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「どうしたの? 僕、何か、かおりちゃんの気に障る事言っちゃった?」
「ううん…… 違うの」
「じゃ、急にどうしちゃったの?」
「私、この本読んでみたいのに読めないの」
「えっ、読めないってどういう事?」
「だって難しそうな漢字がいっぱいなんだもん」と彼女は再び本をめくり
ながら俯いた。
「な、なるほどね。そう言えばちょっと難しい漢字使いすぎちゃったかな、
カッコつけて、ははっ!」
「そうなの、わざとなの?」
「いや、まぁ~ 何て言うかな~ 冗談だよ、冗談」
僕は返答に困りコーヒーを2口ほどすすると、彼女は布バッグから細長い
ドリルのような物を2冊取り出しテーブル上に並べた。
「私、今ね、漢字のお勉強してるの」
「へぇ~ 凄いね~」
「もうコレは終わって今はコレしてるの」と黄色のドリルを指差した。
「コレ、触ってもいい?」
「いいよ」
「かおりちゃん、ちゃんと勉強してるんだ。偉いね~」
「すごいでしょ!」
「うん、凄いよ! この調子なら僕の本なんてすぐ読めるようになるよ」
と僕はドリルを丁寧に重ね合わせながら彼女に手渡した。
「ホントに? 私、読めるようになるかな?」
「もちろん」
「私、がんばるね」
満面の笑みを浮かべ、ドリルをバッグにしまう彼女を更に喜ばそうと僕は
現在執筆中の作品内容について語り始めた。
「実は今、書いてる小説にかおりちゃんが登場する予定なんだけどいいかな?」
「えっ、私が出るの?」
「そう、大丈夫?」
「いいよ。私、新しい小説が読めるようにもっと一生懸命頑張らなきゃ」
と彼女はバッグから絵本を取り出し表紙を眺め出した。
「ずいぶん読み込んだ本だね」
「まだ買ったばかりだよ」
「そ、そうなんだ」
「図書館から借りたりもするの?」
「うん、借りるよ」と彼女は得意げに僕を見つめ微笑んだ。
「かおりちゃんさぁ~ あの~ ちょっと質問いいかな?」
「な~に?」
「いや、やっぱり止めた方がいいかな……」
「なに~ 気になるじゃない」
「その~ お給料はどうなってるの? 初対面で随分立ち入った事聞いて
ごめんね。あっ、もし答えたくなかったら答えなくていいよ」と僕は作り笑い
を浮かべながら鞄からそっと手帳を取り出した。
「お給料って?」
「いや、かおりちゃんが居酒屋で働いた分、どうなってるのかな~ってさ」
「よく分かんないけど欲しい物がある時は紙に書いて先生に渡すの」
「それってかおりちゃんの代わりに先生が買ってくれるって事?」
「そう」
「お小遣いみたいなのはないの?」
「あるよ。30日か31日に1000円もらえるの」
「千円なの?」
「うん。500円玉を2枚もらえるの」と彼女は小さな財布から500硬貨を
取り出し僕に向けるとすぐさま硬貨を財布に戻した。
「こんな事言っちゃ悪いけどそれで足りるの?」
「うん、私、無駄遣いしないから。でもね、くみちゃんなんか今、3000円
以上あるんだって。すごいよね~」と彼女は興奮気味に目を丸くした。
「ちなみに普段の食事はどうしてるの?」
「お店でみんなと一緒に食べるよ」
「へぇ~ どんなの食べてるの?」
「ほとんどお魚料理かなぁ~」
「でもかおりちゃんはいいよね~ いつも新鮮なお魚食べれて」
「ほとんど毎日だから飽きちゃうよ」
「そっか~ 毎日だったら僕も飽きるかもね。かおりちゃん、今、すっごく
食べた~いってのある?」
「あるよ! ハンバーグ。黒い鉄板にね、こうハンバーグがあって上から
ソースがかかってるの。美味しいそうだったな~」と彼女は幸せそうに天井
を見上げた。
「かおりちゃん、そのお店って近くにあるの?」
「あるよ、このビルの3階に」
「じゃ~ この次かおりちゃんとその3階のお店で会おっか?」
「え~ でも~」
「大丈夫、僕がそのハンバーグご馳走するから!」
「いいの?」
「いいよ。約束するよ」と僕は小指を少し曲げ彼女に向かって
〈指切りげんまん〉のボーズを決めた。
その後僕たちは3階にある洋食店に向かい、ウインドウにあるハンバーグ
のサンプルを互いに確認し、彼女を無事海鮮居酒屋へ送り届けた。
―
――
―――
〈カチッ!〉……〈カチッ!〉「これでよし」
僕は彼女との会話を前回同様時系列にまとめ上げ、室長宛てにメール
送信した。
ただ前回と異なりお小遣いをはじめ、金銭に絡む会話に関してはあえて
記述しなかった。
それは彼女が僕に話した事が原因で、彼女に不利益を被らないよう
僕なりに配慮したつもりだがどうにも気分が落ち着かない。
『基本、お金の話はタブーだから』と半ば強引に彼女を説得、2人だけの
秘密としたが彼女は守りきれるだろうか。
僕は検索画面を開き〈磯田就労支援サービス〉と入力し、ホームページに
アクセスしてみた。
画面を見るかぎり不審な点は見当たらず、スタッフ紹介のページを開き
スクロールすると若干スタッフの多さが気になる程度で特に問題がある
ようには感じなかった。
僕は画面を見つめながら腕を組み、彼女の境遇についてあれこれ考え
巡らせた。
それにしてもお小遣いが月千円って今時中学生でももう少し貰ってるんじゃ
ないの。これじゃ~ まるで小学生だよ。そりゃ、当然喫茶店なんか入れ
ないし、本だって中古か図書館頼みになっちゃうよな。まぁ、食事は居酒屋
だから問題ないにしても、自由になるお金があまりにも少なすぎるってのが
どうも引っ掛かるだよな~ もしかして彼女たち、半ば強制的に働かされて
最終的に摂取されてるのかもな。いや、でも今の日本でそんな事あるのかな?
きっと彼女たちの将来のために貯金してくれてるって考えるのが普通か。
僕はそんな一抹の不安を感じながらも一旦気持ちを切り替え、遅れ気味の
執筆に取り掛かった。