Ⅲ 王の子 -29
「で、俺はクビですか」
テーブルに山積みの書類を前に、信は上司に尋ねた。
上司のコルは、無限にあると思われる書類と格闘しながら、苛立っていた。そもそもこういう業務が嫌いだから、軍人になったのだ。
「なぜ、今聞く?」
苛立ちを隠そうともせず、コルが怒鳴る。
しかし信はコルの怒りなどどこ吹く風で、のん気に目の前の書類をつついていた。
「いや、もしクビなら、この書類しなくてもいいかな、と」
「……」
「蘭に気づかれるな、と言われていましたからね」
「……」
「ただ、あそこで蘭とお后様を助けることができたのは、俺だけでしたし。姿現さずに、助けるなど無理でしたし」
「……」
「まぁ、それでも、命令は命令です。軍隊は特に規律を重んじなければ」
全く重んじる気などないように信がうそぶくのを聞きながら、こいつは本当に根性が悪いと内心ため息をつく。聞いているうちに、コルのイライラはなぜか治まってしまっていた。
信の有能さは、コルもよく分かっていた。半分酔狂で雇ったときとは、ここまで頼ることになるとは思わなかった。もはや役に立つという段階ではない。いないと困るのだ。
とりあえず、この書類の山をどうにかしなくてはならない。
「まぁ、バレた時には、暗殺事件が解決していたしな」
もごもごと言う。案の定、信がえ?と聞き返してきた。聞こえなかったはずはない。
「不問にすると言ったのだ」
怒鳴るようにコルは言った。
「え?それは書類をしないことですか?」
「……」
「それとも、蘭にばれてしまったことですか?」
「……ランにばれたことだ。もう、いい。書類をしてくれ」
信は満面の笑みで頷いた。
「かしこまりました」
これで、とりあえず、まだここにいることができる。
信はひとまず、安堵した。もっとも、コルたちが自分を手放さないだろうという自信はあった。そのくらいの役には立ったはずだ。
蘭は凛にまだ会えていないのだから、まだここに留まるだろう。后が蘭を気に入っていることは、周りから見ていれば、よく分かる。ただ、アランへの憎しみのはけ口にもされやすいが。
信は蘭の短くなった髪を思った。
傷つけられないように、気を付けなくては。それに……
「アラン様も仕事が溜まっていたのではありませんか。そちらは大丈夫なのですか?」
唐突に信は尋ねた。
コルが多少驚いて、顔を上げる。信はもう一度、繰り返した。ああ、とコルが何でもないことのように答える。
「あちらは、ランが手伝っているらしい」
あの時、蘭がジョゼに激高した。信は蘭があれほど激高するのを初めてみた。凛に関わることでも、あそこまで感情を露に、怒りをぶつけることはなかった気がする。誰のためにあれほど激高したのか……アランだ。
「シン」
自分が聞いておいて、何も言わない信を不審に思って、コルが呼んだ。信がゆるゆると顔を上げる。
コルは笑ってしまった。あんなにねじれた根性全開に、こちらを言いくるめようとするのに、こと、恋に関しては、この青年は驚くほど純情だ。
「アラン様とランのことなら、心配するな」
言い当てられて、信はバツの悪い顔をする。
「アラン様とランが仮に愛し合っても、結ばれることはない」
「え?」
「結ばせるわけにはいかない、と言った方がいいかな」
戸惑う信を、コルは楽しそうに見た。分からないという顔をする信はなかなか拝めない。
「お前たちの針森の村では、十六歳で皆、男女の営みを経験すると聞いた」
信は頷く。コルは少し呆れたような顔をした。この風習を嫌っているのかもしれない。
「ということは、ランも経験済みだということだ」
「……それがうちの村では、大人になるということですから」
「さて一方都では、王族の妻は、乙女でなくてはならないとされている」
「ああ、なるほど」
信は理解した。都では結婚のその日まで、契らないというのが普通だと、キースが言っていた。王族貴族なら、その傾向は顕著なはずだ。
「いや、おそらく、お前はちゃんと分っていない」
コルは首を振る。
「太陽王と王太子は、仮初めでも、乙女でないものと契ってはならないのだ。次代の太陽王が生まれる可能性があるからな」
「……」
「穢れているランを、王太子と結ばせるわけにはいかない。どうあっても」
蘭のことを穢れていると言われて、信の頭は一瞬、カッと血が上った。立ち上がりかけたのを、コルは面白そうに見ていた。
「シン、お前は早くランを自分のものにしろ。アラン様がランのことを愛してしまったら、ことだ」
ほら、書類をしろ、と言われて、信はストンと椅子に座った。書類をめくりながら、信の意識は遠くの方にあった。
「ああ、そうだ」
ついでのことのように、コルが言った。
「巫女姫が正式に決まったらしいぞ」




