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『ハックション!』
「う~っ なんかゾクゾクするな。風邪でも引いたかな?」
昨夜、副編集長の水原さんから電話で食事のお誘いを受け、僕は電車を
乗り継ぎ、タクシーで出版社へ向かっている。
今回の帰京は食事以外に何やら嬉しい知らせがあるらしく、僕は若干
期待値を上げつつ胸ポケットからティッシュを取り出した。
「お客さん、温度少し上げましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
(もしかすると社内で誰か僕の噂話でもしてるのかな? 噂話って大体
悪いんだよな~ 栗原さん、副編集長に余計なこと言ってなきゃいいだけどな)
そんな不安も感じつつ、タクシーが出版社に到着したのは午後3時過ぎ。
僕は期待と不安を併せ持ち【会議室B】の扉をノックした。
〈コン!〉〈コン!〉……「失礼します」
「おーっ、田町くん、久しぶりだね」
「お久しぶりです、副編集長。お変わりないですか?」
「相変わらず忙しい毎日を送ってるよ。それより遠い田舎町からわざわざ
キミを呼び出したりして悪かったね」
「いえいえ、そんな。僕もちょうど帰京しようと考えてたんです。
自宅マンションも気になってたんで」と僕は軽く会釈すると副編集長が
隣にいる面識のない若い男性を僕に紹介してきた。
「彼、今回のプロジェクトに参加している成宮くん」
「成宮正樹です。よろしくお願いします」
「田町レンです。こちらこそよろしく」
「まっ、あまり時間もないんでとりあえず本題から入ろうか。田町くん、
USBメモリ持ってきた?」
「あっ、はい」と僕は鞄からUSBを取り出すと「成宮くん、コレ早速3部
プリントアウトしてきて」と彼に指示を出した。
「まぁ、田町くん、座って、座って」
「あっ、はい」と僕は長テーブルのちょうど真ん中の椅子に腰掛けた。
「どう、田舎暮らしは慣れた?」
「はい、慣れたどころか今は快適そのものです。執筆も思った以上に捗るし、
ホント副編集長のお陰です。感謝してます」と僕は深々と頭を下げた。
「いや~ お役に立てて僕も嬉しいよ。それでね、今日田町くんにわざわざ
来てもらったのは直接朗報を伝えたくってね」
「それって電話でおっしゃられてた件ですか?」
「そう。実は田町くんの小説を原作にした映画の話が来てるんだ」
「映画……ですか」
「そうだよ~ 映画だよ」
「そうですか」と僕はなんとも浮かない表情を浮かべ視線を逸らした。
「あれ? どうしたの。なんか都合でも悪いの?」
「いえ、別にそういうわけでは」
「どうしたのさ~ 田町くんにとって映像化は初だろ」
「いえ、2回目です」と僕は遠慮気味にそっと指を2本立てた。
「そ、そうだったかな? すまん、すまん、勉強不足で」
「副編集長がご存知ないのは当然ですよ。あの映画はミニシアターで
ごく限られたエリアでの放映でしたし、期間もほんの僅かでしたから」
「な、なるほどね。でも田町くん、今回は一応全国規模だからね。
事前告知も含め、かなり期待出来ると思うんだ」
「へぇ~ なんか僕にはちょっと想像出来ないですね」
「まぁ、全国ロードショーとなると色々あるからね」
「ところでどの作品ですか?」
「それなんだがね……」と彼はなんともスッキリとしない表情を浮かべた。
「どうしたんですか? まさか、僕はクレジットだけで別の人の小説ってこと
じゃないですよね」
「いや、まさかそんな危なっかしい事しないよ。実はね、田町くんが今
執筆中の作品なんだ」
「えっ、でもまだ完成してないんですけど……」
「そうなんだよ。結構大胆なオファーだろ」
「いや、大胆というより大丈夫なんですか?」
「僕もね、僕も田町くんと同じ事言ったんだよ。でも先方はいたって
前向きでね」と彼は少々困惑した様子で頭を掻いた。
「でも勝算はあるってことですよね」
「原作が田町くんだからさ、映画の内容がどうであれ恐らく一定数お客は
見込めるという事。更に各協賛企業とコラボするらしいから、ある程度計算
は立ってるんだろうね」
「僕が言うのもなんですが、そんな映画作りでいいんですかね?」
「そりゃしょうがないよ。海外に比べて日本人はあまり劇場に足運ばないし、
世界を相手に映画制作に賭けるクリエイターや企業が極端に少ないんだからさ」
「見る側と作る側、両方の責任ですかね」
