秘密を握られた王女
本日二話目の更新です。
先に前話『完璧な王女に降りかかった悲劇』をお読みください。
翌日。何も事態に変化がないまま、セリーナの部屋の扉が静かに叩かれた。
「お嬢様、その……カナン様がお見舞いにいらっしゃいました」
侍女の声に、セリーナは一瞬息を詰めた。
(カナンが……?)
セリーナの三歳年上の幼馴染であり、婚約者候補であるカナン・ヴァルデス。王国創建時から続く名門ヴァルデス公爵家の次男にして、この国で最も優秀な青年の一人。
彼は幼い頃からセリーナの隣にいた。いずれ彼女が女王となり、カナンは王配として彼女を支える――それが二人に課せられた未来だった。
政略結婚と言えど、セリーナはカナンを信頼していたし、幼い頃から淡い想いも抱いていた。
それはおそらく、カナンも同様だ。年頃になり、少しずつ変わっていく関係性の中、最近のカナンの目には昔とは違う熱が込められているように思う。
それが、セリーナには恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。
(でも、今は……会いたくない)
隠したとして、この猫耳と尻尾をカナンの鋭い目からごまかせるのか?少しでも不審に思われれば、すぐに問い詰められるだろう。
表舞台に立てない王女など、認められるはずがない。そうなればカナンとの婚約は……その後のことは、考えたくない。
セリーナは軽く息を吐いた。
(とりあえずこの場はそつなく対応して、すぐに帰ってもらう。それしかないわ)
「お通しして」
扉が開き、カナンが姿を現した。
漆黒に近い深い紺色の髪は光の加減で深海のような色合いを見せ、髪よりはやや明るい蒼の瞳には冷静な理知が宿る。整った顔立ちをしており、誰に対しても穏やかで優しく振る舞う姿は優雅で紳士的だ。
背の高い彼は、いつも通りの柔らかな表情でセリーナを見つめている。
「セリーナ、伏せっていると聞いて見舞いに来た。大丈夫か?」
落ち着いた優しい声。それだけで胸が締めつけられる。
「ええ、少し体調を崩しただけよ。もう起き上がれるようにはなっているのだけど、大事をとって少しお休みをいただくことにしたの」
セリーナはできるだけ自然に微笑んだ。
今日の彼女は、普段とは違う柔らかなふんわりとしたスカートをまとい、頭には大きめのヘッドドレスをつけていた。すべて、猫耳と尻尾を隠すためのもの。
カナンはそんな彼女の姿をじっと見つめていたが、やがて小さく笑った。
「……なんだか、いつもと雰囲気が違うな」
「そうかしら?」
気のせいよ、と言いたかったが、彼の指摘はもっともだ。セリーナは王女として臣下に威厳を示すために、普段は可愛らしい格好を避けている。タイトなラインの大人っぽいドレスを着ることが多く、装飾品もシンプルで品の良いものを身につけている。
今日の彼女は、ヘッドドレスとふんわりしたラインのスカートとが相まって、いつもよりも可愛らしい雰囲気だ。
セリーナは侍女がサーブしてくれたカップにそっと口をつけ、視線をそらした。だが、カナンはそんな彼女を見透かすように、少しずつ距離を詰めてくる。
「無理はしていないか?」
「無理なんてしていないわ」
「セリーナは、いつも頑張りすぎちゃうから……」
カナンはそう言いながら、そっと彼女の頭に手を伸ばした。
――撫でられる!?
セリーナは反射的に身を引いた。
「っ!」
だが、そのせいでバランスを崩してしまう。
ふわりと視界が揺れた次の瞬間、強い腕がセリーナの身体を抱きとめた。
「――っ!? か、カナン!」
しっかりと抱え込まれ、彼の胸に顔を埋める形になる。
(まずい……!)
ヘッドドレスに隠していた猫耳が、彼の胸元に擦れる。
「ん……っ!」
思わず漏れた声を噛み殺した。
(な、何これ……! くすぐったいのに、変な感じがする……!)
「セリーナ?」
カナンの腕が、さらに強くなる。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫よ! だから、離して!」
しかし、カナンはそのまま動かない。
彼の蒼色の瞳が、じっと彼女のヘッドドレスを見つめている。
(気付かれた!?)
ーー次の瞬間。
カナンの指が、そっとヘッドドレスに触れた。
「……?」
微妙な膨らみを確かめるように、そっと押す。
「っ……!」
ビクンと身体が跳ねた。
セリーナはすぐに頭を押さえたが、カナンの手がするりとヘッドドレスを外してしまう。
そして――
「……え?」
カナンの目が、驚きに見開かれる。
セリーナのプラチナブロンドの髪の間で、ふわふわの猫耳が、ぴくりと動いた。
「…………」
「…………」
重なる沈黙。
ーー終わった。
セリーナは、カナンの腕の中で目を伏せた。
(見られた……!)
