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【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第1章 迷子の黒猫

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第6話 光を背負いし?

 湿った土を踏む足音が、巡礼の歌を遠く森の木立に吸い込ませていく。

 すべての巡礼者が陽の差す聖地を目指す中、ウサマだけが、影の深まる森の奥へと背を向けて歩いていた。

 だから、無事に聖地巡礼を終え帰郷する者は、『光を背負いし者』と称えられる。

 振り返れば、木洩れ日の中にかすむ小道が続く。

 そこには、もう誰の声も届かなかった。 




 歩き続けて二十日ほど。

 最初にたどり着いたのは、関所も何もない、素朴な田舎だった。

 牧草地や畑ばかりの村をいくつか通り過ぎ、宿もない場所では木の下や軒を借りて野宿が続いた。

 ようやく辿り着いた小さな町で地名を確認すると、そこはヘーンブルグ領のクランという場所だった。

 この町で出会う人々は、全員が黒髪だった。

 金の髪を持つ父と兄妹の中で育ったウサマにとって、それはどこか不気味に映った。


 町の広場の端に、ぽつんと佇む小さなパン屋があった。

 一度通り過ぎかけて、ウサマは引き返した。

 匂いに引き寄せられたのではなく(あれ、あの子、どこかで……)という心の声が聞こえた。

「何か、買うのかい?」

「……いや。ちょっと、人を探してて」

 店先で焼きたてのパンを並べていた中年の女性が、ちらりとこちらを見る。

 心の中に浮かぶ(ずいぶん汚い旅人ねぇ)という声が、ウサマの頭に流れ込んできた。

 言葉が詰まりそうになるのを無理に押し出す。

「……アデルって女を知らないか? 黒髪で、黒い目。四十歳くらい。でも、見たら驚くぐらい若い人でさ」

 女性はしばらく眉をひそめて考えていたが、首を横に振った。

「悪いけど……このあたりでそんな名の人は聞かないねぇ。聖地に向かう人は、外回りで行くもんだから、ここは、よそ者は滅多に来ないし」

 ウサマは肩を落としかけて、でもふと気を取り直す。

「……そっか。じゃあ、金髪の男は、見たことある? でかくて、右頬に……こんな感じの傷がある」

 そう言って、自分の頬に指で十字をなぞる。

 その仕草を見て、女性の表情が少し曇った。

「……ああ、金髪の男ってんなら、領主様のことかねぇ? でも、外にはもう出てこないよ。昔は金髪だったって噂だけど、今は真っ白さ。幽霊が出るって噂の城にこもりきりだよ」

「……じゃあ、違うか」

 家の中から、夫らしき人物がひょっこり顔を出す。

「ずいぶん昔になら、魔女狩りから逃げた娘を連れた金髪のよそ者が町に来て、すぐ出てったって話があるけどな」

「魔女狩り? 魔女だなんて、今じゃ誰も本気にしないさ」

 おしゃべりな夫が口を挟むのに、女性は口を結んで肩をすくめた。

「魔女って?」

 ウサマはオス・ローの政庁で聞こえてきたことを思い出した。

 ――魔女は、ハリーファと……、と。父の名前と一緒に聞いた。

「魔女の伝承を知らないってことは、あんた、西大陸からここまで来たのかい?」

「うん、オス・ローから――」

 しまった。つい、うっかり口にしてしまったが、男はさほど気にしていないようだった。

「魔女ってのは、黒髪で、特別な力を得た女や男のことさ」

 特別な力、とはなんだろう。もしかすると、この心の声が聞こえるのは、その特別な力なのだろうか。

 しかも、夫の話しぶりでは、その力は生まれつきではなく、あとから得るもののようだ。

 黒髪と、後から得た特別な力。まるで、自分のことを言われているようだった。

 その話を聞きながら、ウサマは拳を握った。

「今ヴァロニアは、魔女王様の時代。王様だって黒髪だ。だからこの国じゃ、魔女狩りなんてもう時代遅れなのさ。すべて前の領主様のおかげだよ」

 そう言って笑った夫は、何気ない調子で言葉を継いだ。

「……ただ、昔はちょっと違った。アレー村の方でな。まだ王様が教会の言うことを真に受けてた頃、黒髪の姉妹が魔女だって火刑にされたんだ。……火刑でな」

「あんた、やめなよ」

「それも、もう何十年も前の話だ」

 魔女狩りは、もはや歴史の中の出来事。

 けれどその名残は、町の誰もが語りたがらない影として、静かに残っていた。

「だけどおまえさん、光を背負ってきたのか。ありがたいなぁ」

 懐にはパン屋の夫に持たされたパンが三つほど。

「……ありがと」

 情報は手に入らなかったが、やっぱり『運』は持っているようだ。

 フードを深く被り直すと、空は灰色にくすみ、風が石畳を這うように吹いていた。




*   *   *   *   *


 


