Ⅲ 王の子 -33
「ランが戻らない」
神殿の内門でコルの顔を見るなり、開口一番、アランはそう告げた。聞こえる範囲に人はいなかったが、コルは肝を冷やした。
皆が神殿内の宿泊の準備をしている時、アランの側に付いて、コルは改めて状況を聞いた。
儀式が終わって、儀式場を出た後、迎えにきた女官たちの中に、蘭はいなかった。
それだけだ。アランが探すわけにも、特定の女官のことを聞くわけにもいかないので、なにもできなかった。当たり前だ。それでいい。
顔には出さないが、アランが動揺しているのをコルは見てとった。
「まだ、巫女たちの中に紛れているのかもしれませんね」
そう言いながらも、もうこれだけ時間がたっていれば、それも危険だと思った。ばれていてもおかしくない。
最悪の場合を考えて、コルはアランに釘を刺しておくことにした。
「どちらにしても、あなたは彼女に、何かあれば見捨てると、明言なされた。それは当然のことでありますし、彼女も納得していた」
いいですか、と念を押す。
「あなたは何もしてはいけません」
「分かっている」
力なく言うアランを見て、コルはお付きの女官を呼んだ。アランの側に付いておくように言い、側を離れる。
「部下に指示を出してきます」
シンは確か馬車から荷物を下ろしているはずだ。足早に、コルは馬車の方に向かった。
神殿の見取り図はすべて頭に入れてきた。
巫女姫の部屋は一番奥だが、広い庭がある為、外側からは意外に入りやすい。
とは言っても、神殿が背にしている崖を昇り、後ろの石垣から降りられる力量がなければ無理だが、幸いのにも信には可能だった。
石垣の上に降り立ち、様子を窺う。もう眠ったのだろうか、屋内にも明かりが灯っている様子はなかった。闇に沈んでいる。
信は焦る気持ちを抑えた。
蘭が戻ってこないと聞いてから、信はいてもたってもいられなかった。夜まで待てと言うコルを無視して、飛び出そうとし、部屋に閉じ込められた。暴れたら、無駄な体力を使うなと言われた。ご丁寧に外からカギをかけられて、出されたのは陽が落ちてからだった。
確かにあのまま飛び出しても、信が見つかった可能性は高い。
心の中で舌打ちしながら、信はそろそろと庭に降りた。
さて、凛は寝室で寝ているであろう。ただ、一人ではないかもしれない。お付きの人の一人や二人いるかもしれない。凛だけを起こすのは無理だろうか。
考えて、とりあえず寝室の様子を見ようと思った。そろそろと、移動しようとして、総身泡立った。思ったより近くに、人の気配を感じたのだ。
「だれ?」
少しおびえたような声が、池の近くでした。あちらの声も、聴かれるのを憚るように、潜めている。その声に、聞き覚えがあった。
「凛?」
息を呑む気配がした。
「……まさか……信?」
よかった。叫ばれる心配はない。信は音を立てず、声の方に近づこうとした。
「近づかないで!」
声を潜めたままだが、鋭い声で制されて、信は動きを止めた。戸惑って、もう一度確認する。
「え、凛……だよね」
「……」
しばらくの沈黙の後、答えが返ってきた。緊張しているのか、少し震えている。
「そう、凛よ。今は巫女姫だから……近づかないで」
「……分かった」
昔の凛とは違っていることに衝撃を覚えながら、信は神妙に頷いた。
「でも、俺の話を聞いて」
「……」
「蘭も一緒に来てるんだ。蘭は一目君を見たくて、巫女に化けて、儀式場に入ったはずなんだけど、戻ってこないんだ」
「……」
「何か、心当たりはない?」
「……」
「凛?」
何も言わない凛にしびれを切らせて、動こうとした時、凛は静かに言った。
「分かった。蘭はあなたのところに帰すから、信は戻って」
「え?でも」
突き放すような言い方に、信は戸惑った。凛の言葉には必ずできるという確信がこもっていた。だから、任せた方がいいのだろう。しかし……。
逡巡していると。凛が怒ったように言った。
「いいから、早く戻って。私も夜の内しか動けない」
「……分かった」
信は踵を返すと、音もなく石垣を越えた。
凛は信の姿が消えてもしばらく、石垣の上を見つめていた。
やがて凛も踵を返すと、部屋に戻っていった。




