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さまよい人は帰り来たりぬ  作者: 神誠
第四章 去り行く者たち

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去る者と来る者

 時が経つにつれ、丘の上にやって来る亜人たちの顔触れも少しずつ変わっていった。

 年齢を重ねて引退し、丘の上に来なくなる者がいる一方で、新しくやってくる者達がいる。


 亜人の男達は十五歳になったら、この丘へとやって来る。

 いつのまにか、彼らの間ではそのような習わしが出来ていたらしい。


 ネシュルとバズの二人もまた、歳を重ねていった。

 元々人一倍熱心であったからか、あるいは良い好敵手に恵まれたからなのか、彼らの技量は年を経るごとに抜きん出ていった。

 二人が三十歳近くになった頃には、部族の中で最も優れた戦士として数えられるようになっていた。

 そのころには、二人は若い亜人達に教える側に回ることが多くなった。


 たまに二人で打ち合ったりはするが、昔のようにお互いに対する対抗心を剥き出しにして激しくやりあったりする事は、ほとんど無くなっていた。


「最近はあまりいがみ合ったりはしないんだな?」


 ある日の鍛錬の終了後に、クラウスは二人に声を掛け聞いてみた。

 その言葉に、バズは苦笑を浮かべながら答える。


「勘弁してください。いつの話をしてるんですか?」

「ん? ああ、俺にはついこの間の事のように思えてたんだが、そうだな……あれももう随分前になるのか」

「まあ、お二人にとっては、この間の事のように感じられるのかもしれませんが……」


 言いながら、バズは若い亜人たちが鍛錬をしている姿に目を向ける。


「若い連中にあまりみっともないところは見せられないですからね。もういい年ですし。いつまでもあんな感じではいられませんよ」


 それを横で聞いていたネシュルが、笑いながら口を挟む。


「なんなら、久しぶりに全力でやり合ってみるか?」

「ああ? 本気で言ってんのか?」

「まあ、たまにはいいんじゃないか?」


 そのネシュルの言葉に、バズはわずかな時間考える素振りを見せた後に、笑顔を浮かべる。


「そうだな。久しぶりにやるか」


 そう言って二人は楽しげに笑みを交わし、木剣を手にして対峙し、打ち合いを始めた。


 二人ともが、若い頃よりもずっと強くなっている。

 その成長の度合いに比例して、その立ち合いの激しさも増していた。


 打ち合う二人の表情は真剣だったが、その様子は楽しげに見えた。

 そうして打ち合っている間に、二人は何度も怪我をし、その度にクドゥリサルに治療して貰っていた。


「お前らよ……もういい年なんだ。本気でやりあうにしても、その辺の加減くらいは出来るだろうが。成長して手がかからなくなったと思ったのに、何やってやがんだ?」

「いやー、たまには羽目を外してみるのもいいかなと思いまして」

「何が羽目を外すだ。全くよ……」


 クドゥリサルはブツブツと文句を言いながら、二人の怪我を治療する。

 こんなふうに説教するクドゥリサルを見るのは、久しぶりだった。

 二人を叱るその声音も、どこか楽しげに聞こえるのは気のせいだろうか?


