2 踏んではいけない、何か。
ホンス伯爵はもちろん孫であるリリアラとて大切にしていた。
たとえどれだけ叱っていても……姉のものを必要以上に欲しがったり、礼儀知らずでマナーも不勉強であっても。我が儘いっぱいで散財ばかりしても。
息子夫婦がどうしてこうなのか。育て方が悪かったのかと悩む。しかし同じように育てて婿に出した次男と同じく嫁に行った娘はそんなことはないと、彼らも集まる度に兄に苦情を言ってくれた。数日間はそれで良くなるが、またしばらくしたら元通りだ。
やはり生まれついた性根か。
それでも決して愛していないわけではいなかった。
そんなリリアラでも幸せになれるよう、きちんと嫁ぎ先を見つけてくれていた。
「ペギュー様、この度は本当に……」
親戚付き合いもあるから、ペギュー子爵は一応式に出席していた。
リリアラの婚約者であった息子はさすがに欠席したが。笑いものになる気はないし、祝福するつもりもないから。
ペギュー子爵は頭を下げるプリシラに――寧ろ貴女が大丈夫かと心配していた。
ホンス家とペギュー家の婚約は――契約は、リリアラの有責で破棄となった。
プリシラも、ある意味彼女も被害者。であるならば彼女ではなく――親や本人が頭を下げにくるべきだろうに。
ホンス家はペギュー家にとって隣地であり、取引先であり、立場も上であった。
両家が繋がれるなら領地の位置からも街道整備などもやりやすくなるから、この婚約はとても良いものだった。
だからホンス伯爵に頭を下げられたのもあるが、あまり評判のよくないリリアラを娶る用意をしていた。
リリアラでは高位貴族の妻は無理だ。
ホンス伯爵はよくわかっていた。
学園に入れてその美貌にちやほやとされても――高位貴族は聡い。
案の定、学園で出会いを期待した、婚約の打診はなかった。まったく来なかった。むしろ婚約者がいる相手に近づきすぎだと苦情は来たが。
高位貴族たちは先を見る。
この娘は、妻には無理だ。遊び相手なら良いけど、愛人か妾も、囲うことも無理だな。
そう――判断された。
マナーが不十分であり学が足りない。学が足りないということは、本妻との付き合いも出来ないだろうと予測された。
そんなリリアラが学園で無事であったのは、後に女伯爵になるプリシラと、将来は義妹になるのだとフェアスト公爵家のアンドリューが背後にいることを、彼らが察したからで。
ちやほやされたのは、彼らの妹であるからということを、リリアラが気がつかなかったのも……また、彼女の足りないところだろう。
伯爵は最後まで孫たちを心配して逝った。
「伯爵とのご縁でございましたが……」
「バルト様にまたお詫びをお伝えください」
バルトは本来ならばリリアラを妻にするはずのペギュー家の跡取り息子であった。
隣地であるから、昔から付き合いはあり、アンドリューとはまた違う幼なじみだった。
息子は美少女ではあるが我が儘なリリアラを娶らなくて済んで喜んでいることを――ペギュー子爵はさすがに口にしなかった。今それはプリシラにいうことではないと、彼は大人であった。
リリアラは自分の家より下の子爵家を、実は馬鹿にしていた。
姉は公爵家のアンドリューを婿として伯爵家を継ぐのに、自分は子爵家などに嫁がされると、不満であったのだ。
それを挨拶の時点で態度や――直に言われたバルトは、それを飲み込み笑った、ずいぶんと我慢強いひとであったのだが。笑みはさすがに引き攣っていたが。
ホンス伯爵家のプリシラとアンドリューの人柄を知っていたから、彼らと親戚になれるなら後々も悪いようにされないと期待したのもある。
それら我慢も、結局は台無しにされた。
……が。
むしろこちらに慰謝料を払ったり、プリシラは、ホンス伯爵家は、大変だったろう。
ペギュー子爵家は自分たちがされたことの怒りよりも、プリシラを気の毒に思う気持が上回ったのだ。さすがに。
「そうよ、どうせならお姉さまがペギュー子爵家に嫁げばいいじゃない」
「そうだ。婚約者を入れ替えるだけだな」
「それなら慰謝料も払わなくてすみますね」
さも良い提案だと、両家の話し合いの場で、謝罪の一言もなくそう言ったリリアラに――ペギュー子爵は自分が親であったらぶん殴っていたのにと。同じく良い案だと笑うリリアラたちの両親を「人の心ないんじゃないのか?」という目で見てしまっていた。
ますますプリシラが気の毒でならず。
いっそのこと本当に彼女がうちに来て――逃げてきた方が良いのではと、息子と一緒に考えてしまいかけた。
しかし。
アンドリューの握りしめた拳を見て。
彼が言う言葉に――引き下がってきた。
「プリシラには……まだ家のことをやってもらわねばなりません」
自分ではまだ解らぬ領地のことがあるからと。他家の者である自分では難しいことがあるから、と。
「あら? じゃあお姉さまにはお仕事してもらわないと」
自分たちの幸せのために、これからも働いてね……と。
結婚して夫婦になる自分たちを見せつけながら、結婚するはずだった姉と暮らすのだという。
それを聞いて、ホンス伯爵家はどうなっていくのだろうとペギュー子爵は薄らと寒くなった。
――握りしめた拳から、爪を食い込ませて血を滴らせるアンドリューに。
話し合いの場を思い出して、ぞっとしているペギュー子爵は。改めてあれは、あの時リリアラたちは、アンドリューの踏んではいけない何かに触れたのではないかと思っていた。
だが、今日。
約定通りに結婚式は行われた。
アンドリューは、リリアラと結婚したのだ。
――あれほど怒りながら……。
「街道の整備についてはまた改めてお話をさせてください」
リリアラのことがあり、縁付いての事ではなくなったが、隣接地であるから整備についてはやはり相談したい。
「え、ええ……ですがどうぞ、落ちつかれてからで……」
「……ありがとうございます」
そんな心底から労うペギュー子爵に、プリシラも心底から頭を下げた。
そりゃ、余波があちこちに飛び火して、後始末大変…そのうちのひとつでした。
虎の尾っぽ、踏み踏み…。