第13話 継がぬ者の証明
王宮の謁見室は、想像よりも静かだった。
高い天井に光が差し、壁には歴代の王の肖像画が掛けられている。それらは皆金髪だが、目の前にいるのは黒髪に蒼い瞳の王だった。
玉座の上、ヴァロニア王ギリアンは黒衣を纏い、蒼い目をこちらに向けていた。
母の祖国の王の前に立ち、アサドは静かに息を整える。
ホープの隣で膝を折り、目線を落とした。
「陛下。ご報告申し上げます」
ホープ・ノクシアルの声が、堂に満ちた。
「私の元に、ある若者が訪ねてまいりました。名はアサド。聖地出身と称しておりましたが、調査の末、真実が明らかとなりました。彼は――」
一拍、間をおいてホープは続けた。
「……ハリーファの子です」
アサドは、その言葉を心の中で繰り返した。
『ハリーファの子――』
その名を聞くたびに、父の瞳の奥に宿るものを思い出す。
けれど、この場でそう名乗ることが、どれほどの意味を持つのかは、まだわかっていなかった。
ギリアン王の表情が、ほんの僅かに動いた。
「……その名は記憶にある。亡命時にシーランドの手に落ち、そして、代理戦争で取り返した、亡国ファールークの第二皇子だな」
ホープは頷いた。
「はい。ハリーファはあの時、姿を消しました。今、アサドと、失踪中の弟ウサマの二人が、その実子であると判明しました」
アサドは、まっすぐに顔を上げた。
「……隠すつもりはありません。僕たちは父と母が旅立った後、その足跡を追って旅をしています。父は聖地で、エブラの信仰のもと、街を守っていた騎士でした。けれど本当の出自は、……僕たちも、最近ようやく知りはじめたばかりです」
ギリアン王は、アサドの言葉をしばらく黙って受け止めていた。
玉座の上、金の装飾に囲まれながらも、そのまなざしは冷たくはなかった。
むしろ、奥に押し込めた何かが、言葉を探しているようだった。
そして、やがて低く、鋭く、しかし確かな声で言った。
「――君たちは、なぜ聖地を出た?」
アサドは一瞬、言葉を詰まらせる。
けれど、嘘はつけない。
「……弟を、探すためです。そして……両親の歩んだ道を、自分の目で確かめたくて」
ギリアンは軽く片眉を上げた。
「では、君の父と母は、なぜ何も話さず、旅立ったのか?」
アサドは、口をつぐんだ。
ギリアンは静かに立ち上がり、玉座から降りてきた。
声はさらに低く、厳しさを増した。
「君の父、ハリーファは、かつて利用される立場だった。生まれも、血も、政の道具にされるべき運命だった」
(やはり……ホープ様の心の声で聞いたことは本当だった……)
アサドの胸がざわめく。
ギリアンは続けた。
「……そして、君の母、ジェードは、私に言った。ハリーファを誰にも脅かされない場所へ連れて行くと。それは国家ではない、オス・ローだと」
その目に、一瞬だけ、懐かしさと苦さが混じった。
「君は、なぜ両親は何も話さなかったのかを、考えなかったのか? それが君たちを守るためだとは」
アサドは、拳を握った。言い返したい言葉は、確かにあった。
でも、胸の奥にある悔しさが、それを飲み込ませた。
ギリアンは、それ以上責めなかった。ただ、少しだけ目を伏せた。
「君がここへ来たこと、それ自体が、答えだ。……父と母の選択の、その続きを歩む者として、立っている。私が、もう一度ジェードと会えるなら、きっと言っただろう。正しかったと」
アサドは、深く頭を下げた。
その言葉の重さに、胸の奥で何かがふるえた。
父も母も、誰よりも、僕たちを想っていた。
王の沈黙が、そのまま赦しに変わったように、アサドは感じた。
アサドは一切の虚偽を込めず、真っ直ぐにその目を返す。
「最後にこれだけは問う。君は、父の代わりに亡国の王位を望むのか?」
アサドは、ほんの一瞬だけ言葉を飲み込んだ。
