表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第6章 風の行方

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/80

第51話 父たちの沈黙

 王宮の奥、石造りの回廊を抜けた先に、その部屋はあった。

 かつてアサドが通された謁見室ではなかった。

 重い扉を静かに開けたホープが、ウサマを先に招き入れる。

 そこは政務と謁見の狭間に位置する私室だった。

 装飾の控えめな壁、黒曜石のような机、棚には書簡と巻物。

 そしてその中央に、黒髪のヴァロニア王ギリアンが静かに座していた。

 その王と同じ、もう一人の蒼い瞳が、ウサマをとらえる。

 王の隣に立つ、黒髪の青年――王太子エリクス。

 その姿は整っていて、王族としての威厳がある。けれど目の奥には、警戒と好奇の色があった。

「ホープ、連れてきたのだな」

 ギリアンの声は、威圧ではなく、静かな確認だった。

「はい、陛下。彼がハリーファの子、ウサマです」

 ホープが一礼し、ウサマを前へ促す。

 ウサマは緊張を抱えながらも、まっすぐに一歩を踏み出す。

(この青年は、黒い髪か……)

 膝を折ろうとしたが、ギリアンが手を軽く挙げた。

「形式は要らぬ。これは私的な会談とする。……座れ」

 ウサマは頷き、戸惑いながらも椅子に腰を下ろす。

 ホープはその隣、少し後ろに控えるように立つ。

 ギリアンは、ひとつ呼吸を置いてから言葉を紡ぐ。

「……君の兄、アサドから話は聞いている。君は、母と父を追って旅をしているのだな」

「……はい」

 ウサマの声は小さかったが、芯があった。

 ギリアンは沈黙のまま、ウサマの顔の傷跡を見ていた。

(――ハリーファと同じ場所に傷があるとは……)

 ウサマにだけ聞こえた、その心のつぶやきは、王の蒼い瞳の奥へ沈んでいった。

 王様は黙ってるけど、父さんは、この王様と会ったんだ……。

「では問おう。君は、この旅の果てに何を得たい。父の名か? 母の過去か? あるいは、王座を求めてここに来たか?」

 その問いに、部屋の空気が一瞬沈む。

 エリクスの視線が、ウサマの横顔を鋭くとらえていた。

(……また、あの血筋の少年か。今度は弟……。王宮に、何人現れるつもりなんだ?)

 その声は、口には出されなかったが、ウサマには届いてしまっていた。

 だが、ウサマは目を逸らさず答えた。

「……どれでもないです。……俺は、父さんと母さんが、なぜ俺たちに何も言わずに出ていったのか、それを知りたいだけです」

「出ていった理由を、知りたい?」

「はい。ずっと……わからなかったけど。でも、シーランドで、答えに少しは近づけたから。だから……何が本当だったのか、ちゃんと、自分の目で確かめたい」

 沈黙の中、ギリアンがわずかに目を細めた。

(……それだけで来たっていうのか? 父上の前で、そんなにはっきり……。怖くないのか? ……私には、とても言えない)

 エリクスの声に、ウサマはわずかに目を伏せる。

 けれど、自分もまた、父に対して似た想いを持っていたことを思い出していた。

 ホープが、その間を縫うように一歩前に出る。

「陛下。アサドと同じく、ウサマもまた、これから王国の内と外で多くの試練に直面するでしょう。……ですが、彼は誰に導かれるでもなく、自らの意思でここに来ました。今、王の前にあるのは、脅威ではなく意志です」

 ギリアンは立ち上がり、ゆっくりと机の縁まで歩いた。

 そして、ウサマの方へと一歩だけ近づく。

「――ならば、君に問おう。『名』とは、何だと思う?」

 その問いに、ウサマは少しだけ目を見開く。

 名とは何か――それは、今回の旅で何度かぶつかった問いだった。偽名を名乗った自分。名前を隠していたエルセラ。

「……名は、背負わされるものじゃなくて、自分で選ぶものだと……思いたいです」

 ウサマはまだ、自分の名を選ぶ旅の途中なのだと思った。

「では、君の『名』は?」

「それは、まだ、見つけていません……。俺は、何者でもありません」

 ギリアンはわずかに目を細めた。

 その言葉の真意を、静かに測るように。

 横の青年が、一度だけ瞬きをした。

(……それは……私がずっと言いたかったことだ。『王太子(エリクス)』でなければ、もっと違う自分になれたのかもしれない)

