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【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第5章 魔女の唄

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第41話 男の魔女

 翌朝、ウサマは村の隅にある薬草小屋を訪ねた。

 昨日、女が「会っておいで」と勧めた相手――その人物の住まいだった。

 小屋からは、かすかに薬の焦げるような匂いが漂っている。

 ウサマはひとつ息を吸い、扉を押した。


 中には、一人の男がいた。

 長い黒髪を無造作に垂らし、顔の下半分を白い面布で覆っている。

 黒い麻布の衣に身を包み、背中をこちらに向けたまま黙々と作業していた。

 鍋の湯がくつくつと泡立ち、刻まれた香草が刃先から器へと落ちていく。

「……入れ」

 振り返らずに放たれたその声は、やや高く、それでいて落ち着いていた。

 ウサマは戸口に立ったまま、ためらいがちに口を開く。

「……あんたが、ムゥリ?」

「ああ。そう呼ばれてる」

 言葉に重さも軽さもなかった。

 ウサマはそっと室内に足を踏み入れ、囲炉裏の前に腰を下ろす。

 しばらく無言の時間が流れる。

 湯の苦い匂いが、鼻の奥をじんと刺した。

「……あんた、本当に……男なのか?」

 聞いた瞬間、自分の問いが少し無神経だったと気づいた。

 けれど、ムゥリは刃の手を止めることなく答えた。

「どう見える?」

「……女の魔女だと思ってた」

「なら、それが答えだよ」

 刃が再び香草を刻む。音が静かに響く。

「魔女って、女だけだと思ってた」

「そう教わるからな。都合のいい話さ。魔女は欲望の象徴――とくに、女の。それが世の中の()()の物語なんだよ」

 言葉は淡々としていたが、その奥には何かが沈んでいた。

「契れるのは、処女だけ。……そう言うだろう?」

 ウサマは頷いた。

「でも、処女ってなんだと思う?」

「……え、体のこと? じゃなくて……?」

「そう。心さ。誰のものにもなっていないこと。心も誰にも触れられていないこと。俺は、そうだった。誰にも愛されたことがなかった。誰にも触れられなかった。ただ、それだけ」

 その言葉に、怒りも誇りも感じられない。

 ウサマには、まるで、湯の湧く音と同じくらいに響いた。

「……それで、契ったのか」

「ああ。女じゃなくてもな」

 ウサマはしばらく黙っていたが、ふと、聞いてみたくなった。それは、ちょっとした興味本位だった。

「悪魔ってさ……女の姿だった?」

 沈黙が落ちた。

 ムゥリは一拍置いて、答えた。

「いや。男だったよ」

「……じゃあ、男同士で……?」

 言った直後、ウサマは息をのんだ。

 それは、問いではなく、戸惑いに近かった。

 ムゥリは、火を見ていた。

「そうだね。そういうことになる」

 それだけだった。

 けれど、その静けさが、ウサマの胸に鋭く刺さった。

 聖地では、全ての性別を受け入れているはずだった。

 しかし、聖地で生まれ育ったウサマの心にも、()()()()()()という感覚がどこかに残っていた。それが、今ようやく崩れ始めた。

「……戻れないんだよな。魔女になったら」

「ああ。人間としての生は終わる。子は持てず、血も絶える。ただ、願いのために生き延び続けるだけだ」

 ムゥリは顔を上げた。

 その目は、濁っていなかった。

 静かで、透き通っていた。

「それでも……俺は、生きてる」

 ウサマは囲炉裏の火を見つめながら、ぽつりと尋ねた。

「……後悔してないのか?」

 ムゥリは、少しだけ笑った。

 その笑みには、寂しさと、どこかぬくもりがあった。

「わからない。でも、今こうして、お前と話せてるのが、少し嬉しいんだ。魔女ってのは、基本的にずっと一人だからさ」

 ウサマは息を呑んだ。

 その言葉は、胸の奥に静かに沈んでいった。

「……俺の母も、契った。でも、完全な魔女じゃなかったらしい」

 ムゥリは、視線をそっとウサマに向ける。

「それがどういう意味か、知りたいのか?」

「……うん」

 ムゥリはゆっくりと立ち上がり、火の向こうを指さした。

「契らなかった者たちの墓がある。魔女になれなかった者。あるいは、選ばなかった者。お前にとって、それが何を意味するのか、見てくるといい」

 その声は、静かで、どこまでもまっすぐだった。

「……選ぶってことは、何かを捨てるってことだ。それでも、知りたいのなら、村の北の丘に行け」





 翌朝、ウサマは早く目を覚ました。

 薬草小屋の前にムゥリの姿はなく、囲炉裏の火種だけがまだ赤く残っていた。

 ウサマは言われた通り、北の丘へ向かった。

 雪が薄く残る小道を登ると、広く開けた丘に出た。

 そこには名もない木の十字が、風に晒されながらいくつも並んでいた。

 誰かに命じられたわけでもなく、誰かのために力を使ったわけでもない者たち。

 魔女にも、魔女になりきれなかった者にもなれず、ただここで終わった命。

(……選べなかったんじゃない。選ばなかったんだ)

 土に手をつけて、ウサマはそっと言った。

「……選ぶって、簡単じゃないな」


 母は選んだ。

 父も、選んだ。


 じゃあ、自分は?


 迷いはまだある。

 でも、少しだけわかった気がした。

「俺は、生きる。そして、死ぬ。誰のためでもなく、自分のために」

 風が吹いた。

 その言葉は、土に溶けていった。

 ウサマは立ち上がった。

 もう一度、墓標を見渡し、歩き出した。

 この旅の続きを。

 母の答えを知るために。

 そして――自分自身を、選ぶために。



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