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さまよい人は帰り来たりぬ  作者: 神誠
第四章 去り行く者たち

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別れの時

 その日もクラウスは、一人湖のほとりに座って周囲の景色を眺めていた。

 視線の先には、いつも通りの穏やかな湖が広がっている。


 そうやって一人座り、さざ波に揺れる湖面を眺めていたクラウスの耳に、足音が聞こえて来る。

 音のする方角に目を向けると、こちらに向かって走ってくる子供の姿が見えた。


「かみさま、おはよう!」

「ああ、おはよう。今日は何して遊ぶんだ?」

「きょうもね、たたかいごっこする!」

「そうか」


 満面の笑みを浮かべながら話をするティルヤに、クラウスもまた笑みを浮かべて答える。

 それからティルヤの望みどおり、しばらくの間二人で木の枝を振り回して遊ぶ。


 ティルヤはやたらと大袈裟な身振りを伴った攻撃を、クラウス目掛けて繰り出してくる。

 どうやらそれはティルヤにとって、取っておきの”かっこいい動作”であるらしい。

 それを手にした木の枝で受け止め、たまにわざと受けてやる。


 別に師弟として剣を教えている訳でもない為、剣の使い方を教えようなどとは考えてはいなかった。

 そうやって遊んでいるうちに、ティルヤの呼吸が乱れ始める。


「少し休むか?」

「うん」


 ティルヤは頷いて、その場に座り込み、クラウスもそのすぐ隣に腰を降ろす。


 この小さなティルヤは、いつも一人でこの場所にやって来ていた。

 こんな場所で一人で遊んでいる事が気になり、親はどうしているのか聞いてみた事がある。


 どうやら彼には妹が生まれたらしく、両親はその世話に掛かりっきりなのだそうだ。

 それで、この子は一人で遊んでいたらしい。

 もしかしたら、その生まれたばかりの小さな妹に、親の愛情を独占されてしまって寂しい思いをしていたのかも知れない。


 この子に出会って、もうじき一年になる。

 最初に出会ったのは春だった。

 じきに冬が終わり、また春がやって来る。

 寒さもかなり和らいできていたが、それでもまだ寒い。


 亜人たちは体毛のおかげで寒さには強そうだったが、ティルヤはまだ子供だからなのか、寒さを防ぐ為の毛皮の外套のような物を身に着けていた。


「寒くは無いか?」

「うん、だいじょうぶだよ。かみさまはからだツルツルなのにさむくないの?」

「ああ、俺は強いからな」

「そうなの? じゃあぼくも、つよいからかみさまとおなじにする!」


 そう言って外套を脱ぎだしたのを見て、クラウスは慌ててそれを止めた。


「俺は大人だからな。お前も大人になったらやってみるといい」

「そうなの?」

「ああ、だから今はまだそれを着ておけ」


 ティルヤはそのクラウスの言葉を素直に聞き入れ、外套を着直した。


 そうしてしばらく休んでいるうちに疲れが取れたのか、ティルヤが立ち上がって石を拾い、湖に向かって投げ始めた。

 投げた石を水面で跳ねさせて遊んでいるようだ。


 クラウスも子供の頃に近くにある川で、似たような事をやっていたような気がする。

 それは随分と昔の事で、その記憶ももう曖昧になってしまっていたが。


 何度か石を投げた後に、ティルヤはクラウスに声をかけてきた。


「かみさまもいっしょにやろう?」


 その誘いに笑顔で応え、クラウスは石を拾い水面に向かって投げ始める。

 すぐにコツを掴んだが、ティルヤの跳ねた回数を超えないように気をつけながら、石を投げ続ける。


 しばらくすると飽きたのか、ティルヤはまた戦いごっこをやりたがったので、その相手をする。

 そうして遊んでいるうちに、時間になりティルヤは帰っていった。





 ティルヤと別れた後、クラウスはアディメイムと共に亜人達の集落を訪ねた。

 たまに、二人はこうして集落を訪れる。


 訪れる度に、必ず誰かに声を掛けられた。

 現役で丘の上にやって来て鍛錬をしている者もいれば、年を取ってもう丘の上に来る事は無くなった者もいる。

 そういった者達と、他愛もない話をして時を過ごす。


 その日、二人はショーシャナの家を訪ねていた。

 二人が訪れた時、彼女は庭で一人で木剣の素振りをしていた。


「よう、元気そうだな」

「あら、いらっしゃいませ」


 そう言って、ショーシャナは笑みを浮かべ、クラウスとアディメイムを歓迎する。


「家で一人で鍛錬するより、丘の上まで来て皆と一緒にやったほうが良いんじゃ無いのか?」

「流石にもう無理ですよ。こんな年寄りが行っても、周りに気を使わせてしまうでしょう?」

「大丈夫じゃないか? 俺らはお前よりももっと年寄りだしな」

「それは確かにそうですけどね。お二人は年を取っても衰えたりしないんですから、一緒にされても困りますよ」


 ショーシャナはそう言って楽しげに笑う。

 それからクラウスとアディメイムを見て、懐かしむような表情を浮かべる。


「私はすっかり年を取ってしまいましたが、あなた方は昔と何も変わらないままですね。お二人に会う度に、私まで若返った様な気分になるんですよ」


 その言葉を聞いたクラウスは笑みを浮かべる。

 これまでに似たような言葉を何度か聞いた。

 最初にそれを口にしたのは、誰だっただろうか?


