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さまよい人は帰り来たりぬ  作者: 神誠
第四章 去り行く者たち

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旅立ちの日

 ショーシャナがこの世を去ってから、一週間が経った。

 その日もいつものようにクラウスは湖のほとりに一人座り、周囲の景色を眺めていた。

 いつもと変わらない朝。

 この場所でただじっと景色を眺める……三百年以上もの間繰り返してきたそれも、今日が最後になる。


「かみさま!」


 今日もまた、ティルヤがやって来た。

 クラウスを見つけたティルヤは顔いっぱいに笑みを浮かべ駆け寄ってくる。


 そうして今日もまた、クラウスはティルヤの遊び相手になって、時間を過ごした。

 木の枝を剣に見立てて、二人で打ち合ったり、湖に石を投げたりして遊ぶ。

 浅瀬に足を踏み入れ、バシャバシャとしぶきを立てながら走り回る。


 そんな事をして時間を潰す。

 この一年間、ほとんど毎日繰り返してきたのと同じ事を、今日も繰り返している。


 クラウスは明日、この地を離れる。


 弟子たちには伝えずに発つつもりだった。

 彼らにはアディメイムがいる。

 クラウスがいなくなったとしても、何も心配はいらないだろう。


 だが、この子には伝えなければならない。

 何も言わずに突然居なくなってしまえば、この子はきっと困惑するだろう。

 この子に関してだけは、アディメイムがクラウスの代わりをしてくれることも無い。


 その後もいつものようにティルヤの遊び相手をした。

 時間は過ぎてゆく。

 やがて、ティルヤがいつものように声を上げる。


「ぼく、もうかえんなきゃ。かみさま、ありがとう!」


 そう言っていつものように満面の笑みを浮かべ、ティルヤは手を振った。


「じゃあ、またね、かみさま!」


 そのティルヤの言葉にクラウスは答えることが出来なかった。

 伝えなければならない。

 もうクラウスがここに来ることは無いのだと。

 それを伝えなければならないというのに、言葉が喉に詰まる。


 様子がおかしいことに気付いたのだろう。

 ティルヤは足を止め、再びクラウスに近づいて来た。


「どうしたの、かみさま? なにかいやなことあった?」


 その問いにも、クラウスは答えることが出来なかった。

 いつものように、笑みを浮かべようとしたがうまくいかない。

 わずかに自身の表情が歪むのが分かった。


 頬を一筋の雫が伝い落ちる。

 それを見たティルヤが驚いたように目を見張る。


「かみさま、ないてるの?」

「ああ……そうみたいだな」


 驚き、問いかけてくるティルヤにクラウスは答えた。


 気付けば涙を流していた。

 前に涙を流したのは、いつだっただろうか?


 最初の弟子であるティルヤが死んだ日、一人涙を流した事を覚えている。

 あれからどれ程の時が経ったのか?

