門番
冬が終わり、木々が緑の葉を付け始めている。
クラウスはそれらの木々を眺めながら、あの丘を旅立った春の日の事を思い出していた。
あれから既に十度、季節は巡っている。
長い間歩き続けているが、それを苦痛に思った事は無い。
道行きを急いでいた訳でもない。
ここ迄の道程で目にしてきた景色はどれも美しかった。
クラウスはそれらを楽しみながら、ゆっくりと旅を続けていた
そうして今、クラウスはその視線の先に天高くそびえ立つ山を見ていた。
「もしかして、あれがそうかな?」
「ん〜、どうだろうな?」
その山の頂上は雲に覆われて見えなかった。
まさに天を突く山だ。
これまでにいくつもの山を越えてきたが、これ程に大きな物に行きあった事は無かった。
「これだといいが……もし違ってたらどうするんだ?」
「その時はまた先に進むだけだ」
クドゥリサルの問いに、クラウスは笑いながら答える。
この山が目的地では無かったとしても、何も問題は無い。
その時は、また先へと進むだけだ。
「もしかして、頂上まで登らないといけなかったりすんのか?」
「どうだろうな? まあ、行ってみればわかるだろう」
クドゥリサルと話をしながら、クラウスは山に向かって歩いていく。
その山の大きさは想像以上だった。
その山を見つけてから、その麓に辿り着くまでに三日を要した。
そうして辿り着いた山の麓には、いくつもの巨大な柱が並んだ通路のようなものがあった。
「いかにも何かありそうな感じだな」
「ああ、なんかそれっぽいがどうなんだろうな?」
「まあ、行けばわかるか」
歩きながら、クラウスは腰に下げた剣と会話を続ける。
「そういや、あの丘を出発したのも、もう十年前になるんだよな」
「ああ、ちょうど十年前の春だったよ」
クラウスは感慨深げに山を見上げる。
なおも並び立つ柱の間を歩いていくと、前方に巨大な通路のようなものが見えてきた。
それは岩をくり抜いた半円形の隧道のように見えた。
天井の高さはクラウスの身長の四、五倍はある。
横幅はさらにその倍はあった。
一体どのようにして加工されたのか、その通路の床や壁はまるで丹念に磨き上げられているかのように、傷一つ無い。
その通路はずっと真っ直ぐに続いていた。
一体どこまで続いているのか、その先を見通す事も出来ない程だ。
「進んでみるんだよな?」
「ああ、もちろん。間違ってたら引き返せばいいだけだしな」
クドゥリサルの問いに答えながら、クラウスは広々とした通路を歩いていく。
その通路の壁には、一定の距離ごとに光を発するガラスのような球体が設置されており、通路内を明るく照らし出している。
その真っ直ぐな通路をひたすらに歩き続けて一時間近くたった頃、ようやく通路の終わりらしきものが見えてきた。
通路の先には、半球上の巨大な空間が広がっていた。
反対側の壁は見えるが、かなりの距離がある。
端から端まで、どれ程の距離があるのかわからない程に広い。
クラウスはその空間に足を踏み入れたところで立ち止まる。
はるか先にある壁に、扉らしきものがあるのが見えた。
この距離ではっきりと確認出来るということは、相当な大きさなのだろう。
そしてその扉の前には、黒い彫像のような物が置かれているようだ。
遠目ではよくわからないが、それは竜を象っているように思えた。
「おい……冗談だろ?」
絞り出すような、クドゥリサルの声が聞こえてくる。
気のせいか、扉の前の彫像がわずかに動いたように思えた。
「クソが、なんであんなのがいやがる!」
クドゥリサルが吐き捨てるように声を上げる。
彫像に見えたそれが、動いていた。
足を動かし、歩いて移動したようだ。
そう、それは彫像などでは無かったのだ。
距離があるせいで小さく見えるが、実際にはどれ程の大きさなのだろうか?
全身の毛が逆立つのがわかった。
それは、久しく忘れていた感覚だ。
一体いつ以来だろうか?