「若い頃に戻りたいとか思ったりする事があるのか?」

「私がですか? まさか。どうしてそんな事を思うんです? 私が自分の人生を悔いているように見えますか?」

「いいや」


 クラウスは答え、首を振る。

 その隣で、アディメイムも同じように首を左右に振っていた。


「でしょう?」


 そう言って、ショーシャナはまるで子供のような無邪気な笑顔を浮かべて見せた。

 それは昔から何一つ変わっていない、彼女らしい笑顔だ。


「今思えば色々ありましたが、戦士になろうと思ってお二人にお願いに行った……勇気を出してその選択をして本当に良かったと思っているんです。そのおかげで、私は沢山の素晴らしい物を手に入れましたから」


 そう言ってショーシャナは何かを懐かしむような表情を浮かべる。

 ショーシャナはいつだって、明るく前向きだった。

 その様子を見ているとこちらまで楽しい気分になってくる程に。

 彼女と長い時間を共に過ごす事のできたカナフは、きっと幸せだったのだろうと、そう思う。


「良かったら、久しぶりに相手をして頂けませんか?」

「ああ、いいとも」


 ショーシャナが手にした木剣を持ち上げながら、クラウスとアディメイムに手合わせを請う。

 それに応じて、クラウスは木剣を手に取った。


 視線の先に立つショーシャナを見る。

 年老いて体は相当に衰えている筈だが、その立ち姿からは、その衰えをまるで感じられない。

 魔力を制御する技術については、歳を経る事によってさらに磨きがかかっているように見える。

 衰えた肉体を魔力による身体強化で補っているのだろう。

 さらに、力は衰えていてもその技の精妙さは以前よりも増していた。


 今現役で丘の上にやって来て鍛錬をしている者たちの中で、ショーシャナと勝負して勝てる者がどれ程いるだろうか?


 手にした木剣を持ち上げ、構える。

 ショーシャナもまた、同じように構えを取った。

 数秒程ののちに、ショーシャナが踏み込み、手にした木剣を袈裟斬りに振り下ろしてきた。


 クラウスはショーシャナが木剣を振り下ろすその腕を掴んで、そのまま彼女をふわりと地面に転がした。

 その状態で、自身の手にした木剣を彼女の首筋に当てる。


 倒されたショーシャナは、少し驚いたような表情を浮かべていた。


「随分と優しく相手をしてくださるんですね?」

「そりゃあ、年寄りが相手だからな」

「あなた方のほうが私よりもずっと年寄りだって、さっき自分で言ってたじゃありませんか?」

「そういや、そうだったな。忘れてたよ」


 そう言って二人は笑いあう。

 そうして何度か手合わせした後に、ショーシャナは笑みを浮かべて、礼を言う。


「ありがとうございました」


 それから、今度はアディメイムに向かって声を掛けた。


「アディメイム、お願いできますか?」


 問われたアディメイムは笑顔で頷きを返す。


 木剣を手にした二人が対峙する。

 今回も、先に動いたのはショーシャナだった。

 ショーシャナは間合いを詰めようと踏み込んで行ったが、その足先を止めるように、アディメイムが足を差し出していた。

 それにより動きを止められ、わずかにつんのめるような形で体勢を崩したショーシャナの胴と首を、アディメイムは木剣で軽く叩いた。

 打たれたショーシャナは、アディメイムを見ながら苦笑を浮かべる。


「あなたも私を年寄り扱いしていますね?」


 その言葉にアディメイムは楽しげな笑みを浮かべて見せる。

 そうやって、アディメイムとも何度か手合わせをしたあとに、ショーシャナは礼の言葉を口にして、立ち合いを終えた。


「今日はありがとうございました。私ももう年なので、こうやってお二人にお会いできる機会も、もうそんなに無いでしょうから。会いに来てくださって、本当に嬉しかったです」

