その余韻のような空気の中に立っていた。

「……行こう」

 最初に声を出したのは、カイだった。

「近い港は北に一日。風は穏やかだ。今なら船は出る。ヴァロニアに戻って、ギリアン王へ報告する。……それが、今の僕たちに出来ることだ」

 ノアは静かに頷いた。

 魔女の薬のおかげか、顔色は幾分戻ってきている。

 けれど、その目の奥には、まだ言葉にしきれない何かが揺れていた。

「……兄さん、大丈夫?」

 ウサマが隣で歩調を合わせながら、そっと訊いた。

「うん。もう大丈夫。……今は」

 ノアの声は小さく、でも確かだった。

 街道沿いには、まだ雪が残っていた。

 けれど空には、はっきりと春の匂いが漂い始めていた。

 カイは先頭に立ちながら、ふと後ろを振り返る。

 誰もいない道の向こう。

 そこに、つい先ほどまでいた金髪の少女の背中が、まだ残像のように焼きついていた。

「……真っ直ぐだったな、あの子」

 カイのつぶやきに、ウサマは少しだけ頷いた。

「うん。……でも、怖くもあったと思う。母親に会いに行くのは」

「怖くても進むのが、あの子の強さか」

「……置いてかれてられないな」

「ウサマ君、ついて行かなくて良かったの?」

「……うん、元々寄り道だったんだ。この先は、俺は自分の道に戻るよ」

「そっか。僕たちは君を探す旅だったから、これで任務完了だな」

 港へ向かう道の途中、石橋を越えたあたりで、朝の霧が晴れはじめた。

 陽の光が街道の先を照らしている。

 ノアはその光の先をじっと見つめていた。

 ウサマも、隣でその視線を追っていた。

「ねえ、カイ、……ヴァロニアに戻ったら、何て言うの?」

「真実を言う。……この国で見たもの、聞いた事、全部。陛下も父上も、それを受け止めるだろう。……だから、僕も覚悟を決める」

 ノアは、その横顔を見つめた。

 言葉にはしなかったが、心の中にひとつ、答えが降ってきていた。

 ――自分もまた、いずれ、この国で触れた言葉を『語ること』を選ばなければならない時が来るかもしれない。


 彼らの歩みは、やがて海の見える丘にたどり着く。

 港には、ヴァロニア行きの小さな船が帆を張って待っていた。

 それぞれの心に、まだ解けきらないものはあった。

 けれどその船は、確かに帰るべき場所へと続いていた。


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