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さまよい人は帰り来たりぬ  作者: 神誠
第二章 さまよい人
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さまよい歩く者

 老人と別れたクラウスは、一人歩き続ける。

 その足取りはゆったりとしたものだった。

 急ぐ必要は無い。

 元の世界に何かやり残したことがあるわけでも無いのだ。

 他にやることも無いという、ただそれだけの理由で、彼は老人の言っていた場所を目指し歩き続けた。


 老人の発していた警告の言葉を忘れたわけでは無い。

 脅威となるであろう生物の姿が見えないか気を付けてはいたが、そのような物はまだ見えなかった。

 せいぜい木々の間を飛び回りながら、囀る小鳥がいる程度だ。


 クラウスはそのまま、ただひたすらに歩き続けた。

 あの老人と会話したときはまだ日が高かったが、今はもう日も暮れかけている。


 そうして歩いているうちに幾つか気付いたことがあった。

 まず疲れをまるで感じない。

 歩いている途中に何度か、そろそろどこかで休むべきかと考えた。

 だが疲れを感じていなかったため、彼はそのまま歩き続けていた。


 肉体の疲れだけでは無かった。

 ずっと何も口にしていないにもかかわらず、まるで空腹にならない。

 喉の渇きも感じない。


 あの老人に不死身の肉体になったと言われたが、それと同時に疲れることも空腹を感じることも無くなったのだろうか。

 そうなると、睡眠はどうなるのか?