「まあ、そう言わずに長生きしてくれよ」

「もちろん、そのつもりではいますけどね」


 そう言って笑い合ったのちに、ショーシャナと別れの挨拶を交わす。


「じゃあな。また来るよ」

「ええ。また、いつでもいらっしゃってください」






 亜人たちの集落を訪れ、ショーシャナに会った、その五日後。


 午後になって、いつものように弟子達が丘の上にやって来た。

 その中の一人が、クラウスとアディメイムの元に近付いて来る。

 その亜人は名をパルヴァーという。

 パルヴァーはショーシャナの五番目の子供だった。


「どうした?」

「はい。昨日、母が亡くなりまして、それをお二人にお伝えしておきたかったんです」

「昨日?」

「はい。昨日の朝、息を引き取りました」


 五日前にショーシャナに会った時はまだ元気で、打ち合いの相手が出来る程だったというのに。


 これまでもそうだった。

 別れの時は突然やって来る。


「そうか。最後に会ったのは五日前なんだが……まだ元気で稽古の相手を頼まれたりしてたんだがな」


 母親の死を伝えるパルヴァーの様子はいつもとそれほど変わらなかった。

 ショーシャナは今年で七十五歳になったと言っていた。

 亜人の寿命を考えると、相当に長生きしているほうだ。

 家族も皆、覚悟はしていたのだろう。


 ショーシャナは毎朝木剣を持って素振りをするのを日課にしていた。

 昨日の朝、その素振りをするために出て行ったまま戻って来なかったらしい。

 パルヴァーが様子を見に行ったところ、ショーシャナは倒れ、既に事切れていたのだそうだ。


 鍛錬の最中に命を落とすとは、どこまでもあいつらしいと、クラウスはそう思う。


「あいつは、うつ伏せに倒れてたんじゃないか?」

「うつ伏せに? ええ、それは確かにそうでしたが……どうしてわかったんです?」

「なんとなく……そうなんじゃないかって思っただけだ」


 命が尽きる最期の瞬間まで、ずっと前のめりだったのではないかと……そんなことを考えてしまったのだ。

 そのほうが、いつも前向きだったあいつらしいと……そう思ったから。


 戦士になりたいのだと、そう声を掛けてきたのはもう六十年も前の事だ。


 随分と長い間、彼女を見て来た。

 亜人達の集落に行ったとしても、ショーシャナにはもう会えない。


 胸に穴が開いたような喪失感。

 これまでに何度も味わったそんな感覚にも、もう随分と慣れてしまっていた。

 だが今回は、いつもよりもそれが重く感じられた。

 他の者達と比べても、少し特殊な関わり方をしていたからだろうか。

 特に目を掛けていたせいで、思い入れもまた強かったのかもしれない。


 隣に立つアディメイムを見てみたが、その顔からは何の感情も読み取れなかった。

 クラウスは目の前のパルヴァーに視線を戻す。


「お前も無理して出てこなくてもいいんだぞ?」

「いえ、大丈夫です。これで休んだりしたら母に怒られてしまいそうですから」


 パルヴァーが自身の両親を誰よりも尊敬している事を、クラウスは知っていた。

 辛く無いはずが無いだろうに、彼は笑みを浮かべ、そう語る。

 パルヴァーの言う様に、自身の死で息子に落ち込んだりして欲しくは無いと、ショーシャナならばきっとそう言うのだろう。


「そうか。なら、始めようか」

「はい」


 弟子達が鍛錬に励む様子を見ながら、クラウスは考えていた。

 一年前に自身がアディメイムに告げた言葉。

 ショーシャナが死んだらこの地を去るつもりだと、そうアディメイムに伝えていた。


 その日の夜、クラウスはアディメイムと話をした。

 一週間後にこの地を去ろうと思っていると、そう伝える。

 アディメイムは、それにただ頷きを返して応えた。






 翌日の朝、クラウスはいつものように湖のほとりでティルヤと遊んでいた。


「かみさま、どうしたの?」

「ん? どうしたって、何がだ?」

「かみさま、かなしそうなかおしてるよ?」

「そうか?」

「うん」


 自分ではわからないが、一年間ほとんど毎日会っているこの子がそう言うのなら、きっといつもと違うのだろう。


「友達が一人いなくなったんだ。そのせいかもな」

「ともだち? どこかにいっちゃったの?」

「ああ、遠い所に行っちまってな」

「もうあえないの?」

「ああ、もう会えない」

「ともだちは、どうしていなくなったの?」

「年を取ったからかな」

「としをとったらいなくなるの?」

「ああ、そうだ」

「じゃあ、ぼくのおじいちゃんとおばあちゃんもいなくなるのかな?」

「ああ。そのうち、いなくなるだろうな」


 ティルヤは、よく分かっていないような表情でクラウスの顔を見つめている。

 幼いこの子は、まだ別れというものを経験したことが無いのだろう。


 クラウスもまた、一週間後にこの地を去るつもりだった。

 その時には、この子とも別れなければならない。

 それを思うと、胸が痛くなった。


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