「責任というか世の中の流れだろうね。小さなパイを奪い合う構図が今の
日本の現状だよ」
〈ガチャ〉〈ゴ――ッ〉
「お待たせしました」
「お~ ずいぶん早かったな」と副編集長はコピー用紙の束を彼から受け取り
その内の1部を僕に手渡した。
「あっ、どうも」
「お~ 随分進んでるじゃないの~ 田町くん」と副編集長は思った以上に
ボリューム感のあるコピー用紙の束をしげしげと眺めた。
2人はペン片手に速読する間、ページをめくるリズミカルな音が無機質な
会議室に響き渡った。
そしてしばし沈黙の時が流れる中、副編集長がペン先で耳の上辺りを
こすりながら僕に問いかけた。
「田町くん、これ以降登場人物って増える?」
「それ以降ですか……、まだ具体的に決まってないですね」
「そう。故意って言うとあれだけど、もうちょっと増やす事って出来る?」
「まぁ、内容的には可能ですね」と僕は鞄からメモを取り出した。
「成宮くんはどう思う?」
「そうですね~ 出来ればもう少し欲しいですね」
「田町くんには申し訳ないんだけどなにせ先方さんがね~」
「先方さんってプロダクション関係ですか?」
「そうなんだよ。今回複数の芸能プロからオファーがあってね、
各社ある程度均等に出演枠を割り当てないと後々面倒なんだな、これが。
まっ、いわゆる大人の事情ってやつだよ」
「なるほど」
「もちろん原作者である田町くんの気持ち、僕は理解してるつもりだよ。
でも、現実はね~」
「いいですよ、副編集長。どんどん要望を言ってください。僕なりに何とか
アレンジしてみますので」
「そうかい。助かるよ」
「あの~ ちょっといいですか? 副編集長」
「何だね、成宮くん」
「就労支援サービスの女の子なんですが、この女の子に今売り出し中の
田坂美来はどうでしょうか?」
「就労支援サービスの女の子? えっ、どっちの子?」
「女性スタッフAの記憶喪失の子です」
「どうしてそう思うんだい?」
「いや、田坂美来って若いのにけっこう演技派なんで、案外上手くこなせると
思うんです」と彼は鞄から彼女の宣材写真を取り出した。
「あ~ この子ね。まぁ、いいんじゃない」
「問題は同じ事務所のこの子ですね」と彼はもう一枚宣材写真を取り出した。
「あの~ お話中すみません。その女優さん、何か問題があるんですか?」
「実は田坂美来の抱き合わせで、チョイ役でもいいからって頼まれたん
ですけど肝心の演技力がちょっとね」
「田町くん、彼女知ってるよね」
「もしかして、あのCMの子ですか?」
「そう。田町くん、悪いけど彼女が素で演技出来るような役、追加して
もらえないかな?」
「分かりました、何とかしてみます」
「そうか。助かるよ、田町くん」
一瞬安堵の表情を浮かべた副編集長からのリクエストはその後も続き、
会食の予約時間が近づいた辺りでようやく会議がお開きとなった。
その後、僕たちは有名割烹料理店に赴き食事を楽しむはずが、僕の予想に
反し出迎えてくれたのは代理店など各クライアントの社員達だった。
つまり今回は単なる食事会ではなくプロジェクトの顔つなぎ的要素が強く、
見知らぬ人との関わりが苦手な僕にとって楽しいはずのお座敷が一瞬にして
苦行の場と化した。
そして2次会終了後ようやく解放された僕は少々ふらつきながらも
エレベーターに乗り込み、45階に向かうまでの僅かな時間と空間に
胸を撫で下ろした。
〈チィ――ン!〉
…………………〈ガチャ!〉〈キィ――ッ〉
僕は鞄をソファーに放り投げ、その足でキッチンに向かうと冷蔵庫の
ドアポケットからワインボトルを取り出した。
3分の1ほど残った白ワインを勢い良くグラスに注ぎこんだ僕はその場で
一気に飲み干した。
「ふぅ~ 疲れた」「いつのワインか忘れちゃったけど、さっきの高級ワイン
より全然旨いよ」
僕はリビング全体を見渡すと次にトイレなど水回りを確認、そして特に
変った様子がない事に安堵するとそのまま再びソファーがあるリビングへと
向かった。
鞄からプリントアウトされた今作品を取り出し、パラパラと数ページ程
めくった僕は角を揃えながら力なくそっとテーブル上に置いた。
食事会から続く一連の気の抜けた行動は僕にとってある意味当然の成り行き
だった。
なぜなら小説の映画化など現状の僕にとってそれほど喜ぶべきオファー
でもなく、むしろ今回のような面倒臭さが尚いっそう際立つからだ。
世間一般では映画の観客動員数が伸びればそれに比例し原作者である作家の
