41 黄金と黒炭。
「炭だって大切だよ?」
その一言がプリシラを救った。
金色の髪の妹だけを連れて、今日も父母は出かけていく。今日は観劇だろうか。買い物だろうか。その両方だろうか。
自分の一つ下でまだ七歳の妹が果たして観劇はおとなしく観ていられるのだろうか。
プリシラは仕方がないとはいえ、ずいぶんと大人びた考えをする子供だった。
まだ八歳なのに。
祖父母や周りが、自分が絵本を読み始めたときの期待に満ちた目を見てしまっては。
両親に置いていかれ、その分忙しい祖父母の代わりに自分を構ってくれる書士や料理人見習い、他にも使用人の「兄や」「姉や」たちのような存在がなければ、プリシラはさみしい子供時代を過ごすところだった。
――そして、彼がいなければ。
祖父母だってプリシラを放っておきたくておいてわけではない。
時間ができれば一緒にいてくれた。
今日も父母と妹に置いていかれたプリシラを哀れんでか、祖父は自分が訪問するところに一緒に行かないかと誘ってくれた。
それはホンス家では伝統にもなりつつあった、初めてのご挨拶、でもあった。
貴族ならばいずれ自らより高位のお家にお伺いすることもある。
その最上位たる公爵家に、ホンス家はご縁があり。ありがたいことに子供の経験のために使わせてくれていた。
案の定。自分の家より遥かに豪華な館にプリシラも目を丸くしていた。
自分の三人の子供たちもこうであったと、クリストフは懐かしくなる。
プリシラの父となるクライスなどは今や王妃のマリエラに庭に連れて行っていただいたなぁ……と。
――それがそもそもの始まりであるとは、誰も気がついていなかったから。当の本人、クライスも。
フェアスト公爵とクリストフの話は弾んでいて。
プリシラは気を利かせた執事により庭の花を見てきてはどうかと提案された。公爵家の庭園は季節に合わせて常に見頃の花がある。
「今でしたら早咲きの椿が見頃でございます」
執事は東屋にプリシラを案内して、温かい飲み物とおやつを用意しに戻っていった。彼はきちんと、用意してきたひざ掛けも彼女に渡して。
ちゃんとしているなぁと、プリシラは幼いながらに感心していた。
公爵家はあちらこちらに使用人と護衛がいて、彼が決してプリシラを一人にしたのではないとわかる。目配せされた護衛が小さく頷いていたし、プリシラの目線に気づくと、誰もが安心させるためにか微笑んでくれる。
使用人として「主人」前で表情を変えることはあまりよろしくはないが、子供相手に無表情は逆効果と、きちんと解っている故に、だ。
その庭で。
プリシラは運命と出逢った。
幸いなのはその相手こそが、さらに強くプリシラを愛したこと。
アンドリューと。
「いらっしゃいませ。初めまして。フェアスト公爵家次男、アンドリューです」
「祖父がお招きにあずかりました、ホンス家のプリシラと申します」
その日、両親と妹に置いていかれ、祖父にお供することになったことが。
勉強の休憩にアンドリューが庭園に出てきた偶然が。
「ええ、聞き及んでいます。お祖父様同士が親友だとか。プリシラ嬢とは同じ年だとかも……」
「まぁ、では学園では同じ時期に入学かもしれませんね」
フェアスト公爵とホンス伯爵は、互いがどれほど仲が良くても。
「互いに子が産まれたら」
「もしくは孫が産まれたら」
と、子や孫の意思を確認しないで縁を結ぼうとはしていなかった。
何事にも相性はあるし、大事な子たちだからこそ勝手にはしなかった。
だから。
これは運命だったのだ。
いつしかクリストフがフェアスト公爵家にプリシラを連れてくるのをまてず、ホンス家へアンドリューか向かうようになり。
互いの祖父が「こんなことになるとは」と驚きながらも喜びあった。
まさか親友だけでなく、親戚にもなれる、なんてと。
「僕も、二人の結婚式まで……」
「おいおい、ひ孫が産まれるまで頑張れよクリストフ」
「……ああ」
――その願いは叶えられず。
アンドリューはただ一目惚れではなく、話をしたことでますますプリシラを愛しく想い、プリシラもアンドリューを好ましく想っていった。
けれどもプリシラは始めはアンドリューの想いを――婚約話を中々受け入れられなかった。
アンドリューもその頃にはプリシラの家庭状況を把握していた。彼女の祖父が自分の祖父に我が子の悩みを相談していた経由もあって。
プリシラが妙なところで、自分に自信が無いのだ。
「私は金色じゃないから」
祖父母が、周りの使用人たちがどれほど大切にしてくれていたとしても、やはり彼女にも歪みは生じていた。
けれども、彼女にはやはりアンドリューが運命だった。
アンドリューがプリシラにあった見えない曇りを取り除いた。
「私はこんな黒炭のような髪だから……きっと、価値が……」
馬術部の麗人としていまだに人気を誇る祖母から引き継いだ黒髪だから誇りたいのにと、プリシラ自身も葛藤があった。
「金より炭の方が大事なのに?」
けれどもアンドリューが。
不思議そうに、けれども優しくプリシラに問いかけた。
黄金は美しいし価値があるのは確かだが。
日々、人々をあたためて糧を作る火をおこすのは、炭だ。
「そう、僕の大伯父さまが言っていたことがあるんだ……」
それは後に彼らの「義父」となる方だとは、まだ幼い二人には想像もしていなかったが。それでもこうしたところで縁はできていた。
「エルブライト大公領はここより寒いところだから。冬を乗り越えるための炭は何よりも価値があるんだ」
何よりも。
時には冷たいばかりの――黄金よりも。
部屋をあたためて。食べ物をあたためて。
そしてあたたかいものは、また人の心もあたためる。
プリシラの心を、今まさにアンドリューの言葉と想いがあたためたように。
そうした大切さをアンドリューに教えてくれていたエルブライト大公だったから、アンドリューたちは頼ることにした。
エルブライト大公は、彼は自身も辛い思いをしていたというのに、プリシラを受け入れてくれた。アンドリューのことも。
本当の子の、孫のように可愛がってくれている。
けれどもプリシラは思う。
エルブライト大公家の縁ある金色の髪に囲まれて。
本当に黄金を手に入れたのは――自分は……律していかなければ。
――アンドリューに恋をしたとき。
あの早咲きの椿が美しい庭で、花よりも輝いていた金色の髪を。
――プリシラも、また黄金に囚われた一人なのだろう、と……。
これにて終幕(一応)。思ったより長くなり、お付き合いありがとうございました。
最後はこの二人で締めたかった…。
因果は廻るものなのです。
あんな環境にいて、一人だけ歪んでいないなんてこと、あるはずがないじゃあないですか…。でも彼女なら大丈夫、まっとうにきちんとしてもいますから。
広げた風呂敷が案外大きくて、畳むのが大変だた…。
まだ風呂敷の横に酒豪アンジェリカ嬢のやけ酒伝説や、プリシラの従兄弟さんちの双子ちゃんとか…ちまちまと小ネタが転がっているので、また機会がありましたら。