恥ずかしさと絶望で、今すぐにでもこの場から消え去りたかった。
セリーナの耳がへにょんと垂れ、プルプルと震える。
カナンの蒼い瞳が、まじまじと彼女の猫耳を見つめていた。
「セリーナ……これは、猫の耳?」
低く、感情を押し殺したような声音。
羞恥と絶望が入り混じった感情で頭が真っ白になり、セリーナは慌ててカナンの胸を押した。
「カナン、これは……!」
何と説明しようか、パニックになるセリーナ。カナンの方を見るのが怖くて、顔を上げられない。
そんなセリーナに、カナンは恐る恐る手を伸ばしーーその耳に、触れた。
「んにゃっっ!」
不意打ちに、セリーナが思わず声を上げる。
「!……今、鳴いた?」
「な、鳴いてないっ!!」
反射的に顔を上げて叫ぶが、耳がピクッと動いてしまう。
カナンはその動きを見逃さず、ふっと唇の端を上げた。
(……何、今の悪い顔!!)
いつもは穏やかで優しい彼の表情が、どこか意地悪げに歪む。
「猫になったセリーナも、可愛いな?」
「なっ……!」
カナンの囁きが、甘く絡みつくように耳に響く。
こんなカナン、知らないーー!
「カナン……っ」
「怖がらないで」
彼はまるで子供をあやすような口調で言いながら、セリーナの髪をそっと撫でた。
そして、そのまま指を滑らせ――猫耳の付け根に指が触れる。
「にゃっ……!」
ゾクン、と背筋に甘い痺れが走った。
思わず首をすくめる。
「へぇ……」
カナンは楽しそうに微笑むと、指の腹でゆっくりと耳の付け根を撫で始めた。
「ふにゃぁっ……!? ちょっ……や、やめ……っ!」
くすぐったさと、妙に気持ちのいい感覚がない交ぜになり、セリーナの身体がびくびくと震える。
「ふーん、こうするともっと鳴くんだ?」
ククッ、と喉を鳴らして笑いながら、カナンはさらに指先を滑らせる。
柔らかい猫耳の根元を揉み込むように押すと――
「やめっ……! ……んにゃぁっ!」
耳の先がピクピクと震える。
セリーナは慌てて口を塞ぐが、甘く震えた声が漏れてしまう。
カナンの目が細まり、さらに指の動きを変えた。
今度は、耳の付け根をくすぐるように優しく掴んで――くにっ、と揉む。
「にゃぅっ!? ~~~~っ!!」
全身が跳ね上がった。
ふわふわとした猫耳の感触を確かめるように、カナンの指がゆっくりと滑る。
「セリーナ、ここ……敏感なんだ?」
「ち、違うっ……!」
「ふーん……」
カナンは耳を撫でる手を止めずに、指の腹でそっと耳の先を挟む。
そこを軽くつまんで、くにっ、くにっ、と弄ぶように刺激する。
「耳の付け根が気持ちいいの?」
「んっ……!」
「耳の先、熱くなってるね」
「~~っ!!」
セリーナは悔しさに歯を食いしばった。
(こ、こんな屈辱……!)
なのに、カナンの指が動くたび、身体がピクピクと反応してしまう。
(だめ、これ以上は……!)
その時。
ーーコンコンッ
「お嬢様、お茶のおかわりをお持ちしました」
扉の外から、侍女の声がした。
ハッとしてセリーナはカナンを突き放し、慌てて体勢を整える。
カナンも少し距離を取ると、何事もなかったように微笑んだ。
(くっ……!)
扉が開き、侍女が入ってくる。そして、セリーナのヘッドドレスが外れていることに気づいた。
侍女は一瞬目を見開いたが、すぐに安心したように微笑む。
「……よかったですね、お嬢様」
「えっ?」
「カナン様に、すべてを打ち明けられたのですね」
(違う! そんなつもりじゃ……!)
セリーナが反論するより早く、カナンが微笑んだ。
「僕がセリーナを支えます。セリーナ、打ち明けてくれてありがとう。安心して僕に心を委ねてほしい」
優しく、誠実な声音。まるで、本当に彼女を慈しむ婚約者のように。
しかし、セリーナは知っている。ついさっきまで彼が、どれほど意地悪く耳を弄んでいたかを。
(……表と裏がありすぎる!!)
セリーナは悔しさに唇を噛んだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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次話『政務再開(ただしカナン付き)』