Ⅲ 王の子 -20
小さな男の子が泣いている。
「どうしたの?」
蘭がしゃがみこんで尋ねていた。優しい声だ。事情を知っていて、安心させようと試みる声かけ。
「どちらがお父様か分からないの」
男の子は指さした。指の先には、二人の男の影がたたずんでいる。
「どちらって、それは」
蘭の声が不安に揺れ始めた。言いかけて、口をつぐむ。男の子は泣きながら、明らかに落胆していた。
「そう、教えてくれないの」
ああそうか、と思い直したのか、男の子は顔を上げた。あんなに泣いていたのに、涙が見えなかった。目をいっぱい広げて、恐怖に慄いている。
「どちらも父上ではないんだね」
そこに、女の叫び声が重なる。断末魔に近い叫び声の後、ぞっとするような声が響いた。
「そんな……どうして、お前が生まれてきたの?」
お前が生まれなければ、わたしもあの人も死なずにすんだのに!
蘭が男の子の頭を抱きしめ、耳と目を必死にふさいでいるのが見えた。
もう、悲しい思いをしないで。守ってあげるから。
蘭の声がそっと耳をかすめた。
凛は目が覚めた時、一瞬、どこにいるのか分からなかった。
ああ、巫女姫の寝室だと気が付いても、しばらく起き上がらす、ぼおっとしていた。アシュランは寝室の外に控えているらしく、幸運にも寝室にはほかに誰もいなかった。
蘭の夢を見たのは久しぶりだ。元気でやっているだろうか。信と結婚して、子供を授かったりしているのだろうか。
信のことを考えても、もう心が疼いたりはしなかった。
自分は巫女姫という入れ物だ。もうすぐ、正式に太陽王から巫女姫に任じられるだろう、とセレネは言っていた。
感慨も絶望も感じなかった。凛はもうすでに、自分がこの世の人間ではない気がしていた。
ゆるゆると毎日巫女姫になるための準備をする。それはすなわち死への準備だ。婚礼
の儀の時に死ぬのではなく、今、ゆっくり死んでいっている。準備の間に、凛はだんだんそんな気になっていた。
それにしても、あの金色の男の子はだれだろう。
セレネは、目をつむり、じっと集中していた。久しぶりに、蘭の夢が凛のところにやってきた。
豊穣祭の時、蘭が神殿の町に入ったことを感じて、様子を見に行った。危うく気付かれそうになり、逃げたら、今度は蘭が人攫いに捕まってしまった。
蘭に何かあれば、凛は必ず分かってしまうだろう。蘭が死んでしまえば、婚礼の儀の前に、凛は壊れてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。仕方なく、豊穣祭の為にこちらに来ていたアランに救出を頼んだ。次代の太陽王に頼むのは躊躇われたが、血族なら、巫女姫のことに限っては、口外の心配もしなくていい。
それにしても、とセレネは思い出して、苦笑する。まさか、王太子自ら助けに行くとは思わなかった。王宮の外に出ると、あの子が無鉄砲になりたがるのを忘れていた。
少し、軽率だったかな。
セレネは、凛のところに来た蘭の夢を、思い返した。
あの男の子は、金色の髪をしていた。
蘭は夢を発信もするが、受信もするようだ。
蘭の夢で暗示された物語を、セレネは知っていた。
アラン……アウローラ王太子。彼が蘭と近しいところにいる?




