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【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第5章 魔女の唄

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第37話 命を喰らうと

 意識が、重たい霧の底から這い上がってきた。

 ウサマは、石のように冷えたまぶたを、ゆっくりと開いた。

 冷たい石造りの天井。鼻先をくすぐる、焦げた薬草の匂いがする。

 静かな、あまりに静かな空間だった。

 どうやら自分は床に転がされているようだ。

『どこだ……、ここ……?』

 声が出ない。代わりにゴホゴホッと、咳き込んだ。喉がひどく乾燥している。

 体を起こすと、目の前に暖炉があり、その前に誰かが座っているのが見えた。

 黒髪の背の低い少女。

 だが、その背中から漂う空気は、少女のものではなかった。

 時間の重み、絶望の澱、そして途方もない静寂。

 ウサマは、本能的に警戒した。

 それでも、声を搾り出す。

「……あんた、誰?」

 声はかすれていた。

 少女は、ゆっくりと振り向いた。

 若い。むしろ幼い。整った顔立ちに、黒い髪。だが、翠の瞳の奥には年齢というものがなかった。

 彼女は、ほんのわずかに口角を上げた。

 笑ったというより、空気が動いたような微笑みだった。

「知りたいかい?」

 静かな、落ち着いた声だ。

 ウサマは無言で頷いた。

 少女は、暖炉の火に枯れ枝をくべながら、淡々と続けた。

「私が誰か知りたいなら、代価を払いな」

 ウサマは、眉をひそめた。

「……代価?」

 その言葉に、ウサマはわずかに目を細めた。

 そして、低く返した。

「……もしかして、あんたも、魔女?」

 少女は、ウサマを見つめ、眉をひそめた。

「……あんた()、だって?」

 その響きに、少女は興味を持ったらしい。

 焚き火の音に紛れるように、少女はちらりとウサマを髪を見た。

「……お前、何処から来たの? 北の村?」

 問いかけには、責めるような意図はなかった。

 ただ、自然に、風が流れるみたいに出た言葉だった。

 ウサマは、少し黙った。

「その答えってさ、代価になるかな?」

 少女は目を細めてウサマを見ると、「その薬草茶、飲みな」と言って、ふいっと他所を向いてしまった。

 ウサマは、カップを両手で包みながら、やけに黄色い茶を飲み干した。

 本当にお茶なのか謎だ。酸味と苦味で、舌がしびれる。

 少女は、火の前で小さな壺をいじりながら、特に何も言わなかった。

 薬草茶だとは告げたが、それ以上の説明もない。

 しかし、しばらくすると、ウサマの体から、徐々に霧のざわめきが抜けていくのがわかった。

「女を助けようとしたら、お前まで引っかかったんだ」

(あれ? もしかして、さっきの紫の霧……、毒だったのか? じゃ、さっき母さんと父さんを見たのは、幻?)

 重たかった四肢が、少しずつ軽くなる。

 だが、回復するにつれ――腹が、鳴った。

 ぐぅ、と静かな部屋に響く音。

 少女はちらりとだけこちらを見たが、すぐまた火に目を戻した。

「……腹減った……」

 ウサマは、ため息混じりに呟いた。

 少女は、焚き火をつつきながら、乾いた声で返した。

「私は食べなくても平気だ」

「そんなの、魔女だって言ってるようなもんじゃねーか」

 ウサマは、そっけなく答えた。

 それでも、自分は腹が空く。

 少女は、薪をひとつ放り込んでから、面倒そうに手を振った。

「勝手に森で探してきな。食いたきゃ、自分でどうにかするんだね」

 冷たくも温かくもない、その言葉。

 ただ、ありがたい事に、出ていけとは言われなかった。

 ウサマは、床に放り投げられていた外套を引っかけ、外へ出た。



 聖地で育ったウサマにとって、北の森はとても冷たかった。

 霧の名残がまだ、地面を這うように漂っている。

 ウサマは、呼吸を整えながら森に分け入った。

 エルセラに教わった通りに、慎重に地面を見、木々を見た。食べられる木の実。毒のない若葉。

 掘り返したら出てきた、ふっくらとした根菜。

 それらを袋に詰めて、森の奥へ進むと、かすかな音が耳に入った。

 ──ぱた、ぱた、と小さな足音と草を踏む音。

 木の根本に、白い影。

 ウサマは、すぐに動かなかった。

 呼吸を殺し、そっと近づく。

 ウサマの異能は、次にうさぎが取る行動まで理解できた。

 確実に仕留められる一瞬を狙い短剣を抜く。

 次の瞬間、うさぎの体が地に伏していた。

 温かい液体が、指先に染みてくる。

 けれど、それでも手を止めることはなかった。

 生きるためだ。

 生きるためなら、手を汚すことを、もう恐れない。

 うさぎを袋に詰める。

 森を後にする頃には、袋はずっしりと重くなっていた。



 住処に戻ると、少女はまだ火の前に座っていた。

 ウサマは、袋をどさりと置いた。

 中からは、木の実、若葉、根菜、そして外で捌いてきた小さなうさぎの肉。

 少女は、ちらりと袋を覗き込み、ふっと鼻で笑った。

「……肉なんか、久しぶりだな」

 興味のなさそうな淡々とした声だったが、その奥にほんの僅か、懐かしさのような響きがあった。

 ウサマは、暖炉の傍らにしゃがみ込んだ。

「食べないのか?」

 ウサマが問うと、少女は肩をすくめた。

「……別に、食わなくても死なない。けど、代価として受け取ろう」

 ウサマは、うさぎの肉を短剣の先に刺し、火のそばにかざした。

 肉の焼ける匂いが、静かな石の家に満ちていく。

 ただ、火を囲んで、焼けた肉と、甘い木の実を分け合った。

 生きている。

 ただ、それだけを、静かに確かめ合うように。

 夜は深く、森の冷気が石壁にしみこんでいた。

 焚き火の火は、小さく、赤く明滅している。

 少女は、片膝を抱えたまま、静かに火を見つめ、ぽつりと言った。

「……忘れてたな。命を食らうと、生きてる気がしてくるよ」

 その言葉に、ウサマは顔を上げた。

「魔女ってさ、食わないと、死んでるみたいなのか?」

「ずっと、食べずにいられると思ってたんだけどね」

 少女は、ふっと肩をすくめてみせる。

「お前、魔女を探してるの?」

 ウサマは、迷った末、短く答えた。

「……母を、探してる」

 少女は、少しだけ顔を上げた。

 その黒い瞳に、わずかな光が宿る。

「母親が、魔女ってわけか」

 ウサマは首を横に振った。

「……わからない。でも、確かに黒髪で、それに……普通じゃなかった」

 今にして思えば、母は、ずっと若かった。横にいる少女ほどではないが、四十歳だとは思えないほど若い。

 少女は、ただ、淡々と耳を傾けていた。

 火の揺らぎが、彼女の影を伸ばし、また縮める。

 ウサマは、拳を握ったまま言った。

「俺、知りたいんだ。どうして、母さんが出ていったのか」

 焚き火の音だけが、空気を満たしていた。

 ウサマは、黙ったまま少女の視線を受け止めた。

 少女は火を見つめたまま、ふっと息を吐いた。

「ま、あんたが奪ったうさぎの命の分、答えてやってもいい」

 言葉は素っ気ない。

「……お前の母親は、多分、契ったんだろう」

「……契った?」

 ウサマは、息を呑んだ。

 少女は焚き火を見つめたまま、長く黙っていた。

 そして、ぽつりと口を開いた。

「……悪魔とね。死を、超えるために」



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