 ヘーンブルグを離れて、ウサマは北へ向かった。

 手がかりは尽き、宿は取れず、目にするものすべてが遠く感じられた。

 心の奥には、焦りよりも、空虚な冷たさが広がっていた。

 道を進んだ先にあったのは関所だった。

 黒い石で組まれた低い砦のような建物で、塔の上には赤と銀の旗が風に鳴っていた。

 旅装束を纏ったウサマは、その門を通ろうとした。

「止まれ。身分証明は?」

(しかし、随分と汚い旅人だな……)

 また、心の声も一緒に聞こえてくる。

「……ねぇよ」

「名は?」

「……レオン」

「どこから来た?」

「南の方だよ。……一人旅だ」

 警備隊の隊長らしき男が、ウサマを見下ろすように睨んだ。

「黒髪か。へーンブルグから来たのか?」

 汚れてすっかり浅黒くなった肌に黒髪、くたびれた布袋。

 表情は静かすぎて、逆に怪しいと見えたのかもしれない。

「旅の理由は?」

「……母親を、探してる」

「ふざけるな。旅券もない身元不明者が、一人で何の許可もなく通れると思っているのか」

 兵士がウサマの腕を掴む。

 思わず後ろへ引こうとしたが、そこにはもう別の兵が回り込んでいた。

「――拘束。理由は未登録旅人による無許可越境の疑い」

 縄で両手を縛られ、石壁の裏手に連れて行かれた。

 兵たちは慣れた手つきで荷を確認しながら、互いに目配せしていた。

「こいつ……あの、ルーク卿に似てませんか?」

「は? ……ああ……少しな。確かに黒髪でこの顔つき……」

「一応、王都に報告しておいた方がいいかもしれません」

「騎士様が来るわけないだろ、こんなことで」

 だが、報告は出されていた。




*   *   *   *   *




 その日の夕方、王都リエンテ郊外、ノクシアル邸にいたホープのもとに、近衛詰所の伝令が馬を飛ばしてやってきた。

「ノクシアル侯、ブランサイド関所より報告です。未登録の少年が拘束されておりますが、容姿が……ご子息ルーク様に酷似しているとのことです」

「――何?」

 ホープは眉をひそめ、椅子から立ち上がった。

「ルークは、今日王都には出ていないはずだ」

「はい。ただいま確認中ですが、屋敷でも姿が確認できず――」

「馬を用意しろ。すぐに行く」




*   *   *   *   *




 控え所の空気は重く、湿っていた。

 縄で縛られたまま壁沿いに座るウサマの背に、兵たちの視線が張りついている。石壁の冷たさよりも、それが煩わしかった。

 そこへ、鋭く乾いた足音が響いた。

 扉が開き、足音は一瞬だけ止まる。中に入ってきたのは、どこか違う気配をまとった男だった。

 黒髪の男。整った外套。

 その男は部屋の中を一瞥すると、ウサマの前で足を止めた。

 視線が合う。

 鋭いが、怒りや嫌悪ではなく、観察するような光をたたえていた。

(……ルークではない。でも、確かに似ている……随分汚れているが……)

 言葉にならない思考が、頭の奥に流れ込んできた。

 男の心の声だ。ウサマは思わず眉を寄せたが、それが顔に出ることはなかった。

「この少年、誰が取り調べを?」

「私です。『レオン』と名乗っていますが、身元不詳です」

「名前を偽っている可能性は?」

「はい。ただ……黙して語らず、暴れもせず、ただ母を探しているとだけ……」

 その言葉に、男の思考がほんのわずか動いた。

(母を探している……?)

 視線がもう一度、ウサマを見つめる。

 その目の奥には、妙な既視感、何かを探すような色があった。

 ウサマは無意識に、指先に力を込めた。

 縄の痕がじんわりと痛む。

「……縄を解け。ぼくは彼と話をする」

「しかし、ノクシアル候、王都からの命令では――」

「この件は、ぼくが引き取ろう。責任はすべてぼくが持つ。伝えておけ」

 命令が通り、縄が外される。

 ウサマはすぐには動かなかった。

 逃げるなら、まだ今のうちだ。頭のどこかがそう判断していた。

 だが、男の眼差しは、ひとつも脅してこようとはしなかった。

 ただ、確かめるように見つめていた。

 その視線の奥に、ウサマはかすかに見覚えのある何かを感じた。

 誰に似ているのかまでは思い出せなかったが、心の奥が小さく鳴った。

 呼吸が、ふっと和らいだ。

 ようやく、旅の先に誰かがいたことを知った。



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