これ程に死を身近に感じたのは。
「あれは何であんなところにいると思う?」
「あまり考えたくねえが、あの扉を通さねえように守ってんじゃねぇか?」
「腰を低くして頼んだら通しちゃくれないかね?」
「試してみちゃどうだ?」
クドゥリサルの言葉に、クラウスは笑みを返しながら、その剣の柄に手を掛ける。
「一応言っとくが、あれはただの竜じゃねえ。おそらく原初の竜だ」
「原初の竜? 何だそりゃ?」
「世界の始まりから存在する連中だよ。かつて神すら殺したって言われてるような存在だ」
神すら殺すような存在。
人の身で、そんな者を相手にするのは無謀である気がする。
だがクラウスの直感は、それに異を唱えていた。
「その割には、それほど勝ち目が無さそうにも思えないんだがな」
「まあ確かに。見た限り、今のお前なら勝てねえ相手じゃねえ。分はかなり悪そうだがな。やるつもりなのか?」
「他に方法があるなら、そっちを選択したいがね。話し合いで解決出来そうか?」
「まあ、厳しいんじゃねぇか?」
「だよな」
「あれの目を盗んで扉にたどり着くって手もあるぜ?」
「もう無理だろ? 今更見逃してくれるとは思えん」
「まあ、そうかもな……」
クドゥリサルは諦めたように嘆息する。
「お前、老衰で死にたいって言ってたよな?」
「ああ、まあ……それが最上だが、戦いの中で死ぬのはその次に良い」
「その最上を求めようとは思わねえのかよ?」
「選べるんならそうするさ。だが、あの先に進まなきゃこの世界から出られないってんなら、戦うしかないだろ?」
数百年もの時を……人としては長過ぎる時間を過ごして来た。
それは彼にとってかけがえの無い、素晴らしい時間であった。
出来ることなら、人としての生を再び歩みたいと思っている。
だが、たとえこの場で死ぬのだとしても、それはそれで悪くないとも思っていた。
この世界に来る前も、この世界にやってきてからも、彼は変わらず戦士であり続けた。
戦士として、戦いの中で死ぬ。
それが自身の望む最上の死に方では無かったのだとしても、悔いなど残るはずも無い。
「あれを相手にするのに、何か助言はあるか?」
「ああ、やるってんなら自分が不死身だってことは忘れろ。重傷を負って一瞬でも身動きが取れなくなったりしたら、そのまま跡形も無く摺り潰されて終わっちまうぞ。あと、あの図体だからって鈍重だなんて思うなよ。奴らはあの巨体で、小型のトカゲより素早く動くからな」
「わかったよ。頼りにしてるぞ、相棒」
「おうよ」
視線のはるか先で、竜が体を低くして体を左右に揺するのが見えた。
それは俊敏な獣が、獲物に飛び掛るときの動作によく似ている。
クラウスは反射的に体を撓め、身構えていた。
口の端が自然と吊り上がる。
次の瞬間、竜の体が宙に浮いた。
その姿がみるみる大きくなっていく。
「クラウス!!」
クドゥリサルの切羽詰まった呼び掛けを聞くまでもなく、クラウスはその竜の動きに反応する。
一瞬で、それは来た。
あの距離を、たった一回の跳躍で、それは跳んで来たのだ。
右前足を大きく振り上げた状態で跳躍してきた竜は、跳んできた勢いのまま、その前足をクラウス目掛けて振り下ろしていた。
竜の爪が地面に叩き付けられる。
竜はさらに右前足で三度、左前脚で一度、まるで熟練の拳闘士のように、緩急を付けた連続攻撃を繰り出して来る。
地を蹴ってその場を離れながら、クラウスはその攻撃を躱す。
竜の動きはクドゥリサルの言葉通りに俊敏であったが、その動作は認識しやすかった。
予備動作を極限まで廃し、さらに意識の間隙を突いてくるアディメイムの攻撃とは比べるべくも無い。
だが、その威力は桁違いだ。
誤って躱し損ねれば、触れた箇所が跡形もなく吹き飛ばされるだろう。
全ての攻撃を躱された竜は、様子を見ているかのように動きを止め、こちらを伺っている。
そうしてただ対峙しているだけで、恐怖で逃げ出したくなってくる。
懐かしい感覚だった。
死ぬかも知れないという恐怖。