ギャレンティーもおのずと増えると思われがちだが現実は大きく異なる。
それはこの業界特有の慣例なのかは分からないが、多くの作家は一時金を
貰うだけでその後映画がヒットしようがしまいが僕たち作家の収入に何の影響
も及ぼさない。
では一体どれほどの報酬が発生するのかと問われればもちろん作家の影響力、
ステイタスにもよるが概ね低い傾向にあると言えよう。
業界側からすると映画がヒットすればたとえ書籍がずっと以前に出版されて
いようとも再評価され、作家に再び印税が入ってくるのだから文句を言わず
我慢しろと言う事なのか。
確かに作家自身今回のように制作会議に参加するぐらいで、言わば多少
時間的犠牲があるものの金銭的出資をしているわけではないのでそれはそれで
当然なのかもしれない。
僕は強引ながらも自身を納得させ、おもむろに立ち上がるとコピー用紙の束
を持ちながら本棚へと向かった。
……確か左から2つ目の段ボール箱だったよな。
僕は本棚の扉をスライドすると、とりあえず手に持ったコピー用紙を
ぎっしりと詰まった本上部の僅かな隙間へねじ込んだ。
そして若干背伸びをしながら本棚の天辺部分に置かれた段ボール箱を両手で
しっかり掴んだ僕はそのままゆっくり床へと下ろした。
僕はガムテープをはぎ取ると、中から少々古紙の香りがする厚さ約2センチ
ほどのコピー用紙の束を抜き取り最後のページを確認した。
「あれ、まだ話の途中だな。あと4、5ページ先か」
僕は箱の中に山積みされたコピー用紙を上から順にめくり始めた。
そして【終わり】と記されたページにたどり着いた僕はそのページを含めた
約5枚ほど用紙を箱から抜き取ると、先ほどのコピー用紙の束に重ね合わせた。
僕はページの角を綺麗に揃えるため本棚の出っ張り部分を利用しながら軽く
数回バウンドさせた。
〈コン!〉〈コン!〉〈コン!〉……〈コン!〉〈コン!〉
「まっ、こんなもんかな」
僕が今手にしているのはアマチュア時代に書き下ろした人生初の恋愛小説を
プリントアウトしたものだ。
校正などの便宜上あえてファイリングしなかった為、バラバラにならない様
僕は1ページづつ慎重にめくり始めた。
当時、小説内のヒロイン・藤崎ナオミを本気で愛し、そして自らの手で強引
に彼女の人生を終わらせてしまった。
自責の念なのかページ前半部分には多数の書き込みがあるにもかかわらず、
彼女の闘病生活が始まる中盤辺りからは書き込みどころか読み返した形跡
すらなかった。
僕はナオミと過ごした日々を稚拙な文章を通し懐かしむも、やはりと言う
べきか当時と同じく物語中盤辺りでページをめくるのを止めてしまった。
僕はため息交じりに用紙の束を再び段ボール箱に戻すと、本棚にねじ込んだ
最新作も同様に箱内へ収め蓋を閉じた。
小説が無事完成すれば修正など再び用紙が必要となる為、あえてガムテープ
などで箱を固定せず僕はゆっくり段ボール箱を持ち上げた。
僕が先ほどより若干重量が増した段ボール箱を慎重に本棚の天辺部分に
置こうとしたまさにその瞬間、部屋全体が大きく揺れ動いた。
《ガタ!》《ガタ!》《ガタ!》……
「うわっ!」「じ、地震か?」
《ガタ!》
《ガタ!》
《ガチャン!》《ガチャン!》
《ガタ!》
《ガタ!》
《ガチャン!》《ガチャン!》……
「うわ――っ!!」
僕は段ボール箱を持ったままバランスを崩すとそのまま半回転しながら
床に腰を強打した。
「痛って―っ!」「何だよ、も―っ!」
揺れは一瞬で収まりはしたが高層マンション特有の円を描くような反動に
僕は5分近くも苦しめられた。
僕はグルグルと目が回る気持ち悪さを感じつつも、とりあえず辺り一面に
散らばったコピー用紙をかき集めた。
腰を強打したせいで僕は途中何度か立ち上がると腰を中心に数回上半身を
前後に揺さぶって痛みを和らげた。
そういえば僕は以前ナオミにこの仕草を笑われた事がある。
僕は当時誰に笑われたのか分からずその場で固まってしまったのを今でも
鮮明に覚えている。
なぜならその直後、僕の目の前に現れたナオミとの出会いこそが僕たちの
数奇な運命の起点となったからだ。
再び腰を屈めながら散らばったコピー用紙を揃えもせず乱雑に段ボール箱
に詰め込んだ僕はまるで箱に覆いかぶさるように蓋部分に頭を乗せ目を閉じた。
そしてしばらくの間彼女と過ごした僅かな軌跡を回想し、遂に力尽きた僕は
その場で深い眠りについた。