そして、確信をもって答えた。
「望みません。僕は、王になるためにここへ来たのではありません。弟を探すために、そして、自分の生まれと向き合うために来ました」
静寂が広がった。
ギリアンは、ふっと鼻を鳴らし、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「よい返答だ。……だが覚えておくんだ。血筋は時として、本人が知らぬうちに災厄を呼び込む。君の父も、母も……それを知っていたはずだ」
アサドは頷く。
「……はい。それでも、僕は、弟を迎えに行きます」
ギリアンは立ち上がり、玉座の階段を一段だけ降りた。
その大きな影が、アサドとホープの上に落ちる。
「ホープ。お前が保証するか?」
「はい。命に代えても、この青年を守る所存です」
「ならば、許可する。ウサマと名乗る少年を発見した場合、すぐに連絡をよこせ。……手遅れになる前にな」
「謹んで」
ホープが一礼し、アサドもそのあとに続くように頭を下げた。
王の気配は鋭くも静かで、凛とした空気が謁見室に漂っていた。
その空気の中、アサドはふと、ギリアンの目が少しだけ柔らいだように見えた。
その時、背後から、誰かの心の声が聞こえた。
(……父上の声を、真正面から聞き返せる人間がいたのか)
誰だろうか? と不思議に思いながらも、アサドは静かにその場をあとにした。
* * * * *
王宮の謁見の間――。
赤絨毯が天蓋の奥までまっすぐ伸び、天井には金の文様が巡らされている。
ギリアン王の前に立つのは、ヴァロニアの忠臣ホープ・ノクシアル、
そして、その隣には、まっすぐな背筋の金髪の青年――彼は自分と同じ年くらいだろうか。
「――聖地出身と称しておりましたが、詳細を確認し、事実を知ったのです。彼は、ハリーファの子です」
ホープの声は、曇りなく届いた。
その横で青年も、静かに頭を下げた。
「……弟を、探すためです。そして……両親の歩んだ道を、自分の目で確かめたくて」
ギリアン王は立ち上がり、段の上から二人を見下ろした。
「ホープ。お前が保証するか?」
「はい。命に代えても、この青年を守る所存です」
ホープが一礼し、隣の青年も続いた。
――その様子を、別の扉の陰からじっと見つめる影があった。
王太子、エリクス。
黒髪に蒼い瞳、繊細な顔立ちをもつ青年は、扉の奥で、柱にもたれながら視線だけを会議の間に注いでいた。
その目は、アサドの姿をじっと捉えていた。
(……あれが、亡国の血を引く少年……?)
淡い金髪。翠の目。
だが、その顔には不思議な静けさがあった。
声を荒げることもなく、王の前に立っているというのに、まるで、選ばれたことへの戸惑いも、恐れもなかった。
隣の老臣がひそひそと耳打ちする。
「……王太子様。よろしければ別室へ……謁見は公開されておりませんので……」
だがエリクスは首を横に振る。
扉の隙間から、まるで物語の続きを見逃すまいとするように、アサドの姿を見つめ続けていた。
(――私と違って、自ら選べる者には、それが当然に思えるのだろうな)
「……ウサマと名乗る少年を発見した場合、すぐに連絡をよこせ。……手遅れになる前にな」
ギリアン王の言葉が、広間の奥に響く。
それに二人が礼を返すと、エリクスはようやく息をついた。
(……父上の声を、真正面から聞き返せる人間がいたのか)
そのとき、アサドがふと振り返る。まるで、どこかからの視線を感じ取ったかのように――
一瞬、目が合った。
(――!)
ほんの一拍。
けれどエリクスには、大きな衝撃だった。
彼の胸の中に、小さな火が灯るのを感じていた。
(王子じゃなくても、……人間として会ってみたい)
そんな思いを、誰にも告げぬまま、エリクスは扉の影に姿を消した。