その状況を彼は楽しんでいた。
この世界で過ごして来た日々によって、自分は変わったと……そう思っていた。
だが数百年の時を経ても、その狂った性根は変わっていなかったらしい。
クラウスの楽し気な様子に気づいたのだろう。
クドゥリサルが、わずかに呆れたような声音で語りかけてくる。
「なんだ? 随分楽しそうじゃねえか」
「そうか?」
「ああ……お前そういう手合いだったのかよ?」
「そういう手合いってのは、どういう手合いだ?」
「生きるか死ぬかって命懸けの状況を楽しむような、イカレた手合いさ」
「ああ、そうさ。知らなかったのか?」
「知るわけねぇだろ?」
クラウスは笑みを浮かべたまま、手にした相棒と軽口を叩く。
その視線の先に立つ竜が、大きく息を吸い込み、その喉が大きく膨らむのが見えた。
戦士としての本能が警鐘を鳴らす。
全身から冷たい汗が吹き出して来る。
「息だ! 後ろに周り込め!」
クドゥリサルの声を受け、クラウスは竜の脇をすり抜けようと走り出す。
竜の口腔から噴き出した炎が、さっきまでクラウスが立っていた場所を通り過ぎていく。
それを直接浴びることは無かったが、至近距離を通り過ぎた炎の凄まじい熱気が肌を焼き、皮膚がただれて激痛が走る。
だが、それも一瞬で消え去った。
慣れない火傷の痛みに歯を食いしばって耐えながら、クラウスは竜の脇を走り抜ける。
さらに駆け抜けざまに、その後ろ足目掛けて斬撃を見舞う。
振るった刃は分厚い竜鱗とその下の肉を切り裂き、傷口から鮮血が迸った。
そのまま背後に回ったクラウスを、竜はその尻尾で薙ぎ払おうとするが、クラウスはそれを飛び退って回避する。
クラウスはそのまま竜の周囲を走り回り、その攻撃を回避しながら斬撃を見舞い続ける。
竜は素早かったが、その攻撃は読みやすく、躱すのも難しくはない。
クラウスの攻撃は竜からすれば大した傷にはならないのだろうが、ひたすらに繰り返していれば、いずれは力尽きるはずだ。
そう考え、クラウスは攻撃を続けたが、さすがにそれ程甘い相手では無かったようだ。
竜はさまよい人程では無いが、傷を治癒する能力を持っていた。
クラウスは竜の体にいくつもの傷を負わせたが、暫くするとその傷も消えてしまっている。
小さな傷をどれだけ付けたとしても、おそらく意味は無いのだろう。
クラウスの攻撃は致命傷にはならない。
だが竜の一撃は、掠っただけでもクラウスにとっては命取りになる。
竜の攻撃を一撃でもまともに喰らえば死がほぼ確定するため、些細な失敗も許されない。
何百回、何千回と試行を繰り返すうちに、いずれは捕まるだろう。
このまま戦い続けても、勝機はほぼ無さそうだ。
勝つためには賭けに出るしかない。
そのクラウスの考えを知ってか知らずか、クドゥリサルが声を掛けてきた。
「相棒。わかっちゃいるとは思うが、このまま続けても勝ち目はねぇぞ?」
「そうだな。何か手はあるか?」
「ああ。あの竜の目を突けるか?」
「目? お前をあの竜の目に突き刺せばいいのか?」
「ああ、出来るだけ深くな」
「わかった。やってみよう」
クラウスは竜の動きに注意を払いながら、ジリジリと間合いを図る。
そうして様子を見ながら、クラウスは竜が炎を吐き出すのを待っていた。
炎を吐き出す瞬間は、その竜の頭の動きも小さくなる筈だ。
その瞬間が、目を狙うには絶好の機会となる。
竜の喉が膨らむのが見えた。
そうして、竜がその口を開いた瞬間に、クラウスは動いた。
吐き出された炎を掻い潜りながら、クラウスは竜へと肉迫する。
竜はそれに対応しようとしたのか、頭を巡らせてクラウスを追うが、彼を捉えることは出来なかった。
炎を躱しながら剣の届く距離まで近付いたクラウスは、今尚炎を吐き出し続けるその頭を目掛けて剣をつきだした。
その剣は竜の右目に深々と突き刺さる。
「くたばりやがれ!」
クドゥリサルが物騒な叫び声を上げると同時に、その剣身がまばゆく輝く。
それは何らかの魔術なのだろうか?
