エピローグ 舞踏会の抱擁
本編最終話です。
セリーナは、かつての女王としての完璧な姿に戻った。
ただし、以前と全く同じではない。冷徹さが和らぎ、柔らかな雰囲気が増したと評判になっていた。
かつての彼女は完璧すぎるがゆえに、人々が近寄りがたいほどだった。しかし、今の彼女は優雅な気品がありながらも、どこか愛らしさを感じさせる。
「王女殿下、最近ますます美しくなられましたな」
「ええ、それに少しだけ、可愛らしさが加わったというか……」
「カナン様と一緒にいる時など、本当に幸せそうで」
「まあまあ、それを言うならカナン様もですわ。まるで恋する少年のようですもの」
そんな囁きが宮廷内に広まるのは、ある意味当然だった。
何せ、セリーナとカナンの婚約が正式に決まり、その祝宴となる舞踏会が催されるのだから。
◆
セリーナは大広間の入り口に立ち、そっとドレスの裾を持ち上げた。
ーーカナンの色。
今夜の彼女が身に纏うのは、カナンの瞳と同じ、深い青のドレスだった。ドレスの生地は滑らかなシルクで、少し角度を変えれば星のような銀糸がきらめく。袖口や胸元には彼の燕尾服と対になるような刺繍が施されていた。
「……似合うかしら?」
期待と少しの恥じらいを込めてカナンを見上げる。
彼は一瞬、言葉を失ったようだった。
「……すごく、綺麗だ」
その瞳には熱がこもっている。
「ありがとう。でも、こうしてあなたの色を纏うのは、少し恥ずかしいわね。もう少し、さり気なくてもよかったと思うのだけど」
「それは……」
カナンは微かに唇を噛んだ。
「俺のものだって、皆に知らしめたくて」
「っ!」
カナンは耳まで赤くしながら、真っ直ぐに見つめてくる。
ーーこんな不意打ち、ずるい。
まだ始まってもいないのに、セリーナの胸が早くも熱を帯びていくのを感じた。
「……あなたってそんなに独占欲が強かったのね」
「知らなかったか?」
「ええ。でも……嫌じゃないわ」
むしろ、嬉しい。
そう囁くと、カナンは少し恥ずかしそうに目を逸らした。
◆
「王女殿下、カナン様。次はお二人の番です」
楽師が合図を送る。
二人は手を取り合い、舞踏会の中央へと進み出た。
高貴で、美しく、誰もが息をのむ光景だった。
カナンはセリーナの腰に手を添え、彼女の指先を優しく握る。
「……緊張する?」
「少し。でも、あなたがいるから平気よ」
音楽が流れ出す。
彼らの足元から、まるで波紋が広がるように空気が変わった。
優雅な旋律に合わせ、二人はゆっくりとステップを踏む。
セリーナのスカートがふわりと揺れ、カナンの腕が彼女をしっかりと支える。
まるでこの世に二人しかいないような感覚だった。
「……本当に綺麗だ」
カナンの声は、どこか熱を帯びている。
「ふふ、ありがとう。あなたも素敵よ?」
カナンの黒い燕尾服は、普段よりも華やかな装飾が施されていて、彼の気品と美しさを引き立てている。
ーー彼と踊るのが、こんなにも幸せなことだったなんて。
婚約者候補から正式な婚約者になったカナンを見つめ、セリーナは幸せを噛み締めた。
「……どうかした?」
「ううん、ただ……あなたと踊れるのが嬉しいだけ」
「そうか」
カナンの手が、少しだけ強く彼女の指を握る。
その仕草に、セリーナの鼓動が高鳴った。
「……もっと近くに」
「え?」
「みんな、君を見すぎてる」
「……もう、また独占欲?」
「……悪いか。できれば君の美しい姿は、俺だけが見たい」
甘く囁かれ、セリーナはたまらず目を伏せた。
カナンの腕に引かれ、練習の時よりもさらに距離が縮まる。
(だめ、こんなの……嬉しすぎる)
心臓が、苦しくなるほど高鳴る。
すると、その時。
ーーむずむず……
「っ!?」
頭と腰に、嫌な予感が走る。
ーーまさか!?