 三百年以上もの時を、亜人たちと共に過ごしてきた。

 その慣れ親しんだ暮らしを捨てて、クラウスはこの地を去ろうとしている。


 今の生活が、どれ程自分にとって失いたくない物であったのかを再認識する。

 それを失うということに対する覚悟が、まだ足りていなかったのかもしれない。


 亜人たちが生きる、その様を見てうらやましく思った。

 クラウスの目に、彼らのその生き様は眩しく輝いて見えたのだ。


 だからこそ、彼らのように生きたいと思った。

 そのために、彼らと共に過ごす日々を捨てなければならないというのは、何と皮肉なことだろうか。


 ティルヤは心配げな表情で、じっとクラウスを見つめている。


「なにがあったの?」

「……ごめんな」


 短い謝罪の言葉を口にした。

 それから屈んで、目の高さをティルヤに合わせる。


「俺はもう……ここには来られないんだ」

「どうして?」

「旅に出るんだ。どうしても欲しい物があって、それを手に入れるために」

「たび? とおくにいかなきゃいけないの?」

「ああ。俺の欲しいものはずっと遠くにある。だからそこに行かなきゃいけない」


 それを聞いたティルヤはじっとクラウスの目を見つめていた。


「いつかえってくるの?」

「もう帰っては来ないんだ」


 それを聞いたティルヤの表情がわずかに歪む。


「じゃあ……もう、あえないの?」

「ああ、ごめんな」

「かみさま、それでないてたの?」

「そうだ」


 ティルヤは泣き出しそうになるのを必死にこらえながら、震える声で言葉をつづけた。


「ぼく、つよいから、ないたりしないよ」

「ああ、知ってるよ。ずっと見てきたからな」


 そう言ってクラウスは笑みを浮かべ、ティルヤの頭を撫でる。


「かみさまも、ないたりしちゃだめだよ。もっとつよくならないと」

「ああ、大丈夫だ。もう泣いたりしないよ。約束する」


 ティルヤは今にも泣きだしそうな表情のまま、じっとクラウスを見ていた。

 やがて、ティルヤはクラウスに背を向けて数歩歩いてから立ち止まり、振り返った。

 そして、目に涙を貯めたまま声を上げる。


「じゃあね、かみさま」

「ああ、じゃあな」


 いつもとは違う別れの言葉。

 また……と答えることはもう出来ない。

 もう、この場所に戻ってくることは無いのだから。


 ティルヤが振り返り、駆けだした。

 その走り去っていく後ろ姿を見送っているうちに、また涙を流しそうになってしまう。

 無理矢理に笑みを浮かべ、零れそうになる涙をこらえる。

 ついさっき約束をしたばかりなのだ。

 それを破ってしまうわけにはいかない。


 ティルヤの走っていく姿を見ながら考える。

 この世界で、どれ程の物を与えて貰っただろう?

