第40話 魔女の隠れ村
風のざわめきに混じって、かすかな歌声が聞こえてきた。
言葉というよりは、呪文のような響きだ。
故郷で聞いた、どこかの宗派の祈りにも似ている気がする。
その懐かしい旋律は、ウサマの鼓動と不思議に重なった。
路地を抜けた先に、小さな広場があった。
囲炉裏を囲むように丸太の椅子が並び、その中心には、干した薬草を広げて作業をしている女たちがいた。
年齢も、風貌も、服装もちぐはぐだったが、その視線は静かで、手の動きは職人のようだ。
ある者は少女のように若く、ある者は壮年に見えた。
だがその誰もが、時を超えたような佇まいをしている。
逆に、囲炉裏の火をくべている老女や中年の男女には、暮らしに疲れたような人間らしさが残っていた。
ウサマは、それだけで悟った。
この村では、歳を取る者と、取らない者がいる。
不老の魔女たちと、そうでない者たちが、共に生きているのだ、と。
女たちはウサマの存在に気づいていた。
だが、誰も驚かなかった。警戒もしなかった。
ただ、受け入れるかどうかを、静かに見極めるような目で、彼を見た。
「……おや、あんた、ビビ様のところから来たんだね」
囲炉裏の端に座っていた、灰色の髪の老女が、柔らかく声をかけた。
その声音に、煙のような懐かしさがあった。
名前は聞かずに来たが、ウサマは不思議と、あの少女の名前だと確信できた。
ウサマは、黙って頷いた。
「ヴィヴィアン様は、元気にしてた?」
骨の細い中年の女が、薬草を揉みながら尋ねた。
ウサマは、少し考えてから答えた。
「……うん。元気……というより、生きてたよ。強く」
その答えに、数人の女たちがふっと口元を緩めた。
それは、笑ったのか、そうでなかったのか、わからなかった。
ただ、その瞬間、ウサマは、この村に受け入れられたのだと理解した。
「ここに座りな。雪で、旅の足は、まだ冷えてるだろう」
誰かが、囲炉裏のそばの席をぽんと叩いた。
ウサマは黙って腰を下ろした。
火のぬくもりが、じんわりと指先に沁みてくる。
「名前は?」
ここでは、偽りの名前は通じない。そう感じた。
「……ウサマ」
その名を告げた途端、広場にかすかな沈黙が落ちた。
誰かが、煙草のような巻き草に火をつけながら呟いた。
「……ウサマ、ね。北へ来るにはずいぶん若い。何歳だい?」
「十五」
「じゃあ、セラフィナの次に若いな」
その声の調子は、からかいでもなく、ただ記録するようだった。
「俺、母親を探してるんだけど……」
ウサマがそう口にした瞬間、広場の空気がわずかに変わった。
全員の視線が、ひとりの女性の方へ向いた。
「……ああ、それなら、ローナだな」
そう言われて、視線の先の魔女が立ち上がった。
歳はわからない。黒髪の、少女にも、大人にも見えた。
その目の奥には、雪よりも深い光が宿っていた。
「いいよ。ウサマ。導いてあげる。だけど、三日、待ってちょうだいな」
その声は、風の中で決して揺らがない火のようだった。
その三日が何を意味するのかは、ウサマにはわからなかった。
魔女の村の夜は、静かだった。
人の声も、獣の気配もない。薪の爆ぜる音だけが、静かな闇の中に小さく響いていた。
ウサマは、寝つけずに村の外れを歩いていた。
体の奥に残る火照り、脳裏に残るばーちゃんの言葉、そして、母への問い。
静けさの中で、かえってそれらが胸の内をざわつかせていた。
ふと、明かりが見えた。
枝と石を積んだ炉のそばに、女がひとり椅子に腰かけ、編み物をしていた。
顔を上げず、ただ糸を操る手だけが静かに動いていた。
「夜は冷えるよ。火のそばにおいで」
ウサマは黙って炉の向かいに腰を下ろした。
揺れる炎に照らされて見えた女の手には、火傷の跡があった。
ウサマは、ふと、母の足に残る火傷の跡を思い出した。
視線を感じたのか、女はぽつりと話し始めた。
「魔女狩りの時さ。この火傷をしたのは」
声は穏やかだった。まるで遠い記憶を誰かに借りて語るように。
「契った時には、誰も魔女なんて言わなかったのに、魔女狩りにあってからは皆に魔女って言われた」
沈黙のあと、ウサマは聞いた。
「……どうして、魔女になったの?」
「死にたくなかった。それだけよ。誰でもそうでしょう?」
女は微かに笑い、言葉を続けた。
「魔女って呼ばれる前はね、人だったのよ」
その一言が、ウサマの胸に、じんわりと沈んでいった。
しばらくして、女はふっと立ち上がった。
「……もし、まだ自分のことがわからないなら、あの人に会っておいで。ムゥリっていう、ちょっと変わり者がいる。……お前と似てるかもしれないよ」
「……俺と?」
「会えばわかるよ」
女は、それだけを言い残し、屋内へと戻っていった。
ウサマは、火の前にひとり残った。
焚き火の余熱。焼けた枝の匂い。乾いた夜気。
ただじっと、夜に身を沈めた。
(……死にたくなかった。それだけ――)
魔女になったら、戻れない。けれど魔女たちは、ただ生きたかっただけなのかもしれない。
母も、そうだったのだろうか。
けれど、死にたくないからって、契るのか? 悪魔と――? いや、神魔と。
(……母さんは、それを、選んだのかな)
今はまだ、答えは出ない。
だけど、ウサマの中で何かが、少しずつ変わっていた。
(魔女ってのは、力を持った者のことじゃない。……選んだ者のことだ)
そして、今、知りたいのは、母の答えじゃない。
(俺が、どうするかだ)
最後の火種が、静かに崩れた。
夜が、深くなり、ウサマは立ち上がった。
魔女の村のすべてを、自分の目で見る。
その先にしか、答えはない気がした。