剣を突き刺したその先の竜の後頭部が、光と共に弾け飛ぶのが見えた。
頭の上部の右半分を吹き飛ばされた竜の体が、わずかに揺らいだ。
だがそれだけで、竜はまだ倒れることなく立っている。
「クソが! 頭を吹き飛ばしても駄目なのかよ?」
クドゥリサルの悪態を聞きながら、クラウスは間合いを外し、竜の様子を伺う。
竜が凄まじい大音声で咆哮を発した。
それから、その頭を振り回し狂ったように口から炎を吐き散らし始めた。
その炎を走り回って回避しながら、クラウスは竜の様子を確認する。
頭の上部……その右半分を吹き飛ばされていながら、竜は尚も生きている。
だが明らかにその動きは鈍っていた。
また先程までと違い、ただ無闇に暴れ回るその姿からは、明確な意思を持って行動しているようにも見えない。
効果が無かったわけでは無い。
まだ致命傷には届いていないだけ。
ならば相手が倒れるまで続けるだけだ。
「頭がダメなら他に何処が弱点になる?」
「心臓だろうな」
「そうか。今なら懐にも入れると思うが、さっきの奴はまだいけるか?」
「ああ、いけるぜ」
「二回はどうだ? いけるか?」
「二回?」
「ああ、心臓と……頭をもう一度やる」
「そういうことか。ああ、問題ねえ」
周囲に炎を吐き散らす竜に向かって、クラウスは走り寄る。
クラウスの顔からは全ての表情が消えていた。
その全神経は、眼前の敵を打ち倒す、ただその一点のみに注がれている。
まるで時間が引き延ばされているかのように感じられる。
周囲のあらゆる物の動きが遅く感じられる中を、クラウスは竜に近づいて行った。
繊細な足さばきで、狂ったように暴れる竜の攻撃を紙一重で躱しながら、その懐に入り込んで行く。
竜の攻撃を幾度か躱した末に、その胸元へとたどり着いた。
そこから竜の胸、心臓のある場所を目掛けて、手にした剣を突き入れる。
その直後、剣が光り輝いた。
その光が竜の背中から飛び出し、弾けて散った竜の背中の肉と血が、激しく飛散する。
すぐさまクラウスは間合いを外し、それから竜の肩に飛び乗り、さらに竜の頭を狙う。
そのまま残った竜の左目に向けて、剣を突き入れた。
再び剣が光り輝き、竜の頭部を吹き飛ばす。
一度目の攻撃で受けた竜の後頭部の傷は既に再生を始めていた。
だが二度目の攻撃を受けて、その頭部の上半分は完全に消失していた。
クラウスは再び間合いを外して距離を取り、竜の様子を伺う。
竜は倒れるだろうか?
これでも駄目ならどうするか?
他にまだ手はあるだろうか?
そうやって、この先の対応について思考を巡らせていたクラウスの視線の先で、竜の巨体はゆっくりと傾き、大きな音を立てて倒れた。
それを目にしたクラウスは大きく息を吐く。
それは安堵の溜息だった。
「おう……やったな、相棒」
「ああ、何とかなったみたいだな。これで倒れなかったらどうしようかと思ったが」
苦笑を浮かべ、その場に座り込む。
数百年振りに命を賭して戦った。
疲れる事など無いはずであるのに、凄まじい疲労感を感じている。
だがそうやって座り込んだクラウスを、クドゥリサルが叱咤する。
「休むのは後だ、相棒。相手が相手だ。あの状態がいつまで続くかわからんぞ? 休むならあの扉の中に入ってからにしろ」
「そうなのか? 心臓と頭を潰してんだがな……」
「神は死にはしても滅びはしない。倒してもいずれ蘇る。こいつもそのうち蘇るぞ?」
「なんだそりゃ? とんでもねえな」
クラウスは苦笑を浮かべながら立ち上がる。
「今更だが、そんなのを良く倒せたよな」
「おう、相手は原初の竜だからな。元の世界に戻ったら自慢できるぞ?」
「まあ、そんな話をしても誰も信じやしないだろうけどな」
「まあ、そうかもな」
そうやってクドゥリサルと笑い合いながら、クラウスは扉へ向かって歩いていった。