 彼らと過ごした日々は、クラウスにとって、どれ程掛け替えの無い物であっただろうか。


 その日々の中で見てきた物。

 彼らの生きる様を見て、それに憧れてしまった。

 彼らと同じ物を手に入れたいと思ってしまった。


 それは今あるものを捨てずには手に入れられない物だ。

 考え、悩み抜いた果てに結論を出したつもりであったのに。

 今この手にある物を手放す……それがこれ程までに、苦しく胸を締め付けてくるとは。


 この世界で三百年以上の時を過ごしてきた。

 彼らが日々生きる姿。

 何気ないその日常の風景が、クラウスにとってはあまりに眩しく、そして美しく映った。


 それを……彼らにあって自分には無い物を欲した。

 クラウスにとってそれは、今ある物の全てを投げ出してでも手に入れたいと思うほどに、輝いて見えた。


 クラウスは走り去っていくティルヤの姿が見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。





 その日の午後、クラウスは丘の上で弟子たちといつもと変わらない時間を過ごしていた。


「クラウス、大丈夫ですか?」

「ああ、どうした?」

「いえ、その……少し様子がおかしい様に見えたので」

「ああ、そうか? 大丈夫だよ。ありがとう」

「ああ、いえ、そんな。すみません、変なことを聞いて」

「いや、いいさ」


 何も無い風を装っていたが、やはり隠しきれていなかったのだろう。

 鍛錬の途中で、何度か同じような事を聞かれた。


 鍛錬が終わり、弟子たちが去って行く姿を見送る。

 彼らの姿を見るのはこれが最後になるだろう。


 その日は最後の一人が見えなくなるまで、彼らを見送っていた。


 弟子たちが居なくなってからは、いつもどおりアディメイムと打ち合った。

 それは、この世界に来てから三百年以上もの間、毎日続けてきた彼らの日常だった。


 この地を離れる最後の一日だったが、いつもと同じように過ごした。

 夜の間も二人はこれまでと同じように、ひたすらに打ち合い続けた。

 空が白み始めても、変わらず打ち合いを続ける。


 やがて完全に日が昇り、辺りがすっかり明るくなってから、クラウスは構えを解いた。

 それを見たアディメイムも構えを解き、笑みを浮かべる。


 しばらくの沈黙の後に、クラウスは口を開いた。


「世話に……なったな」


 クラウスはさらに言葉を続けようとするが、何も言葉が出て来なかった。

 伝えたい想いはいくらでもあるはずなのに、それを言葉にすることが出来ない。

 もっと何かを言わなければならない。

 おそらく、もう二度と会うことは無いだろう。

 最後に交わす言葉が、たったこれだけで良いはずが無い。


 アディメイムは、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。

 クラウスの決断を受け入れるかのように、彼はただ静かに笑っている。


 三百年以上もの間、常に隣にいた。

 それが当たり前になっていた。

 そして今、一人で旅立とうとする自分を、快く送り出そうとしてくれている。


 クラウスは必死で言葉を絞り出そうとしていた。

 何かを言わなければならない。

 こんな簡単な言葉で終わらせてはいけない。

 自身の感謝の思いを、もっと言葉にして伝えなければならないと、そう思っているのだが、何も言葉が出てこない。


 そうして、何とか言葉を発しようとしていたクラウスに、アディメイムが何かを差し出して来た。


 それは、真新しい皮製の鞘に収まった剣だった。

 差し出されたそれを何気なく受け取り、そして驚く。


「これは……どういう事だ?」


 クラウスが手にしているのはクドゥリサルだった。

 これからこの地を離れようとしているクラウスに、それを手渡したと言うことがどういう事なのかは考えるまでも無くわかる。


「これは……いいのか?」


 クラウスの問いに、アディメイムは笑みを浮かべたまま頷いた。

 それに同調するように、手にした剣が声を上げる。


「これからよろしく頼むぜ、相棒」


 三百年の間、毎日聞いていた、あまりに聞き慣れた声が聞こえて来る。

 クラウスはなおも戸惑いながら、手にした剣に向けて語り掛ける。


「お前は、本当にこれでいいのか?」

「ああ、いいさ。お前の面倒を見てやれと我が君が仰せでな。他の誰かならともかく、お前に使われるのなら何の不満もねえよ」


 アディメイムに視線を戻すと、彼は再び小さく頷く。

 押さえつけていた感情が、溢れ出してきそうになる。

 クラウスはそれをごまかす様に無理やり笑みを浮かべて見せた。


 亜人達の生きる様を見て、それに憧れた。

 彼らの様に生きたいと思い、この地を去る決意をした。

 その自身の選択は、本当に正しかったのだろうか?

 自分は一体何をやっているのか?

 とんでもない間違いを犯してしまったのではないだろうか?


 わずかな時間、クラウスは悩み、それからその脳内の迷いを振り払う様に首を振った。


「ありがとう」


 笑みを浮かべ、ただ一言感謝の言葉を口にする。

 それ以上は何も言えなかった。

 何かを言おうとすると、涙が溢れてしまいそうだったから。


 そのまま数十秒ほどして、クラウスはようやく口を開くことが出来た。


「じゃあ、行くよ」


 クラウスの言葉に、アディメイムは静かに頷く。


 最後に一度笑みを交わした。

 それからクラウスは振り返り、歩き始めた。


 しばらく歩いたところで振り返って見た。

 遠くにアディメイムの姿が見える。

 彼はまだあの丘の上に立って、クラウスを見送ってくれていた。







 住み慣れた丘を離れ歩いている途中、遠くにあの湖が見えた。

 三百年以上もの間、毎日訪れていたその場所に目を向ける。


 そこにはティルヤの姿があった。

 もうクラウスが訪れる事は無いその場所に、あの子はいつものようにやってきていた。

 あの子は一人で……一人ぼっちで、手にした木の枝を振り回して遊んでいる。


 昨日までクラウスと一緒にやっていたことを、今は一人でやっている。

 その姿を見ていると、胸が締め付けられるような気持ちになってくる。


「……ごめんな」


 涙が零れそうになるのを堪えながら、クラウスは一人呟く。

 そうして、アディメイムと別れたときと同じように、無理やり笑顔を作る。

 涙を零さぬように……昨日あの子と交わした約束を、破りたくはなかったから。


 あの子はひらひらと不規則に舞い落ちる花弁を、手にした枝で正確に打ち据えていた。

 あの子には戦い方を教えたりした事はない。

 教わることもなくあれだけの事が出来るのだ。

 あの子はきっと、誰よりも優れた戦士になれるだろう。

 かつていた、同じ名を持つ戦士のように。


「別に、今から戻ったってかまわないんだぜ?」


 クドゥリサルが、普段よりも穏やかな声でクラウスに語りかけてきた。


「いや、いいんだ……これで」


 クドゥリサルの言葉に、クラウスは笑みを浮かべて応えた。


 元の世界に戻り、人として死ぬ。

 彼らのように生きると……そう決めたのだ。


 クラウスは再び歩き始め、しばらく行ってからまた足を止め、振り返った。

 あの子はまだ、一人あの場所で遊んでいる。


「ありがとう」


 どれ程の物を与えて貰ったかわからない。

 最初の弟子が、死の間際にクラウスたちに向けてそう言っていた。


 あの頃は気付いていなかった。

 与えて貰っていたのは、自分の方であったのだと。


 彼らに教えて貰ったこと。

 彼らに与えて貰ったもの。


 それらの全てに対する感謝を胸に、クラウスは再び歩き始めた。


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― 新着の感想 ―
本当は今回更新分の16話が終わってから感想を書くつもりだったのですが、この回が大変素晴らしいお話だったので書かせていただきました。 アディメイムと出会った頃、その剣の高みに憧れていたクラウスが300年…
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