「セリーナ?」
「ちょっと……!」
曲が終わるや否や、慌ててカナンの手を振りほどこうとしたが、彼は素早く彼女の手を取り直した。
「……!」
次の瞬間、彼はぐっとセリーナを引き寄せた。
「カ、カナン!?」
「こっちだ!」
焦った様子で、セリーナを胸に隠しながらバルコニーへと連れて行かれる。
周囲の貴族たちは、そんな二人の様子を見てニヤニヤと微笑んでいた。
「あらあら、カナン様が我慢できなくなったみたいですわね」
「殿下も随分とお幸せそうで……」
そんな声が飛び交うが、セリーナはそれどころではなかった。
ーーお願い、間に合って……!
バルコニーに飛び出た瞬間。
ーーピョコッ
「くっ……!」
「セリーナ!」
カナンが即座に覆い被さる。
「っ!? ちょ、ちょっと!」
「耳、出てる。動くな」
「わかってるけど……!」
しっかりと抱きしめられたまま、身動きが取れない。
(どうしよう……!)
周囲からの視線をひしひしと感じる。
「カナン、ちょっと……!」
猫耳が見られたら大変だ。でも、このまま抱きしめられているのも別の意味で困る。どうにかしないと……。
そう焦るセリーナとは対照的に、カナンは落ち着き払ったまま、すっと指先を彼女の耳に這わせた。
「っ……!」
ビクッと震えるセリーナ。
「人の目があるのに……!」
小さな声で嗜めるが、カナンはまるで聞いていないように、指先で猫耳の柔らかい毛並みを撫でる。
「……まだ耳が出てる」
「だ、だからって、こんなところで……!」
「こうしてた方が、みんな気を使って近寄らない」
セリーナをしっかりと抱きしめたまま、カナンは低く囁いた。
「っ……」
言われてみれば、確かに周囲の貴族たちは、二人の熱烈な抱擁を見て、少しずつ気を利かせて離れていく。
「あらあら、熱烈な抱擁……カナン様はセリーナ様を本当に愛していらっしゃるのね」
「邪魔しちゃ悪いわね……」
くすくすと笑いながら、彼らはホールの方へ戻っていった。
これで二人きり。
カナンは満足げに微笑み、セリーナの猫耳に再び指を滑らせた。
「最近、セリーナも感情のコントロールが上手くなって、耳を出さなくなってきたからな……」
「っ……」
「久しぶりに触れる」
「えっ?」
彼の指がそっと猫耳を撫でる。
「っ……!」
ぞくり、と背筋が震えた。
「柔らかい……ふふ、やっぱり可愛いな」
「ちょ、やめ……!」
「嫌?」
「っ……っっ……!」
嫌なわけがない。
でも、こんな状況で……!
「耳だけじゃなくて……」
「……?」
カナンの声が、低く甘く囁いた。
「早く部屋に戻ろう。尻尾にも触れたい」
「っっっ!!?」
耳まで真っ赤になった。
「……ほんと、あなたって……!」
「でも、セリーナも期待しているだろう?……スカートの下で、尻尾が揺れている」
「……ばか……っ」
彼の胸に顔を埋め、セリーナはそっと目を閉じた。
◆
そんな二人の様子を、遠くの木陰から見つめる影があった。
「ハァハァ……最っ高……尊い……!」
王宮の庭の木の陰に隠れ、魔女が熱い視線を送っていた。
「セリーナちゃんの猫耳……たまらん……!! カナンくんの独占欲も良い……!! ああ、もっと……もっとイチャついて……!!」
興奮しすぎて、木の枝に手を掛けたままぷるぷる震えている。
ーーだが、その声に気づく者はいない。
バルコニーでは、今もなお、甘い囁きが交わされていたのだから。
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この後は、番外編を二話投稿して完結となります。
次話『番外編 猫耳カナンと甘い朝』




