表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さまよい人は帰り来たりぬ  作者: 神誠
第二章 さまよい人
16/45

同郷

 周りで様子を見ていた他の獣たちは、巨獣が倒れたのを見ると蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。


 クラウスは周りを見渡し、獣の巣となっているであろう洞窟に目を留めた。

 おそらく、もう中に獣たちは残っていないだろう。


 その洞窟の入口を覗いてみる。

 どういう仕組みなのかはわからないが、洞窟の岩肌は淡い光を放っており、内部を明るく照らし出しているようだ。

 彼は足を進め、その中へと入っていく。


 彼が予想した通り、洞窟の中に残っている獣の姿はほとんど無い。

 逃げ遅れたのか、小さな子供の獣が幾匹か残っているだけだ。

 獣の子供は離れた場所で毛を逆立てながら、キャンキャンと吠え声を上げている。

 おそらく威嚇しているつもりなのだろう。

 それを無視して、クラウスは奥へと歩いていく。


 そうしてクラウスは特に目的も無いまま洞窟の内部を歩き回っていた。

 その途中で視界の隅に何かを捉え、足を止める。

 それを確認しようと視線を向けたクラウスは、そこに存在するものを見て驚き、目を見張る。


 そこには人の姿があった。

 地面の上に裸の女が一人座っている。

 クラウスの視線の先にいるそれは、間違い無く人間だった。

 彼女もクラウスと同じさまよい人であるに違いない。


 彼女は獣たちに捕えられていたのだろう。

 一体どれほどの期間、この女はここにいるのだろうか?

 この女がこれまでどんな目に合ってきたのか、想像するだけで気分が悪くなる。


 クラウスはふと思う。

 何故獣たちはクラウスに襲いかかってきたのか?

 一人では足りなかった……などということは無い筈だ。

 あの獣たちは尽きることの無い食料を既に手に入れていた。

 クラウスに襲い掛かってくる必要など無かったのだ。


 一人を手に入れて満足していれば良かったものを、あの獣たちは愚かにも欲を掻いたのかもしれない。

 その強欲の代償として、群れの多くを失うことになった。


 少し考えて溜息をつき、クラウスは女に近づいて行く。

 明かりが弱いせいで分かりづらいが、その女の下の地面は黒く変色しているように見えた。

 おそらく、それは彼女の流した血を吸ってそのような色になっているのだろう。


「よう」


 女の前で立ち止まり、声を掛けてみる。

 だが、その呼びかけに女は反応すらしない。

 うつろな瞳で宙の一点をじっと見つめていた。


「俺の言葉がわかるか? わかるなら返事をしてくれ」 


 クラウスの再度の呼びかけにも、女は反応を示さなかった。

 まるで心を失ってしまったかのように見える。

 いや、実際そうなのだろう。

 この女は獣たちに、その身を食料とされていたのだ。

 それがどれ程の期間続いたのか?

 その終わりの無い、痛みと苦しみの中で精神を破壊されてしまったのではないか。


 しばらくの間、クラウスは女を見ていた。

 見ず知らずの赤の他人だ。

 放って置いても良いのだろうが、そんな気にはなれなかった。

 かといって心を失った者を連れて歩くことなど出来ない。


 大きく一つ息を吐く。

 そうして再び女に向かって呼びかける。


「……今からお前を殺す。嫌なら首を横に振ってくれ」


 クラウスのその言葉にも女は何の反応も示さず、うつろな瞳で宙を見つめ続けていた。


「もう一度聞くぞ。今からお前を殺す。嫌なら首を横に振れ」


 再度のクラウスの言葉にも、女は反応を見せなかった。

 クラウスはゆっくりと息を吐き、剣を抜く。


「……すまんな」


 無意識のうちに謝罪の言葉が口をついて出てきた。


 クラウスは手にした剣を振り上げ、女の頭に向けて振り下ろした。

 頭を砕かれた女の姿は光に包まれて消えていく。


 その様子をクラウスはじっと見ていた。

 クラウス自身も、この世界で死ねばこのように光となって消えていくのだろう。


「これでもう、苦しむことは無いだろうよ」


 クラウスはしばらくその場に佇んでいた。

 女は全くの他人……言葉すら交わしたことの無い相手だというのに、何故か心が痛んだ。


 クラウスはこれまで自分以外の他人に興味を持ったことなどほとんど無かった。

 例外があるとするなら、力のある戦士くらいだろう。

 そんな彼が、ついさっき会ったばかりの人間を相手に感傷的な気持ちを抱いている。


 この世界に来て初めて見つけた、同じ境遇の人間だ。

 自分以外のあらゆる者が敵となるこの世界で、唯一味方になり得る相手だった。


 親近感を覚えていたのかもしれない。

 そして、憐れみを覚えていたのかもしれない。

 クラウスには武器があり、戦うすべを知っていたがゆえに、彼女のようにはならなかった。


「せめて……安らかに眠れるといいが」


 呟き、クラウスはその場を後にする。

 そして洞窟の出口へと向かって歩き始めた。


 歩き出したその足に、先程の獣の子の一匹が近付き、噛みついてきた。

 餌を奪われて怒ったのだろうか?

