Ⅰ 針森の村 -7
寧はにっこり笑って言った。
「では、明日のお楽しみね。明日は選定者たちの歓迎の宴をひらくって洋が伝えにきたわ。きっとあなたたちは、総出で朝からお手伝いね」
寧は凛たちが答える前に、器を持って立ち上がり、きちんとすすぐと、寝室へ消えていった。
柳は寧を見送ると、凛たちに視線を戻した。柳と凛は、目がよく似ている。意志の強い、切れ長の目。
「桜婆さまは元気そうだったかい」
桜婆は普段は口伝師たちの住む社で生活している。口伝師とは、村の歴史や知識を先代から受け継ぎ、次の世代へ伝えることが仕事だ。その知識量は膨大で、それをすべて頭の中に収めている口伝師は、村人の尊敬を集めていた。
口伝師は、生まれつき体が不自由な者が志すことが多い。幼い頃から、口伝師の社に修業に入り、知識を少しずつ詰めていく。そうでないと、とてもすべての知識は頭に入りきらないのだ。言ってみれば、どこか不自由を持って生まれたものは、生まれつきの口伝師と言ってよかった。
しかし、桜婆は少し違う。彼女は若い頃は、腕のいい狩師だった。しかし、熊に襲われ、片足を失くしてしまった。狩りができなくなった彼女は、なぜか口伝師となった。中途で口伝師になるのは、易しいことではない。それどころか、前例がなかった。
にもかかわらず、桜婆は最高の口伝師となった。最高位になった時には、もう婆と呼ばれる歳になっていたが、その後も長い年月生き続けている。一体何歳なのか、村の者は知りえなかった。
「ええ、お声も張りがあったし、手をついて頭を下げる動作が、とてもなめらかで美しかったわ。私たちも釣り込まれちゃって、みんな慌てて頭を下げたの」
おかしそうに話す凛に、柳はゆったりとほほ笑んだ。
「よかったわ」
柳は器を持って立ち上がった。
明日は、村を挙げての宴だ。食事の支度は、まかない所と子どもたちでやるが、大人も会場の支度で忙しいだろう。柳たちの年代が、村の機能の中心を担っていた。
「あんたたちも早く寝なさい。寧が言う通り、朝早くから仕事があると思うわよ」
蘭は頷いて、立ち上がった。
凛が一人でしゃべっていたが、蘭も桜婆さまには驚いた。特別なことが村にやってきたのだ、という実感が、今さらながら沸いてきた。
明日も特別な日になるだろう。目の回るような一日になるに違いない。
祭りの前夜のような興奮が、身体の内側から湧いてきた。なかなか寝付けないかもしれない。それでも、休まなくては。柳や寧の言う通り、明日は朝早くから、まかない所に行かなくてはならないだろう。朔の怒鳴り声が、頭に浮かんだ。