Ⅰ 針森の村 -8
予想通り、凛と蘭は朝早くから、まかない所に呼ばれていた。日ごろ、下は五歳から、上は蘭たちの年頃まで、まかない所で手伝うのだが、五歳のちびどもも、容赦なくたたき起こされ、眠そうな目をしながら、文句も言わず並んで野草を洗っていた。
五歳の子どもが頑張っているのに、もう大人といってもいい二人が文句を言うわけにもいかない。二人は黙って大鹿の肉の塊を切り分けていた。なかなかの力仕事だが、村の女は力が強い。村では慣習として、男女の役分けがほとんどない。幼い頃から女の子にも力仕事を教え、男の子同様、仕事を言いつけられるからだ。逆に、男の子も破れた衣類の繕いなど、細かい作業を教わり、身に付けていた。
朔も洋も、用事があってか、どちらもちょうど調理場にいなかった。
蘭がふと顔をあげ、後ろを振り向くと、まかない所の入口に、見知らぬ女が立っていた。
肩の線できっちり切りそろえられた、まっすぐな金色の髪が、朝日を受けてきらきらと輝いていた。
だれだろう、としばらく考えて、見たことがないのなら、選定者の一人に違いないとやっと気が付いた。他の旅行者は、今、村に入ってきていない。
女は、凛を見ているようにみえた。子どもたちは、近寄りがたいのか、気づいていないのか、誰も場違いな女を気にしていないようだった。
村には金色の髪の者はいない。針森の村も含めて、この国の人間は、ほとんどが黒か黒に近い髪の色だ。村入りの時はフードを被っていたから、気が付かなかったが、露わになると、金色の髪はとても印象的だった。
金色の髪の女は、蘭の視線に気が付くと、にっこりとほほ笑んだ。そうすると、印象ががらりと変わり、近寄りがたい雰囲気は消え、気さくで親しみやすい女性のようにみえた。
女は、入ってもいいかと、身振りで示した 蘭は困惑した。朔も洋も、今は不在だ。村の者なら、調理場に誰が入って咎められないが、外から来た客人を入れてもいいか、蘭には分らなかった。
蘭が手を止めているのを見とがめて、凛もようやく顔を上げた。金色の髪の女に気が付くと、目を大きく見開き、口をあんぐりと開けた。そのまま肉で汚れた手を拭うこともせず、吸い寄せられるように女に向かっていった。
蘭は驚いて手を拭うと、凛の腕をつかんだ。凛は驚いて蘭を見ると、我に返ったようだった。小さく息を吐くと、肩から力が抜けていくのが、つかんだ腕からも感じることができた。
「あれは、誰?」
凛が小声で聞いてきたので、蘭も小声で返した。
「選定者の中の一人だと思うわ。昨日はフードを被っていたけど」
「ああ、それで……」
凛も金色の髪に目を奪われたようだった。
どうしたものかと気を揉んでいると、女の後ろから、朔の野太い声が聞こえた。
「おやおやお客人。宴はまだですよ」
蘭は心底ほっとした。物怖じしない朔に、拍手喝采を送りたいぐらいだった。
女は後ろを振り返ると、朗らかな声で答えた。
「すみません。村中の食事をつくるという大きなお台所が珍しくて」
その話し方は、普通の村の女となんら変わらなかった。
朔は、嬉しそうに頷いたが、しっかりとした声で言った。
「お客人は裏方を覗いてはいけませんよ。どうか、しばらくお待ちください」
女は名残惜しそうに凛の方を見たが、頷くと、背を向けて出ていった。
それを見届けると、朔はバンバンバンと三回、大きく手を打ち鳴らした。
「皆、何をぼうっとしてるんだい。昼までに間に合わないよ」
周りを見ると、まかない所にいる者残らず、手を止めて、こちらを見ていた。朔の打ち鳴らした手にびくりとして、皆作業に戻っていった。どの顔にも少し興奮の色が残っていた。
凛と蘭も、また肉の切り分け作業に戻った。しかし頭の中は、さっきの女のことでいっぱいだった。笑顔は親しみが込められていたし、話し方も気さくだった。話をしてみたいような、怖いような、複雑な感情が溢れてきて、なんとなく落ち着かなかった。
しかし、蘭たちが関わることはないだろう。村の大人たちが関わるだけで終わるに違いなかった。