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【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第7章 愛の花

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第60話 血に問わず、心に継ぐ

 霜の降りた石畳の広場に、細い朝日が射し始めていた。

 魔女の村の空は、まだ白く霞んでいたが、空気には確かに春の兆しが混ざっていた。

 ウサマは、小さな井戸のそばで腰を下ろしていた。吐く息はまだ白く、けれど風は昨日よりも幾分穏やかだった。

 ふと、足音が近づいてきた。

 エルセラだった。

 エルセラは、昨夜よりも少しだけ背筋が伸びて見えた。旅支度を整えた肩に陽が差し、金の髪が輝いてみえた。

「おはよう、ウサマ」

「昨日、……ちゃんと眠れた?」

 ウサマは立ち上がって問いかけた。エルセラは頷いて、けれどその後、少し笑った。

 朝の光がエルセラの瞳に写って、蒼みの翠の瞳が煌く。

「実は、あんまり……。でもね、少し、昔の夢を見たの。小さかった時の」

「……そっか」

 ふたりはしばらく無言で並び、朝の冷気の中に立ち尽くした。

 エルセラは、ふと空を見上げながら、ゆっくりと口を開いた。

「……セラフィナから聞いた。父親の名前」

 ウサマは、エルセラの顔を見た。そこにあったのは、怯えでも怒りでもなく、凛とした静けさだった。

「オスカー殿下――シーランド王家の人。……多分、あたしの存在を知らない。あたしが娘ですって名乗っても、信じてもらえないかもしれない。でも、行く。聞きたいの。あたしをどう思うのか」

