第2話 ジェードを探す騎士
世界は、いつも誰かの『声』で決まっていた。
王の命令、神の啓示、古き書物の預言。
それらはすべて、誰かが語った「正しさ」だった。
でも僕は思う。
「本当の声」は、そんな場所にはなかった。
心の底に潜む、他人には届かない震え。
誰にも理解されなくても、どうしても抗えない衝動。
僕は、それを信じていいと思った。
たとえそれが、
兄弟を分かつ選択だったとしても――
* * * * *
聖地オス・ロ―は、大人よりも子どもの数の方が多い場所だ。
焼けた石畳を、裸足の子どもたちが駆けていく。
復興当初、新天地を求めてやってきた若者達が生んだ子ども達や、巡礼に来てそのまま親が亡くなったり、子どもを置いて行かれると言うケースもある。
日除け布の下では、干した果実や薬草が揺れ、軒先の水瓶からこぼれた水が、土にしみて甘い匂いを放っていた。
白壁の家々は連なり、遠くには土色のドームが沈黙するようにそびえている。
信仰と日常、貧しさと祈りが、ここではすべて等しく在った。
――そして、ここは『国家』ではない。
しかし、聖地は全ての人を受け入れていた。
全ての人種、全ての宗教、全ての身分、全ての性別も。
乾いた風が吹く午後。
焼けた石畳の上を、風が吹き抜けていく。
道沿いには小さな露店が並び、香辛料の粉と焼いたパンの匂いが混ざって漂ってくる。
ひび割れた水路には水がさらさらと流れ、巡礼者たちの足元を静かに濡らしていた。
その風の中に、ひとりの巡礼者が足を踏み入れた――。
異国の騎士――ホープ・ノクシアルは、そんな人々の暮らしの気配をそっと眺めながら、小道を進んでいく。旅衣をまとったその姿には華美な気配はない。
ホープは三十三歳にして、初めて聖地オス・ローにやってきた。
彼がこの聖地を訪れた目的は――『ジェード』という名の女を探すことだった。
周りを見回すと、黒髪が多い。白い肌、小麦色の肌。黒い肌、色んな人が強い日差しの下を行き交う。
そんな中に混じっている、金髪の男の子に目が留まる。
(気のせいかな……? ヴィンセントに似ている……)
十歳くらいか、と考えているとその少年と目が合った。
印象的な翠の瞳――。
その少年は緩やかな石段を降りる。
ホープは帽子を取って、軽く頭を下げる。その所作にはどこか騎士らしい気品があった。
「こんにちは。突然すまない。君、聖地の者かな?」
少年が無言でうなずくと、ホープは微笑んだ。
「ぼくはホープ。――ホープ・ノクシアルといいます。ヴァロニアから来た巡礼者でね、少し……人を探しているんだ」
少年が、ホープを警戒しているのは傍目からもわかった。
「……人探し、ですか?」
「うん。もし、案内してもらえるなら、少しだけ時間をもらえないかな。君のような落ち着いた子なら、頼りになりそうだと思って」
少年は驚きつつも、その柔らかい声音に少し警戒心を緩めた。
「ジェードという名前の女性を探していてね。ぼくと同い年なんだ。だから、君から見たら、お母さんくらいの年齢になるかな」
そう言って、彼は案内役に指名した少年を見つめた。
金髪に翠の瞳を持つ少年。瞳の色は違うが、どこかヴィンセントの面影がある。思慮深げな目をした彼は、ホープの言葉に小さく首をかしげた。
「オス・ローには、そんな名前の人はいないと思います。東大陸の名前ですよね」
「……君の言うとおりかもしれない。ぼくは聖地に来るのは初めてなんだ。【天国の扉】まで案内してもらってもいいかな?」
「……いいですよ」
少年は人の流れに乗って、大通りを一緒に歩いていく。
家々の間を通る細い通りの上には、褪せた布が幾重にも張られ、陽の光をやわらかく濾過していた。
地面には幾つかの祈りの石が並べられ、布の影が波のようにゆれている。
少年は慣れた足取りでその影をくぐりながら歩き、ホープはその背中を静かに追った。
焼いたパンの香り、どこか薬草のような乾いた匂い。軒先の子どもたちが地べたに座って貝殻を並べていた。
白壁の家々には色とりどりの布が張られ、風に揺れるたび、陽の光が模様を変えて地面に映し出される。
左右の家の軒先では、薬草や食べ物が売られている。
その風景をもの珍しそうに眺めながら、ホープがふと漏らすように言った。
「ジェードというのは、ぼくの双子の姉なんだ。君が生まれるずっと前から、探してるんだ」
「……双子?」
少年はホープを見上げた。
「双子って、不思議なんだ。離れていても、ふと近くに感じることがあるんだ。……彼女がまだ生きているって、ずっとそう思ってる。そして、きっと彼女も……ぼくのことを、どこかで感じているはずだと」
白い砂がきらきらと風に舞う午後。
巡礼者ホープと、金髪の少年は、ドームの前へと足を運んでいた。
一歩近づくだけで、空気が変わる。風の音が遠ざかり、まるで時間の流れだけが別の場所にあるような錯覚を覚える。
かと思うと、少年はそのまま壁沿いに西へと移動していく。
「ここが……【天国の扉】と呼ばれている場所です」
少年は小さくそう言って、一歩前に出た。
そこには小さな木の扉が付いている。まるで使用人たちが使う潜戸のようだ。
「こっち? 正面の大きい扉じゃないのかい?」
「あっちは祈祷場所です」
岩のアーチに覆われた城砦の入口は、驚くほど小さい。
大人であれば、必ず膝をついて屈まなければ通れないほどだ。
ホープはその姿を見て、自然と立ち止まった。
「なるほど……これは、意図された造りなんだね」
「はい。誰であっても、頭を下げなければ、ここには入れません。騎士は剣を捨てて、王は冠を捨てて、って言われてます」
少年の声は静かだったが、その中にはどこか、年齢に似合わぬ確信があった。
ホープはそっと口元に笑みを浮かべる。
「なるほど。神の前では、誰もが平等……そういう教えなのかな?」
「……それもあります。でも、たぶん……自分が何者でもないって、思えるようにするための扉かなって、僕は思ってるけど」
ホープはふと、足元の砂の音に耳を澄ませながら、少年の横顔を見た。
「君は、そう思うのか?」
「……そう教わったわけじゃありません。でも、母が言ってました。大事なことに出会う前には、一度、ひざをつく場所がいるって」
ホープはしばし黙ってその言葉を受け止め、やがて穏やかに笑った。
「ありがとう、君のおかげで、ここまで来られたよ」
「……いえ」
「ここから先は、ぼく一人で十分だ。大丈夫、もう案内はいらない」
そう言いながら、ホープは少年の目を見ずに、視線をそらした。
「それじゃあ……僕はもう、戻ります」
「うん。ありがとう。――気をつけてね」
風が吹き、扉の向こうから冷たい空気が流れてきた。
ホープはそっと剣を外し、腰に下げていた短剣と共に、入口の傍らに置いた。
武器を持ったままでは、くぐれない構造。そこにもまた、意味があった。
「……よし、行こうか」
自分自身に話しかけるように、ホープは独り言ちた。