 おそらくそれも必要無いのではないかと、クラウスは考える。


 やがて夜になり、クラウスは足を止め草の上に腰を下ろす。

 体に疲れは無い。

 だが、ただひたすらに歩き続けることにうんざりし始めていた。

 疲れは無くとも休憩を取りたい気分になっていたのだ。


 そうして座ったまま周囲の景色を眺めて過ごす。

 星の瞬く空を見上げた。

 この世界の景色は元の世界と大して変わらない。

 夜空には月が明るく輝いていた。

 月に照らされた雲が風に乗って流れていくのを眺める。


 それらをしばらく眺めたのちに、目標とする方角に視線を向ける。

 老人の言葉を信じるなら、この方角に歩き続ければ山が見えてくる筈だ。

 だが今はまだその影すら見当たらない。

 そこには、ただ星空が広がっていた。


 クラウスは立ち上がり、腰に差していた剣を抜いて素振りを始めた。

 剣を斬り下ろし、横に薙ぎ、切り上げる。

 そうして数百回程素振りを続けたのちに、頭の中で敵を想定して技を繰り出し始める。


 これまでの戦闘経験を思い出しながら、クラウスは体を動かし続ける。

 クラウスが敵として想定した相手は、ベルントだった。

 数時間前に対戦し、敗れた。

 その相手の動きを思い出しながら、彼は体を動かし続ける。


 それを一時間ほど続けて、クラウスは再び腰を下ろした。

 そうして先程まで行っていた仮想のベルントとの勝負を振り返る。

 今の状態でやれば、十回戦って八回は勝てるといったところだろうか。

 ベルントの持つ技の全てを知っているわけでは無い。

 あくまでクラウスの知るベルントの動きを参考にしただけだ。

 そのため、実際の勝率はもう少し下がるだろう。

 だがそれでも、万全の状態であればクラウスのほうが勝利に近かったように思える。

 だがあの時のクラウスは満身創痍だった。

 あの状態では勝ち目は薄かったろう。

 勿論、それを負けた言い訳にするつもりなど無い。

 それらの条件を全て理解したうえで、クラウスはベルントの挑戦を受けたのだ。


「まあ、今までの運が良すぎたってのもあるんだろうな」


 夜空を眺めながら、一人呟く。

 彼が傭兵になって、六年程が経つ。

 その間、常に生死の狭間に自ら望んで飛び込んできた。

 そんな事を続けていたにもかかわらず、六年もの間生き延びてこられたのは幸運以外の何物でもないだろう。


 座ったまま、自身の体の状態に意識を向ける。

 一時間ほど体を動かしていたにもかかわらず、疲れは感じなかった。

 疲れを感じないということは、おそらくこの世界で筋力を上げることは出来ないのではないか。

 だが技の鍛錬は可能なように思えた。

 何千回、何万回と動作を繰り返し体に覚えさせる。

 十分身についたと思った技ですら、さらに繰り返しているうちに新しい発見や気付きがあるものだ。

 最初に会った老人の言葉を信じるならば、時間は無限にある。

 この世界は技を磨くのには良い環境なのかもしれない。


 人心地ひとごこちついた彼は、立ち上がり再び歩き始める。

 そして、そのまま朝まで歩き続けた。

 相変わらず疲れは感じない。

 そして彼が予想していたとおり、眠気も襲ってこなかった。


 疲労も空腹も感じない。さらに眠る必要も無い。

 神を冒涜した罰としてこの世界に放り込まれたにしては、随分とその罪人に対して都合の良い状態である様にも思えた。

 だが老人の言っていたように、この世界に住む者達に資源として狙われ続けるのであれば、そのような利点があるからといって安心することはできない。


 クラウスの事を、あの老人はさまよい人と呼んでいた。

 おそらくクラウス以外にも、さまよい人と呼ばれる者はいるのだろう。

 その連中はどのように過ごしているのだろうか?

 老人は武器を帯びたままこの世界にやって来たクラウスを見て、運がいいと言っていた。

 普通は武器など持たないまま、この世界に放り込まれるのだろう。

 丸腰では、たとえ不死身であったとしても己の身を守ることは難しい。

 死ぬ事も出来ないまま、獣にその身を食われ続ける者の姿を想像してみた。

 思い浮かぶのは吐き気を催すような情景だ。

 神と呼ばれる者達は、一体何を考えてこんな世界を作ったのか。


「……本当に趣味の悪い連中だ」


 クラウスはそのまま夜通し歩き続けたが、老人の言っていた山はまだ見えては来なかった。

 いまだその影すらも見あたらない。

 それほどに遥か彼方に存在するのだろう。

 そこにたどり着くまでに、一体どれ程の時間を歩き続けなければならないのだろうか。

 クラウスは立ち止まり溜息を吐いて、苦笑を浮かべる。


 急ぐ理由は無いのだ。

 時間は無限にある。


 やがて夜が明け、朝となった。

 二日目も彼は日の昇る方角に向かって歩き続けた。

 昨日とは違い、途中何度も休憩を取った。

 休憩のたびに素振りと、ベルントを仮想の敵とした鍛錬を行う。


 そうして少しの間体を動かした後は、腰を降ろして辺りの景色に目を向ける。

 これまでは、こんな風に景色を眺めたりすることなど無かった気がする。

 何の変哲もない景色だ。

 それを何の感慨を抱くことも無いまま、ただ眺めて過ごす。


 しばらくして、彼は再び立ち上がり身体を動かし始めた。

 今度はただ動かすのではなく、身体強化の魔術を使用する。

 術を発動すると体内の魔力が消費されているのを感じた。

 この世界に来てから感じたことの無かった疲労感をわずかに覚える。


 肉体的な疲労を全く感じないのと同じように、魔力の消費も無いのかと思ったが、その予想は外れたようだ。

 だが、その疲労もすぐに回復してしまう。


 クラウスはそのまま、身体強化を行いながら身体を動かし続けた。


 そのまま一時間程それを続けたが、魔力が尽きることは無かった。

 消費するそばから回復しているのがわかる。

 元居た世界で同じことをすれば、三十分程度で限界が来ていただろう。

 この世界では、魔力はほぼ無尽蔵に近かった。


 身体強化の術を使用した状態で身体を動かすのには、鍛錬が必要だ。

 通常時と同じ感覚で身体を動かすことは出来ない。


 強化した状態で腕を振っただけで、その勢いで体勢を崩してしまったり、走ろうとして地面を蹴ったら、力の強さのせいで飛び跳ねてしまったりする。

 強化すればするほど、その扱いは難しくなる。

 この世界であれば、いくらでもその鍛錬が可能であるように思えた。


 一息ついて空を見上げると、太陽が中天に差し掛かっている。

 鍛錬に夢中になっているうちに、数時間が経過してしまっていたらしい。


 そんなことを繰り返しながら、その日も彼は歩き続けた。


 この世界に来て二日が経っていたが、今のところは平和そのものだ。

 あの老人が言っていたような、彼を狙う者達の姿も今のところは見当たらない。

 そうして夜となり、朝となった。


 この世界に放り込まれて三日目の朝だ。

 その日もクラウスは、日の昇る方角を目指して歩き続けた。

 それまでと同じように、途中で度々休憩しては技と身体強化の鍛錬を行う。


 そうして太陽が中天を過ぎた頃、クラウスは足を止めた。


 遠くに一匹の獣の姿が見えた。


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