 ギリアンは席へ戻り、椅子の背にもたれながら言った。

「――なるほど。今は何者でもないか。では当面、君には『ノクシアルの庇護を受ける者』としての名を与える。行く先々で、その名は通行証となるだろう。だが、それは仮の名にすぎぬ。本当の名を見つけたとき、再び我が前に立て。……その時は、君自身の声で名乗るがよい」

 その言葉に、ウサマは思わず息をのんだ。

 けれど、すぐに深く頭を下げる。

「……ありがとうございます」

 ギリアンは一度ウサマを見やり、軽く顎を引いた。

「ホープ。少し席を外してもらえるか。僕も、彼と二言ほど交わしたい」

「かしこまりました、陛下」

 ホープが静かに一礼し、扉の方へと向かう。ギリアンもそれに続くように立ち上がり、エリクスの肩に手を置いた。

「後は任せる」

(……名を選べる者に、王はなれるのか――お前が見極めろ、エリクス)

 その心の声は、静かにウサマの胸へと落ちてきた。

 ギリアンの足音が去っていくのを聴きながら、ウサマは一瞬だけ視線を伏せる。

 ウサマは何も言わず、ただ、(ギリアン)後継者(エリクス)に告げたその言葉を、胸の奥にそっと仕舞い込んだ。




*   *   *   *   *




 謁見室の重い扉が静かに閉じられたあと、ギリアンとホープは石造りの回廊を並んで歩いていた。

 外の風は冷たいが、天窓から差し込む陽が壁のタペストリーに温かな色を投げかけている。

「……驚いたよ」

 ギリアンが、ホープに向かって呟いた。

「目の色も、髪の感じもジェードに、まぁ、つまり、君に似ていた。けれど――顔、と言うよりも、眼差しと雰囲気が、どうしようもなく、ハリーファだった」

 ホープは立ち止まり、少しだけ眉を寄せた。

「……陛下? ……やはり、ハリーファと会ったことがあるのですか?」

 ギリアンの蒼い瞳が、ごまかすように揺れた。

「陛下がアサドを見た時に、ヴィンセントの名が出ないから、怪しいと思っていたんですよ。ぼくは……結局、ハリーファには会えていないのに」

 ホープは過去の出来事を思い出し、そして続けた。

「ぼくは、あの時、代理戦争の時、ハリーファは、ヴィンセントに一騎打ちで負けたと聞いたので、てっきり死んだものだと……」

「うん、僕も、そう思っていた。だが、」

 ギリアンはゆっくりと息を吐く。

「十年前のことだ。禁書について調べさせたことがある。……シーランドに出回っていると言う異端の書について、中立の情報屋にその内容の調査を頼んだことがある」

第二皇子(ハリーファ)とジェードをヴァロニアに送り返した、サイードと言う人物……ですね」

 ホープはすぐに名を出した。

「その時、僕の前に現れたのが……彼だった。ハリーファ。名乗りはなかったが、すぐに分かった。瞳の色は違ったが、見た目だけなら、まるでヴィンセントだった。そして、あの目は、嘘をつける目じゃない。……だが同時に、誰にも真実を渡す気のない目だったのが、今も記憶に残っている」

「……ハリーファは、陛下に何を言ったんです?」

「彼は結局、僕に答えを返さなかった。ただ、問うた。この国の正義と秩序は、何に根ざしているのか、とね」

「……なるほど」

 ホープはゆっくりと歩き出しながら言った。

「だからこそ、今日の謁見を……ご自身の問い直しに、されたんですね」

「そうかもしれないな」

 ギリアンは歩みを止め、手すり越しに冬の庭を見下ろした。

「……あの時、僕は『王』だった。だが彼は、『亡国の第二皇子』ではなく、『何者でもない者』として僕と向き合った。それが悔しくて、……羨ましかったのかもしれない」

「ウサマもそう言ってましたね。親子だな」

 ホープは目を伏せたまま、低く続けた。

「ぼくも、会ってみたかったです。ジェードが選んだ相手に」

「ところで、……ラシェルは、怒っていないかい?」

 その問いかけには、国王ではなく、一人の友を思う男の顔がにじんでいた。

 親友の妻であり、幼馴染の妹でもある女性を気に掛ける。

 ホープは、少しだけ間を置いてから小さく息を吐いた。

「アサドを見て、倒れました」

 少し怒気を含んだ淡々とした答えに、ギリアンの眉がかすかに動いた。

「……そうか。ヴィンセントめ。救いようのないやつだな……」

 風が一陣、回廊を抜けてゆく。

 二人の影が、石床に静かに揺れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