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【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第5章 魔女の唄

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第42話 天使と悪魔の話

 村に夜が降りると、空気の質が変わる。

 冷たさの奥に、どこか神殿のような静けさが潜んでいた。

 三日目の夜、ウサマは囲炉裏の火を離れ、ひとりで歩いていた。

 木と石の小径を抜けたところで、後ろから声がかかった。

「……そろそろ、話す頃合いかしらね」

 振り向くと、立っていたのはローナだった。

 歳はわからない。だが、村のどの誰よりも静かで、揺らがなかった。

「ついておいで。少し、長い話になる」

 ローナの声に導かれ、ウサマは村の北側へと向かった。

 かすかな月明かりが、石の道を照らしている。


 その途中、北側の小道を抜けた先の、開けた一角に出た。

 そこは、村の中でも特に静かな場所だった。

 木で組まれた屋根と、風よけの布だけで仕切られた、簡素な作業場。

 乾燥中の薬草が棚や網に吊るされ、夜風にかすかに揺れている。

 地面は踏み固められ、草の香りと土の匂いが混じっていた。

 その中に、一人だけ人影があった。

 外灯もない月明かりの下、女が黙々と薬草を整えていた。

 薄い外套をまとい、身支度は粗末だが、所作には聖職者のような整然とした美しさがあった。

 彼女はふと手を止めて、ウサマを見た。

 その視線に、どこか懐かしさのようなものが滲んだ。

「……あなたが、あの人たちの息子なのね。どちらにも、よく、似てるわね」

 小さな声だった。ウサマの耳だけに届くほどの声量。

「……え?」

 ウサマが思わず立ち止まると、ローナがその女の方へ顔を向けた。

「セラ……いや、今は名を隠していたんだったね」

 ローナは目を細めて言った。

「ジェードがこの村を訪ねた時、彼女と少しだけ言葉を交わした人だよ」

 ウサマの胸が、一瞬でざわめいた。

 ジェードと言うのは、多分、母の、もう一つの名。

 その女――セラと呼ばれた女は、目を伏せたまま、ゆっくりと頷いた。

「短い時間だったけれど……あの人の漆黒の瞳を、私は忘れられない。とても静かで、それでいて、覚悟をしていた」

 ウサマはその言葉に、なぜか胸が締めつけられた。

 セラは、それ以上、母のことを語ろうとはしなかった。

 だが、ふと、ぽつりと別の言葉を漏らした。

「……人ってね、誰かを守りたくて生き方を変えることがあるのよ。その人自身じゃなく、その人の背後にいる何かのために、ね……」

 それが誰のことを指しているのか、ウサマには、わからなかった。

 けれど、ローナが一瞬だけ眉をひそめたのを、ウサマは見逃さなかった。

「今はまだ、それ以上語らなくていいよ」

 ローナが優しく口を挟む。

「さあ、ウサマ。こっちへおいで。君の探している答えの、入口はすぐそこだよ」

 ウサマはもう一度、セラの横顔を見た。その目は、誰よりも深く、静かだった。


 ウサマが、自分の方に向き直ったのを合図に、ローナは話し始める。

「じゃあ、導いてあげるよ。天使と悪魔の話を、聞く準備はできてるかい?」

 その声に、ウサマの胸がわずかに疼いた。

 ローナは手招きしながら、やわらかく言った。

「おいで。話をするには、焚き火より静かな場所がいい」

 逆らえない重みを含んだ声だった。足が勝手に動き出す。

 ウサマは黙って、ローナのあとに続いた。

 村の外れ。森に近い、石の祠のような小屋。

 壁の一部は風に削られ、天井に開いた丸窓から月明かりが差し込んでいる。

 中央の石卓に落ちるその光だけが、空間をほんのりと照らしていた。

 ローナはその卓の向かいに腰を下ろした。

 その目は深く澄んでおり、すべてを見透かすようでいて、拒絶の気配はなかった。

「わたしは、天使と悪魔の話を語る者。……語り部の魔女だよ」

「でも、俺……代価を用意してない」

 ウサマの問いに、ローナは頷いた。

「ここに来たこと。それがお前の代価だよ。……お前自身が『問い』なんだ、ウサマ」

 そう言って、彼女は引き出しから何枚かの古びた羊皮紙を取り出した。

 ヴァロニア語で綴られた古文。意味は読めない。

「……何が書いてあるの?」

「読めなくていい。……言葉は紙に宿るものじゃない。魂に刻まれるものだから」

 そう言うと、ローナは一枚の紙を手に取り、語り始めた。

「天使と悪魔――それは別々の存在じゃない。人が名をつけた時点で、そう見えるようになっただけさ。『生』を与えるものを【天使】、『死』をもたらすものを【悪魔】と呼んだ。でも、その本質は同じ。……どちらも、『神』だよ」