 時と共に人は変わってゆく。

 時を経ることによって肉体や精神が変容していくだけでは無く、その置かれた立場もまた変わる。


 ネシュルとバズが四十歳近くになった頃、ネシュルが次のおさに選ばれたという話が耳に入ってきた。

 二人は次のおさとして、お互いを推薦しあっていたらしい。

 だが結局は、ネシュルが次のおさとなった。

 バズはネシュルに命の借りがあるからと言って、断固として自身が長となることを拒否していたのだそうだ。

 バズは長となったネシュルを補佐して良く働いているという。


 それ以降も二人は丘の上の鍛錬に顔を出していたが、二人で打ち合いをすることはもうほとんど無くなっていた。


 それでも、たまに二人で打ち合う事もあった。

 若い亜人達はその立ち合いの激しさに驚き、ネシュルやバズと同年代の者達や、さらに上の者達はその様子をある者は楽しげに、ある者は懐かしげに眺めていた。


 そうして時を経ていくうちに、ネシュルとバズの二人もまた、丘の上にくる頻度は減っていった。

 五十歳を過ぎたあたりからは、ほとんど顔を出さなくなっていた。

 それでもたまに顔を出したときには、若い亜人たちに指導をしたりしていた。


 それからさらに十年程が過ぎた頃。

 丘の上にやって来ているネシュルの息子の一人から、ネシュルが死んだと聞かされた。

 最後にネシュルに会ったのは、その一月ほど前だった。

 アディメイムと共に集落をたずね、どうしているのかと様子を見に行ったのだ。

 その時は、まだ元気そうに見えていたのだが。


 ネシュルの死を聞いて真っ先に考えたのはバズのことだ。

 二人はいつも一緒にいたように思う。

 バズは今何をしているのだろう。

 いつも一緒にいた、半身のような存在を失った彼は、今何を思っているのだろうかと。




 ネシュルの訃報を聞いた数日後の朝に、バズが丘の上に一人でやってきた。


「よう、一月振りくらいか? 元気でやってるか?」

「ええ、もちろん元気ですとも」


 クラウスの問いに、バズは笑みを浮かべ答える。

 それから目を細めて、まるで眩しく光り輝く何かを見るように、クラウスとアディメイムを見た。


「お二人は本当に、昔と変わらないですね。お二人を見ていると、私まで若返った様な気になりますよ」


 バズはそう言って笑みを浮かべたのちに、きょろきょろと周囲を見回した。


「座らせて頂いても良いですか? もうすっかり老いぼれてしまったもので……」

「ああ、座れ座れ。すまんな、気が利かなかった」

「いえいえ、とんでもない」


 そう言って笑いながらバズはその場に腰を下ろし、クラウスとアディメイムを相手に話を始めた。

 それは彼のこれまでの思い出話だった。


 あんな事があった、こんな事があった……バズは楽しげに語る。

 バズの語る話の中には、クラウス達が知っている物も、知らない物もあった。


 そのバズの話を聞いているうちに、いつの間にか日は高く昇り、正午近くにまでなっていた。


「ああ、もうこんな時間だ。では、そろそろお暇しますね」


 そう言って、バズは立ち上がる。

 それから笑みを浮かべ、クラウスとアディメイムに向かって問いかける。


「また訪ねて来てもいいでしょうか?」

「ああ、もちろんいいさ。そんな事をいちいち聞かなくても、好きな時に来ればいい」

「ああ、安心しました。私ももうすっかり老いぼれてしまいましたので。老人の相手など面倒なのではないかと思いましてね」


 それを聞いたクラウスは笑い声を上げる。

 隣に立つアディメイムに視線を向けると、彼もまた笑みを浮かべていた。


「お前より俺らの方がずっと年寄りなんだ。暇つぶしでも構わないから、気にせずいつでも遊びに来い。年寄り同士、話でもしようじゃないか」


 そのクラウスの言葉を聞いたバズは声を上げて笑い、クラウスとアディメイムもまた彼と一緒になって笑う。


 その後もバズはたまに丘の上を訪れ、クラウスらと他愛もない話をした。


 そうして、ネシュルが死んで二年が過ぎた。

 その日、丘の上にやって来た弟子の一人が、クラウス達にバズが死んだと伝えてきた。


「そうか。死んだのか、あいつも……」


 クドゥリサルが呟くように発した言葉が耳に届いた。

 クドゥリサルは若い頃のネシュルとバズによく説教をしていた。

 バズにはほんの数ヶ月間だったが、つきっきりで指導をしていたこともある。


 剣であるクドゥリサルには表情などない。

 それ故に、その声音でしか感情を判断できないが、あの二人には特に思い入れがあるように思えた。

 そっけなく聞こえるその言葉の中に、二人に対する愛情と悲しみの感情が籠っているように感じられた。




 去る者があり、来る者がある。


 この丘の上にも、また新しい教え子達がやって来る。

 これまでに、それを何度繰り返してきただろう。


 その日新しくやって来た若い亜人が、クラウスとアディメイムの元までやってきて挨拶をしていた。

 クラウスはその亜人に、なんとなく意識に上った問いを投げ掛けていた。


「ネシュルとバズを知っているか?」


 そのクラウスの問いに、その亜人は笑顔を浮かべて答える。


「ああ、はい。知っていますよ。バズおじさんは俺の家のすぐ近くに住んでいたんです。すごく優しい人で、小さい頃は良く遊んで貰ってました。ネシュルさんにも何度か会ったことがあります。バズおじさんの家に行くとたまにいて、それで会ったことがあるんです。……あの人たちがどうかしたんですか?」