 ウサマは頷いた。

「……それが、お前にとっての名を選ぶってことなんだな」

「うん」

 エルセラは、ポケットから小さな布包みを取り出し、その中の紙をそっと指でなぞった。

「この手紙のママの言葉。迷って戻ってきたなら、母ではなく、父のもとへって。……ようやく、その意味が、ほんの少しだけ、わかった気がするの」

「その人の娘として生きるかどうかを、自分で決めるってことか?」

 エルセラは、静かにうなずいた。

「そう。それを、自分の問いとして持っていくの。お母様の娘じゃなく、エルセラとして。あたし、行くわ」

 その言葉に、ウサマは小さく息を吐いた。

「……うん。それなら、俺も一緒に行く」

「え?」

「ここまで来たんだし、俺にも理由がある。兄さんを追いかけてきたけど……俺、今は、お前のことが気になってる。お前がどうするか、俺もちゃんと見届けたい」

 エルセラは目を丸くしたまま、何かを言いかけて、けれどやめた。

 そして代わりに、ふっと笑った。

「変わったね、ウサマ」

「……何も、変わんないよ。俺は」

「ううん。前に会った時より、少しだけ、ちゃんと誰かのことを見てる目になってる」

 ウサマは照れ隠しのように鼻を鳴らして立ち上がる。

「じゃ、行こうか。そろそろ、ここの人たちも、俺たちが居るのを歓迎しなくなるかもしれないし」

「うん……」

 エルセラも立ち上がった。その背中は、もう昨日の少女ではなかった。

 ウサマは、外套の裾を握り直しながら、口を開いた。

「……行こう。お前の父親に会いに」

 エルセラは頷き、ふたりは並んで歩き出した。

 ふたりは魔女の村を後にする。

 森の外れには、昨日と同じ細道が、今日も静かに続いていた。





 エルセラは、歩きながらそっと空を見上げ、ウサマに話しはじめた。

「今朝、夢を見たって言ったじゃない?」

 その声は、まるで夢の続きの中にいるみたいに柔らかい。

「うん」

 ウサマは、エルセラの方をちらりと見る。

「夢っていうか、小さいころの思い出。たしか冬の夜にね、あたし、ママに聞いたの」

「何を?」

 ウサマは静かに答え、エルセラの語りに耳を傾ける。

「赤ちゃんって、どうやってできるの? って」

「…………」

 どう返すのが正解なのかわからず、ウサマは黙りこんだ。

 夢の中の、小さなエルセラはママに尋ねた。

 そのとき、ママは、月の泉と命の種の話をしてくれた。

 そして、ぽんっと愛の花が咲くことを。

 ママらしい、不思議で、でも、どこか温かい話だった。

「……それでね、その時、ママも一度だけ赤ちゃんを産んだことがあるって、言ってたの。これは、夢じゃなくて、本当の話よ」

 ウサマの心臓が跳ねた。ママが生んだ子。多分、それがウサマの父、ハリーファのことだ。

「ママが、その子は遠くに行ったけど、痛みだけは今も覚えてるって、言ってた」

「え? 遠くに、行った……?」

「うん」

 洞察力のあるエルセラに悟られまいと、ウサマは視線を地面に移した。

「その時、あたし、悔しかったんだ。自分は、ママの『ぽん』で生まれてきた子じゃないんだなって気が付いた。……子どもみたいだけどね。ママの中に、忘れることのない痛みがあるって聞いて、ママの本当の子のこと、ずるいって思ってたの」

(あたしは、ママの本当の子じゃない……)

 エルセラの声には、笑いのような、泣きそうなような響きがあった。

 ウサマは、自分が何か悪いことをしたような気がして、急に喉の奥が熱くなった。

 エルセラの言葉に、何か返さなければと思いながら、言葉が出てこない。

「……でも、夢のおかげで、ママの腕にくっついた時の温かさ、また思い出した。あれは……多分、『産んだ』とか『血のつながり』とか、そんな言葉よりも大事なもので」

 エルセラは、ずっと黙り続けるウサマの方をじっと見て、微笑んだ。

「……昨日、村の人たちが話してたの。ママが、君の『お祖母さん』だって」

 ウサマは少しだけまばたきして、それから視線を外した。

「……ごめん。言うべきだったけど、言いづらくて。お前がママのこと、あんなに好きだから、俺なんかが『血が繋がってる』って言ったら……」

「うん。びっくりした。でも……なんだろう、ちょっと安心もしたの。ママの『ぽん』が、誰かに繋がってたって、そう思ったら、なんか……よかったなって思った」

 それは、ウサマにとって想定外の言葉だった。

 顔が熱くなり、目を合わせるのが少し恥ずかしかった。

「……お前、そういうの、ズルいよ」

 かすれるような声でそう言って、足元の石を蹴った。

 エルセラは、いたずらっぽく笑った。

「あたしにはママの血は流れてないけど、君には流れてる。でも……血だけじゃ『家族』になれないんだよ。あたしがもらったのは『ママの血』じゃなくて、『ママの心』だった。それで十分って思ってる」

 その言葉が終わった瞬間――

 ウサマの中に、エルセラが言葉にしなかった声が、すっと入ってきた。

(……ママの血が、ウサマに流れてるって――ほんとはちょっと羨ましかった)

 エルセラは、嫉妬ではなく、それを『よかった』と言葉にしてくれた。

 でもその奥にある小さな寂しさも、ウサマにはちゃんと届いていた。

 自分だけが『ぽん』の先にいるように感じさせてしまったのなら、それはどこか切なかった。

 だからこそ、エルセラを支えたいと思った。

 寂しがっていたエルセラを、ママが迷わず抱きしめたように。

 ウサマは、決意を込めて、少し強く息を吐いた。

 すると、エルセラが、寄り添うように、ウサマの腕にしがみついてきた。

(うん。ママの体温と同じ。だから、あたしウサマのことが・・・のかな?)

 突然、腕を組まれたことに驚いて、後半の言葉が入ってこなかった。

「じゃあ、『ぽん』の孫、この後もしっかりついてきてね?」

「……『ぽん』はやめろ、恥ずかしいから」

 やっと冷めてきたウサマの顔に、また、赤みが差していた。


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