忙しない日々
ネホシェットが去った荒野に、ダフナーとクラウスの二人が残されていた。
ダフナーはネホシェットが去っていった方角を、じっと見つめている。
輝きの森と呼ばれる場所に住むエルフ達が、あの愚かな妖精に脅かされる事はもう二度と無いのだろう。
彼女の悩みの種は消えた。
その事に想いを馳せているのだろうか。
クラウスは声を掛けたりはせず、そのまま彼女が動くのを待った。
やがてダフナーが振り返り、クラウスを見る。
「クラウス……」
ダフナーは何か言いたげだが、どこか迷っているような表情を浮かべていた。
その様子を見たクラウスは笑みを浮かべ、彼女に言葉を返す。
「何か言いたいことがあるなら、遠慮しなくていいぞ?」
「ええ。その言いたいことを、どのように言葉にすればいいのか迷っているのです。あなたに出会えた幸運と、あなたが為してくれたことに対する感謝をどのように伝えようかと……それを考えていました。私が今抱いているこの想いを、何と言って伝えれば良いのか……その言葉が見つからないのです」
「そうか。なんにしろ、役に立てたなら良かったよ」
そう軽い調子で口にするクラウスを見て、ダフナーは目を細めて笑った。
「そんなにあっさりと返されてしまっては、悩んでいた私が馬鹿みたいでは無いですか」
そう言ってダフナーは楽しげに笑う。
クラウスもそれに笑みを返す。
冒険者組合で声を掛けてきた時のダフナーの様子は、随分と張り詰めていたように見えた。
自身に付き従う者達……彼らを守る事の出来る力を持った相手を見つけた。
その相手を何としてでも味方に引き入れようと意気込んでいたのだろう。
あの森の民を守るために、彼女も必死だったのではないか?
その憂いの種はもう無くなった。
今の彼女の表情からは緊張が消え、安らぎの感情が溢れている。
恐らくは、これが彼女の本来の表情なのだろう。
「長年の苦しみが、こんなにも簡単に消え去ってしまいました。正直、まだ実感が湧いていないのです。もしあなたに出会えていなかったなら、どうなっていたでしょう? ずっと思い悩んでいました。私たちだけであれを撃退出来るだろうかと。うまく撃退できたとしても、多くの犠牲が出たでしょう。もしかしたら、あれの言葉通りに我が子らは全て滅ぼされていた可能性もあります。ですが、我が子らはただの一人も傷つくことはありませんでした。あなたが……あなたがたった一人で、あれを完膚無きまでに打ちのめしてくれましたから」
そこでダフナーは感極まったような表情を浮かべ、一旦言葉を区切る。
それからゆっくりと大きく呼吸をした後に、再び話し始める。
「時を経てあれが力を取り戻したとしても、私に逆らうことは出来なくなりました。もう二度と、あれの暴虐なふるまいに悩まされることも無くなったのです。これまでに何度あれに苦しめられて来たか。大勢が死に行く様を見て、あの者を憎み、自身の力の無さを呪い、嘆いていました。ですがもう、思い悩む必要は無くなりました。あなたが、私をその苦しみから開放してくれたのです」
ダフナーは目に涙を溜めながら感謝の言葉を口にする。
クラウスからすれば、それ程大変な仕事でも無かった。
ダフナーの感謝の言葉と、その表情を見ていると、悪く無い仕事であったと思える。
最初は面倒事に巻き込まれたくないからと、彼女の依頼を断ろうとしていた。
もしあそこで断っていたなら、どうなっていただろうか?