 ローナの語りは、まるで古い祈りのようだった。


魔女(ウィッチ)とは、悪魔と肉体関係を持って契約をなし、特別な力と黒髪を手に入れる』


「さも悪魔だけが人間と交わるように伝わるけど、どこかに、天使と契った人間も、いるかもしれない」

 言葉が静かに落ちるたび、ウサマの中で何かがほどけていった。

「そして、お前の母は、完全な魔女じゃなかった。……契った相手が、悪魔ではなかったんだ。あれは――神魔(ジン)。人間と神の狭間にある、特別な存在だ」

 ウサマの喉が、かすかに鳴った。

「やっぱり……父さんが……」

「そう。お前の中にも、その血が流れている。半端な力――完全にもなれず、人にもなれない、厄介なものさ」

 ローナは苦しみも誇りもない口調で、それを言った。

「お前の父――ハリーファという男。あれは、間違いなく神魔(ジン)だよ」

 ローナは両の手を石卓にそっと置き、言葉を紡いだ。

神魔(ジン)は、めったに生まれない。悪魔と契れるのは、生涯でただ一度きり。その一夜に、子が宿ることは……ほとんど奇跡さ。まして、天と地、光と闇の狭間に生まれた存在が、まともに生きていられるはずがない」

 ウサマはただ黙り込んだまま、拳を握った。

「心を読むってのは、言葉より残酷なんだよ。人の恐れも偽りも、欲も絶望も――全部が、押し寄せてくる。だから、奇跡的に生まれたとしても、神魔(ジン)は、たいてい早く壊れてしまう。心を読む力に、心を壊されてね。でも――」

 ローナは、遠くを見るように言った。

「だけど、ハリーファは違った。心を読んでも、平気なふりができた。いや、本当に平気だったのかもしれない。……でも、それは。きっと、ハリーファは、それ以上の何かを抱えてたんだろう。私らにもわからない、誰にも見せなかったものを、ね」

 ウサマは、胸の奥に温かな何かが宿るのを感じた。

 知らなかった父の姿が、初めて、自分の中で形を持ちはじめた。

「母さんは……それを知ってて、父さんと契ったのかな」

「そうだろうね。ハリーファを、救いたかったのかもね」

 ローナは淡く微笑んだ。

「きっと、そうだよ。ジェードもまた、選んだ人だった。あの子も、天命に逆らって、自分で選んだんだ。それで――あんたが生まれた」

 ウサマは目を閉じた。

 あの日見た、あの二人の幻が、心の底から静かに浮かび上がってくる。

「……選べる者、か」

 ローナは、ゆっくりと息を吐き、暖炉の残火を見つめた。

「さあ、今度はお前、神魔(ジン)の血を引く子が語る番だよ。それが代価。生まれてから、ここへ来るまでの全て。……全部、話してごらん」

 ウサマは頷いた。

 たった十五年の出来事を、静かに、順を追って語った。

 その中に、何が起きたかだけでなく、何を感じたかを問われる時間だった。

 思い出して苦しくなる出来事もあった。

 オス・ローでの暮らし、兄や妹に対する想い、突然目覚めた心を読む力、家を出てからの事、貴族に助けられて惨めな想いと暖かさを感じたこと、魔女のばーちゃんとの出会い、自分で縫った傷の痛み、エルセラの瞳に吸い寄せられた時の気持ちも全て。

 でも、ローナは一言も遮らず、時に問いかけながら、静かにそれを受け止めた。

 話し終えたあと、ローナはふっと目を細めて言った。

「やっぱり、あんたの母は魔女じゃない。三人も子を産んでるなんて……魔女にはできないことさ」

 彼女の語りは、真実に触れていく。


「魔女が子を授かれるのは、一度きり。それも、契ったその夜にだけ。それに、魔女になるには、悪魔に選ばれ、愛され、しかも処女でなければならない。

 でも、あんたの母は違った。神魔(ジン)に愛され、契り、三人の子を産んだ。……それは、神魔が選んだ奇跡だ。

 魔女の子――神魔(ジン)の血を引く者は、人の心が読めるがゆえに、他人を信じられず、孤独のうちに朽ちていくものなのに」


「それと、ジェードがさ、『子どもが、人の心を読める事』を心配してたんだけど、どうやら、あんたの事じゃないみたいだね。兄か妹のどちらか、かな?」

「えっ……」

 そうだ。

 どうして今まで気が付かなかったのだろう。この力は、自分だけが持っているものではないかもしれないと。

「だけど、あんたは……」

 ローナは、ウサマの目を見つめた。

「ここまで、自分の足でやってきたあんたは、自分自身で、それを越えられるかもしれない」

 風の音が、祠の外をかすめた。

 ローナの言葉は、ただの知識ではなかった。

 それは、未来の入口を照らす、灯りだった。


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