表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】天国の扉Ⅱ 焔を継ぐ者  作者: 藤井 紫
第4章 嘘の名前

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/80

第35話 Between Two Mothers

 午後の陽が、窓辺の赤いカーテンを透かして差し込んでいた。

 部屋の名は【赤の間】。エルセラの滞在しているカヴェリル邸内で、学びの場として設えられた特別な一室だった。

 壁には王家の系譜図、机には重たい書物と羽根ペン、棚には肖像画と礼儀作法の指南書がずらりと並ぶ。

 今日学んでいたのは、隣国ヴァロニアの貴族学の教本だった。

「えーっと……『従属侯爵家の家名は、恩賜された領地の名を冠するのが慣例である』……。うん、知ってるといえば知ってるけど、名前多すぎない?」

 エルセラは椅子に前後に揺れながら、教本の端を指でぱらぱらと弄んだ。

 しかし、読み疲れた表情を見せながら、再びリストに指を滑らせる。



  4.3 List of Subordinate Marquessates Granted by Royal Charter

  (in chronological order of investiture)


  • House of Durnvale – Duchy of Windemoor

  • House of Caerland – Northern Borderlands

  • House of Surric – Highland Marches

  • House of Loxley – Eastern Riverholds

  • House of Norreth – Southlands Rim

  • House of Whitmere – Coastal Reaches

  •House of Noxiale(ノクシアル) (exception(例外))


  Note: House of Noxiale was not established through customary inheritance or territorial conquest, but by direct command of His Majesty King Gillian I.

  As such, it holds no ancestral lands, and answers directly to the Crown.



 従属侯爵家のリストの一番下は、まだ書き加えられたばかりのようだった。

「ノクシアル家、ここだけ例外? えっと、『ノクシアル家は、領地の譲与、または武功による創設ではなく、ギリアン王の王命により、特別に成立した。ゆえに、世襲の領地を持たず、国王直属の家門である』――? ……これは、テストに出そうなやつね……」

「エルセラ様、もう少し姿勢をお正しください」

 傍らの教育係、炎派の女官であるアンナが、やんわりと注意する。

 だがその声に、苛立ちはない。彼女もまた、少女の吸収力の速さに舌を巻いていた。

「ねえ、アンナ。隣国の貴族の名前まで、女王になる時に覚えとかなきゃいけないの?」

「なる時ではなく、なるべき人間は、自然と備えているものです。それに、女王のテストなんてございませんよ」

 アンナの言葉に、エルセラはきょとんとし、すぐに笑った。

「そっか。じゃあ、備えておくね!」

 素直な声に、女官の背筋がほんの少しだけ伸びる。

 この娘は、意志と無垢が同時に存在している。どちらかが欠ければ危ういが、両方あるからこそ強い。

「では、午後の講義は次へ参りましょう。『議会における炎派と氷派の主張の違い』――覚えておいでですか?」

「えっと……氷派は『血統と神の秩序』、炎派は『選ばれた者の理想』を重んじるんだよね? ……違ったっけ?」

 アンナの表情が、かすかに綻んだ。

「正解です。よくお覚えでしたね」

「えへへ。……でもさ、どっちの言い分も、ちょっとは分かる気がする。だからこそ、どっちかが全部正しいなんて思えないんだよね」

 言って、彼女は教本を閉じた。

 その瞳は、どこか遠くを見ていた。赤と白が混じる曖昧な空の色のように。




 日が傾き始めた頃、リナリーは【薔薇の間】と呼ばれる書斎にエルセラを招いた。

 高窓から差す光が、赤と金の装飾を鈍く照らしている。

 部屋の隅には香が焚かれ、どこか異国めいた甘い香りが満ちていた。かつて、あの山奥の家で感じたものと、ほんの少しだけ似ていた。

 エルセラは背筋を伸ばして椅子に座る。リナリーは向かいの執務机に手を組み、まなざしを向けた。

「今日の講義は、どうだった?」

「うん、面白かった。貴族の名前の付け方とか、派閥の違いとか……。でも、『血統が正しさを証明する』っていうの、ちょっと変だと思った」

 まっすぐに語られる言葉に、リナリーの口元がわずかに緩んだ。

「……なぜ、そう思った?」

「だって、誰に生まれるかなんて、自分じゃ選べないでしょ? それなら、何を選ぶか、どう生きるかの方が、大事だと思うの」

 その思考には、育ての魔女の影が色濃く宿っていた。

 『選びなさい、自分で』と、あの人――ママは、いつもそう言っていた。

 どんな時も、自由でいることを許してくれた。

 ファティマの教えは、心の奥に静かに息づいていた。

 けれど今、目の前の産みの母は、自由の代償を問おうとしている。

 リナリーは立ち上がり、無言でエルセラの背後に歩み寄る。指先が、そっと金髪に触れた。

「それなら、もう一度、選びなさい」

 囁く声には、優しさよりも重みがあった。

「誰かに守られる女でいるか、誰かを導く者になるか。そなたは、ただ正しいだけでは許されない立場にいる。それを、理解しているな?」

「……うん。逃げない」

 リナリーの手が、静かに肩に置かれる。

 その掌は、かつてのママの温もりではない。

 だが、確かに未来を託そうとする重さを持っていた。

「よろしい。母として言えば、誇らしい娘だ。――だが、王として言えば、それだけでは足りぬ」

 ひと呼吸置いて、ふと低く囁く。

「それに、そなたの中には、氷を融かす炎の証があるのだから」

 【薔薇の間】に静寂が落ちる。

 けれど、どこかで確かに、何かが始まりつつあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