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【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第6章 風の行方

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第50話 彷徨と再会の間で

 モレス港を出る船に、少年の姿が紛れ込んでいた。

 それは、港に積まれた袋や木箱を、黙々と運ぶ手伝いをしていた者の一人だ。

 肩に小麦粉の袋を担ぎ、甲板の端で船員たちの怒号と笑いに交じっていた彼は、誰よりも目立たず、けれど誰よりも真剣な顔をしていた。

 ――ウサマだった。

 名を問われることもなく、報酬も約束されていなかった。

 ただ「荷物を運べば船に乗せてやるぞ」と声をかけられたその瞬間から、彼は働き、船に乗せてもらえた。

 船は三晩かけて冬の海を渡り、ヴァロニア側の港町へとたどり着いた。


 朝焼けの中、ウサマは船から降り、背中に小さな包みだけを背負って歩き出す。

 ヴァロニアの空気は少しだけ湿っていて、不思議と懐かしい匂いがした。

 舗装の整った石畳を、足早に歩く。

 港町を出て野宿を何回か繰返したころ、ようやく大きな街に辿り着いた。

 ――今回は、ノクシアルの名を借りる。

 すると、関所もすぐに通り抜けられた。

 そして、やっぱり、関所の役人の心からは(……今の、ルーク卿、だよな?)と聞こえてきた。


 大通りを抜け、運河沿いを辿り、やがて城下から少し離れた場所に屋敷が見えてきた。

 オス・ローに変える前に、名を借りたお礼と、挨拶をしていこうと思っていた。

 ノクシアル邸の門の前に立つと、門番が訝しげに眉を寄せた。

 だが、「以前、侯爵様に助けてもらった者だ」と言うと、門番は思い出したように頷いた。

「……しばらくお待ちを。中に通します」

 重たい門が開く。庭の奥に、白い館の影が見えた。

 玄関の扉が開かれたとき、ウサマは少しだけ肩に力が入るのを感じた。

 まっすぐに通された応接室の扉の前。

 その扉が開いたのは、それからまもなくのことだった。

 中から現れた男――ホープ・ノクシアルが、扉口で一瞬立ち止まる。

 視線が、深く射抜くようにウサマに注がれる。

「……ウサマ、君か」

 その低い声に、ウサマは黙って頭を下げた。

「……また、来ました」

 ホープは部屋の奥へと歩を進めると、椅子を指し示した。

「座ってくれ。何があったのか、聞かせてもらえるかな」

 紅茶が注がれ、湯気の香りがふたりの間に漂う。

 ホープの視線は、ふとウサマの右頬にとどまった。

「……その傷は、どうした?」

 問いに気づき、ウサマは無意識に頬へ手をやる。

「……向こうで、ちょっと」

 そう答える声は淡々としていたが、目だけをわずかに逸らす。

「一人で来たのか?」

 その問いに、ウサマは少し戸惑いながら頷いた。

「はい」

 ホープの眉がわずかに動く。

(……まさか、ノアたちと会ってないのか?)

 その心の声が、ウサマの胸をかすめた。

「……そうか。アサドと、それから、ぼくの息子と一緒に戻ってくると思っていたんだが」

 ウサマは目を上げる。

「……え? 兄さんが? ここに来たんですか?」

「……と言うことは、あの二人とは、会えなかったんだな。アサド……彼は『ノア』と名乗っていたが、ここに立ち寄り、君を探していると話していた。そして、ぼくの息子と一緒に、君を探しにシーランドへ行ったんだ」

 ホープは言葉を選ぶようにゆっくりと話したが、その内容は、ウサマには衝撃だった。

 アサドが、自分を探しに、オス・ローから追ってきた? あの優等生の見本みたいなアサドが?

「……そんな……知らなかった……」

 ウサマは椅子から立ち上がった。

 焦りが、言葉より先に身体を突き動かす。

「じゃあ、俺……港へ行かないと。すぐに戻らないと――」

「待て、ウサマ」

 ホープの声が、低く落ち着いていた。

 けれど、その響きにはしっかりとした力があった。

 ウサマは戸惑ったように、動きを止める。

「もう、シーランドの港はもう凍りはじめている。厳冬の終わりまで、大型船は出ない。……少なくとも半月は無理だ」

 その言葉に、ウサマは目を見開いた。

「……じゃあ、もう一回、歩いてでも!」

 出て行こうとするウサマを、ホープは追いかけて肩をつかんだ。

「落ち着け。……焦る気持ちはわかる。だが今の君がすべきことは、無理を押してシーランドに戻ることじゃない。君と同じように、向こう側も足止めされているはずだ」

 ホープはウサマの目をしっかりと見て言った。

「ここに、しばらく滞在していきなさい。船が出るその日まで。いや、それだけじゃない」

 ウサマは、ホープの言葉に動きを止めた。

「君にも、話すべきことがある。君の兄が何を語ったか、君が知らない家族のこと、君自身の血にまつわることも」

(……今なら言える。いや、言わなければならない)