 クラウスは足を力いっぱい振り回して、獣の子を振り飛ばした

 獣の子は洞窟の壁に叩きつけられ、悲鳴を上げる。

 キャンキャンと鳴き声を上げながら、それは洞窟の奥へと走っていく。


 クラウスはそれを見送った後に、自嘲するような笑みを浮かべる。

 自分は何をしているのか。

 獣とはいえ、あんな何の力も持たない子供に怒りをぶつけるとは。


 洞窟を出たその先には、先程殺した巨獣の死骸が転がっている。

 そのむくろの横を通り過ぎ、先程越えてきた丘の上へと歩いていく。


 丘の上に立ち、前方に広がる草原を見渡す。

 その草原は獣の群れを追跡している途中で一度通っていた。

 だが追跡に集中していたせいで、周りの景色を注意して見たりはしていない。


 鮮やかな群青に染まった空に、風にちぎられたまばらな雲が揺蕩たゆたい、太陽の光を受けて黄金こがね色に輝いている。

 その雲の切れ間から、光の帯が現れ出て草原を明るく照らしていた。


 様々な色彩が、クラウスの目の前に広がっている。

 さまよい人と呼ばれる者達にとって、この世界は地獄のような場所である。

 にもかかわらず、その世界の映しだす景観の美しさに、彼は心を奪われていた。 


「……ふざけた世界だ」


 あの女の目には、この世界はどのように映っていたのだろうか?


 美しいと言われている物や景色……そういったものをこれまでにも見たことはあるが、それに心を動かされたりすることは無かった。

 かつていた世界と比べて、この世界が特別に美しいというわけでも無いように思う。

 世界が変わったからでは無い。

 おそらくは、それを見る彼自身の感じ方が変わったのだ。


 クラウスはその場に腰を下ろした。

 肉体的には疲れることなど無い筈であるのに、彼は大きな疲労感を覚えていた。

 そのまま彼は目の前に広がる景色を眺め、その自然の作り出した色彩を鑑賞することにした。


 その景色を眺めながら考える。

 自分の中の何が変わったのだろうかと。


 獣と戦い、生き延びた。

 見ず知らずの人間を一人、この手で殺した。

 それで何かが変わったのか?

 あるいは、この世界に来た時に既に変わってしまっていたのだろうか。

 それに今まで気付いていなかっただけなのか。


 しばらく考えてから、クラウスは一人苦笑を浮かべる。

 考えたところで答えが出るとも思えなかった。


 そのまま彼は、その景色を眺め続けた。

 やがて日が傾き、辺りは暗くなり始める。

 まばらに浮かぶ雲が、沈む夕日の光を受け茜色に染まっていた。

 その雲の隙間からは青い空が見える。

 その入り乱れた色彩も美しかった。


 彼は座ったまま、その情景をただ眺め続けた


 しばらくすると太陽が見えなくなり、空の色もどんどんと濃く、暗くなっていく。

 そうして完全に暗くなり、空に輝く月と星々が浮かび上がってくる。

 それでもなお、クラウスは景色を眺め続けた。


 夜の空もまた、美しかった。

 月に照らされ青白く輝く雲の幽玄な様に、彼は魅入られていた。


 幼い頃、夜の闇は恐怖の対象だった。

 ある程度大きくなってからは恐怖を感じるようなことは無くなったが、相変らず警戒すべきものだった。

 夜の闇の中には危険が潜んでいる。

 彼はこれまで、それを美しいと思ったことなど一度も無かった。

 その夜初めて、彼は空に浮かぶ月と、瞬く星の輝きを美しいと思えた。


 どれほどの時間そうしていただろうか。

 クラウスは腰を上げて、立ち上がった。

 もう少しこの景色を眺めていても良いかとも思う。

 だがここにとどまらずとも、同じような心動かされる情景には出会えるだろうと彼は考えた。


 今日初めて、彼は世界の美しさに気づいた。

 空も雲も、夜空に浮かぶ星々も、今までに何度も見てきた。

 何度も見て来たが、一度として心を動かされたりすることは無かった物……それらに心を奪われていた。


 きっと朝になれば、朝の景色の美しさを見つけるのだろう。

 昼も同じ。

 そして森に行けば森の、海に行けば海の美しさもまた、見つけることが出来る気がしていた。


 時間はいくらでもある。

 同じような景色を、あるいは新しい景色を、この先いくらでも見られるだろう。

 様々な場所に行き、様々な景観を目にすればいい。

 そう考え、彼は歩き始める。


 気付けば、空が明るくなり始めていた。

 じきに夜が終わり、朝が来る。


 歩いているうちに、日が昇り始めた。

 その様もまた、美しかった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