あのエルフたちの大勢が死に、あの集落も荒れ果ててしまっていた筈だ。
依頼を断っていたら、クラウスはそれを知ることすら無かっただろう。
面倒だからなどという理由で、依頼を断ったりしなくて良かった。
ダフナーはクラウスに出会えて幸運だったと、そう言った。
それはクラウスにとっても幸運な出会いであったのだと、今はそう思っている。
その幸運があったおかげで、ダフナーと彼女を慕う者たちを救うことが出来たのだから。
ダフナーの感謝の言葉と眼差しに大して、クラウスは微笑みを浮かべて応える。
「冒険者が依頼をこなした。ただそれだけの事だ。結果が満足の行くものだったなら、報酬に少し色をつけて貰えると、俺の雇い主は喜ぶだろう」
「はい、もちろんです。この恩を忘れることは無いでしょう。あなたの雇い主にも私が心から感謝していたとお伝えください」
「ああ、伝えておくよ」
ダフナーは笑顔を浮かべ、自身の領域である森に視線を向ける。
「では、戻りましょう。脅威が去ったことを我が子らに教えてやらなければ」
「俺も戻ったら、雇い主に報告しなきゃ行けないな」
そうして二人は帰路を辿る。
妖精の原野のダフナーの領域まで歩いて戻り、そこから転移門をくぐって、元居た世界に戻っていく。
「雇い主に仕事が無事終わったって連絡をしてもいいか?」
「ええ、もちろんです」
それからすぐに、クラウスは指輪を使い、ローザに念話で連絡をする。
『ローザ、聞こえるか?』
ローザから返事があるまでに、三十秒程間があった。
何か取り込み中だったのかもしれない。
聞こえてきた声音からは、少し驚いているような様子も窺えた。
『クラウス? ええ、聞こえてるわ』
『仕事は無事終わったよ』
『そう? 良かった。本当に良かったわ。あのね、クラウス。仕事を終えてすぐで悪いのだけど、あなたに助けて欲しいことがあって、それで出来るだけ早く追いかけて来て欲しいの』
『ああ、そうか。わかった。すぐに追いかけるよ』
『ブラーゼンという街にいるわ。組合のほうに移動の方法は伝えてあるから、お願いね。ええと、これが終わったら一緒に帝都まで行きましょう。帝都に付いたら、お礼に色々なお店に連れて行ってあげるわ』
『ああ、楽しみにしてるよ』
どうやら、また何か問題が起こっているらしい。
次から次へと忙しい事だ。
ローザもそれを気にしているのか、その口調にどこか申し訳なさげな様子が窺えた。
クラウスは苦笑を浮かべながらダフナーに向き直った。
「ダフナー。今、雇い主と話をしたんだが、すぐに行かなきゃいけなくなった。悪いが、また街まで連れて行ってくれないか?」
「そうなのですか? 我が子らと共に感謝の宴を催そうと思っていたのです。出来れば幾日か滞在していただきたかったのですが……」
「ああ、悪いが、どうやら向こうでも何かあったらしくてな。出来るだけ早く来てくれって言われたんだ」
「そうですか。残念ですが仕方ありませんね。すぐにお送りいたします」
ダフナーが何もない空間に手をかざして呪文を呟くと、その手を差し伸べた先に見覚えのある転移門が現れる。
その向こうには、アケライの街へと続く街道が見えた。
「じゃあな」
「ええ。名残惜しいですが、お元気で。後日、今回の報酬について雇い主の方と話し合いをするときには、あなたも一緒に来るのですよね?」
「ああ、多分来ると思うよ」
「またの訪れを我が子らと共に、楽しみに待っていますね」
「ああ。じゃあ、またな」
「ええ。本当に楽しみにしていますから。必ずまた来てくださいね」
そう言って笑うダフナーの表情は、柔らかく穏やかだった。
クラウスよりもずっと長い時間を生きているのだろうが、優しく微笑むその表情は、年若い少女のような無邪気な喜びに満ちている。
転移門を潜り抜け、数歩歩いてからクラウスが振り返ると、転移門の向こう側からダフナーが言葉をかけてきた。
「それでは、お元気で」
「ああ、あんたもな」
応え、クラウスは再び歩き出す。
歩き出してすぐに、クドゥリサルが語りかけてきた。
「すぐ追いかけて来いって言ってたんだよな? 相変らず人使いの荒ぇ雇い主だぜ」
クドゥリサルの発した言葉はローザを非難する様なものだったが、その声音からは楽し気な様子が窺えた。
「ちょっとぐらい休んで行っても、文句は言われねえんじゃねえか?」
「まあ、急げって言ってたしな。ローザの手に負えない様な事があったんなら、急いだほうがいいだろう」
「ああ、まあ……そう考えると確かに急いだほうがいいのかもな」
ローザなら、多少の事は一人で何とか出来てしまうだろう。
特に帝国内で有れば、その身分に付随する権力を行使することも出来る。
その彼女がクラウスの力を必要としていると言う事は、相応に厄介な事に巻き込まれているのだろう。
「にしても、あとからあとから問題だらけじゃねえか」
そのクドゥリサルの言葉を聞いたクラウスは、笑みを浮かべる。
クドゥリサルの言葉通り、この世界に戻って来てからは、随分と忙しい日々を送っているように思える。
狭間の世界で過ごした日々は、随分と平和だったのだと、そう実感する。
「次が終わったら、少しは休めるかね?」
「どうかな。穏やかに過ごせるなら、そのほうがありがたいとは思うがね」
穏やかに過ごせるなら、それが一番いい。
だが忙しなく過ごすのも悪くは無いと、そう思う。
クラウスが働いた事で、あの美しい集落に住む者たちが穏やかに過ごす事が出来るようになった。
心優しい妖精の憂いを晴らすこともできた。
それを考えれば、多少の労苦など、どうということも無い。
街へと足を進めるクラウスの心は、一仕事終えた後の心地良い達成感で満たされていた。
五章はここまでで終わりとなります。
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