 ウサマは、目を伏せたまま頷いた。

 これから語られるのは、聞く覚悟を試される話だと、感じていた。


 ホープは、使用人を呼び小さな包みを持ってこさせた。

 布に包まれたそれを開くと、そこには革の鞘に収められた短剣があった。

「覚えているかい? 君が前に泊まった時に、これを部屋に忘れていったんだ」

「あっ……」

 ウサマは、思わず身を乗り出した。

「それ、兄さん……いや、元は母さんの……」

「そう。……この剣の中に、紙が挟まっていたんだ。アサドが、君のために用意していた道しるべだった。君にそれを渡そうとして、この短剣の鞘の中に紙を忍ばせていた」

 ホープは視線を下げ、やや柔らかな口調で続けた。

「だけど、君は気付かなかった。……そのことを、アサドはとても悔やんでいたよ。自分のやり方が、弟には届かなかったと」

 しばしの沈黙が落ちる。

 ウサマは、指先で鞘の焼き印をなぞった。

 それが、母から渡され、兄から託され、気付かぬうちに手放していたものだということが、今ようやく、重さとなって指に伝わってきた。

「……俺、全部、見えてたはずなのに。……見ようと、しなかったんだ」

 その声は、自嘲と悔しさが混ざっていた。

 ホープは、短剣をウサマから取り上げ、包みに戻した。

「これは、まだ、ぼくが預かっておく」

 ウサマは怒られた子どものように落ち込んだ。

 しかし、ホープの声音は戒めのようだったが、心の中は違うようだ。

(これは、アサドと二人で、取りに来た時に返そう)

 ホープは目を細め、少しだけ表情を緩めた。

「だが、君は『運』が良い。この道しるべがなくても、ぼくと出会えたんだ」

 ホープとウサマは、もう一度テーブルを挟んで向かい合った。

 静かな間のあと、ホープが口を開いた。

「……改めて話そう。アサドとぼくは、七年前、ぼくが聖地に行った時に出会ったんだ。その時に、ここの場所を彼に伝えた」

 ウサマは、息を潜めるように聞いていた。

「そして、アサドは、今回、君がここに寄り、母の真実を知るだろうと。そう仕向けたようだ」

「……兄さんが……」

「アサドは賢い青年だな」

「……兄さんは、俺とは違うんで」

「君が賢くないと言っているわけではないよ。でも、彼の思惑に流されず、自分の意志で歩く君も、ぼくは素晴らしいと思っているよ」

 ウサマは、褒められることに慣れておらず、少しうつむいた。

「ぼくの息子、ルークが、君とよく似ていると言うのは覚えているかい? ぼくが君を最初に見た時、そう感じたと話した」

 ウサマは小さく頷いた。

「……目の色と、雰囲気以外、似てるって」

「うん。顔立ちもな。雰囲気は違うが……人は、似る。血が繋がっていれば、なおさら」

 ウサマの眉が動いた。

 言葉の意味を追いかけるように、そっと問い返す。

「え? ……血が、繋がっていれば?」

 ホープは、カップを置いた。

 そして真っ直ぐにウサマの目を見た。

(……ウサマの目は、ジェードによく似ている)

 ホープは心のうちにそう呟きながら、言葉を選ぶように続けた。

「君の母――アデル。君がそう呼んでいたその女性は、昔はジェードと言う名前だった」

 ウサマの喉が、ごくりと鳴る。

 最初は、政庁で女の評議長の口から聞いた名前。そして、魔女の村でも、みんなが母をジェードと呼んでいた。

 そして、魔女ビビが言っていたことを思い出す。

「……母さんは、もしかして、ヴァロニア人なんですか?」

「ああ。そして、ジェードは、ぼくの双子の姉だ」

 時間が止まったような沈黙。

 ウサマの瞳が揺れ、呼吸がわずかに乱れる。

「……双子の姉……? え? 母さんが? ホープ様の……?」

「つまり、君はぼくの甥になる」

 あまりに淡々と語られた事実に、ウサマはしばらく言葉を失った。

 やがて、かすれた声がこぼれる。

「……じゃあ……最初から、知ってて……?」

 ホープは静かに首を振る。

「いや、確信を持ったのは、君が去った後だ。君の持っていたあの短剣――それに見覚えがあった」

「……母さんの短剣に……?」

「そうだ。そして、アサドが鞘に仕込んだ紙には、ぼくの名前と邸の場所が書いてあった。君は知らないまま旅を続けていたけどね。つまり、我々の血縁関係は、アサドだけが知っていたんだよ。七年前から、ずっと」

 ウサマは視線を落とし、アサドの苦悩を想った。きっと母にも言えずに、ひとりで抱えてきたのだろう。

 やがて、ホープが姿勢を正し、視線をウサマに向け直した。

「……さて、ウサマ。君を迎えた以上、ぼくにはもう一つ果たさねばならない約束がある」

「もう一つ……?」

「ヴァロニア王ギリアン陛下に、こう申し上げた。君が現れたときは、すぐに王宮へ案内すると。……君の身柄は、もはや王国としても見過ごせるものではない」

 ウサマは、目を見開いた。

「……ヴァロニアの王様に? なんで?」

「君が何者であるかを、君自身が知るためでもある。……隠すのではなく、正面から差し出す機会を、君に与えたい」

 ホープは、言葉を継ぐ。

「……ジェードの話はしたが、君の父――ハリーファについても言っておこう。ぼくは彼に会ったことはないんだ」

「……そうですか」

 父ハリーファが神魔で、その母が魔女のばーちゃんであることは知った。だが、神魔であるという以外は、ただの一人の父親だ。間違いなく、自分の父。

「だが、君と君の兄の姿を見て、血筋と言うのは……それがどれほど重い意味を持つのか、ようやく解ってきた気がするんだ」

 その言葉は、断定ではなかった。

 けれど、誠実で、どこか優しかった。

 ホープは立ち上がり、ウサマに手を差し伸べた。

「……これから王宮へ向かう。恐れる必要はない。君は、名を持って、歩いてきたんだ」

 ウサマは、その手を見つめ、そして握った。

 今度は父の話を聞く時だ。

 兄が託した道と、今、自分が歩き出す道が――静かに、交わりはじめていた。


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