「いや、ちょっとな。聞いてみただけだ」


 そう言ってクラウスは笑う。

 その後、少しだけバズとネシュルの話をした。

 その彼の口ぶりからして、バズは随分と慕われていたようだ。

 ネシュルとはそれほど会ったことは無いようだが、とても優しかったのは覚えていると彼は言っていた。


 思いがけず、新しくこの丘の上にやってきた者から、あの二人の話を聞けた。

 二人は最後まで、周囲の者たちに慕われていたようだ。

 それを聞いて、何故か無性に嬉しくなった。






 日々は変わらず過ぎていく。

 季節は幾度もめぐり、数え切れないほどの出会いと別れを繰り返した。


 この世界に放り込まれてから、二百年以上の時が流れていた。

 それ程の長い年月を経ても、クラウスの日常はほとんど変わらないままだった。


 一日の大半をアディメイムとの剣の鍛錬に費やし、午後からの数時間は弟子たちを鍛える。

 そして、それらの合間に周囲の景色を眺めて過ごす。

 そんな日々を、クラウスは今も繰り返している。

 その一日の過ごし方はほとんど変わってはいなかったが、周囲の環境はそうでは無かった。


 丘の上にやってくる亜人達の顔触れは、時と共に変わっていく。

 毎年新しくやって来る若い亜人達がいる。

 そして、それとは逆に歳を重ねて丘の上に来なくなる者たちもいる。


 丘の上に顔を出さなくなった者の様子を見るために、たまに彼らの集落に顔を出したりもした。


 そうして日々を過ごすうちに、耳に入ってくるのだ。

 かつてこの丘の上で教えた弟子の一人が、冥府に旅立ったと。

 年老いて天寿を全うする者がほとんどだったが、中には事故や病気で命を落とす者もいた。


 そういった訃報を聞くたびに、まだ彼らが元気だった頃、この丘の上で鍛錬に励んでいた姿を思い出した。


 彼らは皆、死んでゆく。

 クラウスの知らぬ場所で彼らは死に、その話だけが彼のもとに届いてくる。

 彼らの臨終に立ち会った事は、一度しか無かった。

 たった一度……最初の弟子の死の際に立ち会った、その時だけだ。

 あいつは最後の瞬間まで笑顔を浮かべていた。

 他の者達も、あんな風に満足して逝けたのであればと、そう願う。


 周囲の者たちの顔触れは時とともに変わっていったが、一人と一振り……アディメイムとクドゥリサルだけは、二百年の時を経ても変わらずにクラウスと共に在り続けていた。


 毎日毎晩、アディメイムと共に鍛錬を重ねてきた。

 そのおかげだろう。

 クラウスの剣の技量は、この世界に来たばかりの頃とは比べ物にならない程に上達していた。

 二百年間積み重ねて来た鍛錬の成果は、間違い無くクラウスの身に宿っている。


 アディメイムに出会ったばかりの頃は、彼と打ち合っても三十回に一回勝てるかどうかと言う程度だった。

 だが今は、十回勝負すれば大体四回程度は勝てるようになっている。

 互角と言うにはわずかに及ばない程度の勝率。

 そんな状態が、もうずいぶん前から続いていた。

 最初の頃と比べれば、信じられない程にその差は縮まっている。


 アディメイムはたまに調子を落とすことがあった。

 そんな時には勝敗を五分程度にまで持っていけたが、しばらくすればそれもまた元に戻る。

 長い年月を費やして、その差を随分と縮めることは出来たが、それでもなおアディメイムに追い付くことは出来ていない。


 だがクラウスはそれを喜んでもいた。

 どれほど鍛錬を積み、追い付こうと努力を続けても、アディメイムはクラウスの先を行き続けている。

 最初の頃は自身の力量の無さをずっと気にしていた。

 取るに足らない存在だと思われたりするのではないかと、そんな恐れを抱き続けていた。

 何とかして彼に追い付き、認めて貰おうと必死になっていた。

 彼に追い付きたいというその思いは、今も変わってはいない。

 その一方で、アディメイムにはずっと自身よりも先を歩いていて欲しいとも思っていた。


 彼の背中を追いかけるのは楽しかった。

 今もなお先を歩み、自身を導いてくれる事に感謝もしていた。

 アディメイムを目標としているおかげで、技を磨いて強くなりたいという、その意欲が衰えることは無かった。

 もしその意欲を無くしてしまったなら、すぐに彼に引き離され、置いて行かれてしまうだろう。 






 夜の闇の中、クラウスは湖のほとりに一人座り、星の瞬く空を眺めながら、この世界に来てからの事を思い出していた。


 ついさっきまで、彼はアディメイムと打ち合っていた。

 そろそろ夜が明けるという時間になった頃、二人は打ち合いを中断した。

 その後、いつものようにこの湖までやって来た。


 深い漆黒の夜空に、わずかに紫がかった青が混ざり始めた。

 やがて東の空が微かに明るくなり、薄い金色の光が遠くの地平線を縁取り始める。

 星々の輝きが薄れていき、闇が朝の光に溶けていく。


 日が昇りきるのを待たずに、クラウスは立ち上がる。

 日の出の様子を眺めながら、丘まで歩いて帰ろうと思ったのだ。

 丘の上に戻る頃には、日もすっかり昇っているだろう。


 新しい一日が始まろうとしている。

 今日もまた、いつもと変わらない充実した一日になるのだろう。


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