Ⅲ 王の子 -16
「ラン、どうだ?」
夜の君が広げたのは、蘭が初めて夜の君を見た日の、あの黄地の布だ。蝶が夜に鱗粉をまき散らし、キラキラと飛んでいる。その反物が、一着の衣に仕上がっていた。
柳と寧を思い出し、蘭の顔がフッと和んだ。
「ああ、いいですね。でも、后様には地味ではないですか」
美しいが、いつも后が身に付けているものとは、品が違う。
后は無造作に手を振り、違うと言った。
「お前のだよ、ラン。ほら」
后が指し示すところを、かがんで見ると、動きやすいように横にスリットが入っていた。后妃や姫たちが着るものにはありえない造りだ。
「晩餐会には皆、衣装を新調してくる。使用人たちもだ。お前だけ、いつものというわけにはいくまい」
蘭はこれまで、初日に着ていた藍色の服で通していた。晩餐会の衣装など、頭にもなかった蘭は、面食らった。着てみろと后に促され、女官長を見ると、あごで部屋の隅を示された。
最初に后のところに案内してくれた女官が、実は女官を束ねる長、女官長であった。
この女官長はカナエという名であるが、これがニコリとも笑わない。女官長は、后付きの筆頭女官でもあった。ゆえに、蛇のような后と笑わない女官長がいるこの后の部屋は、女官たちの間で、魔の部屋とひそかに呼ばれていた。
そこにやってきた一風変わったランという女官を、皆興味津々で観察していた。大胆な服を着て魔の部屋に入ってきた若い女官がどうなるか、普段刺激が少ない後宮勤めの女官たちの、格好の娯楽となった。
しかし、蘭としては何事もなく、平穏に日々が過ぎた。
周りのざわめきも、女官長の冷たい目線も、蘭は一向に気にしなかったからだ。その毅然としたように見える態度に、一部の女官たちがあこがれの目を向けてくるようになった。男のいない狭い世界、凛々しい女はそういう対象になりやすい。
「いいではないか」
着替えた蘭を見て、夜の君が目を細めた。
この御仁は、本当に分からない。
夜の君の視線を受け止めながら、蘭は思った。
自分が王太子の差し金だと、はっきりと分かっているのに、なにかと構ってくる。王太子のことを嫌っているという噂が、真実でないのかとも思ったが、たびたび王太子の悪口を口にするし、その口調も憎々しげだ。王太子の足を掬えないか、何かと目を光らせている節もある。
それでも、蘭をひどく扱ったりはしない。むしろ、客観的に見ても、気に入られているのではないかと思う。
「髪を結わえた方がいいな」
后が言うと、女官が走り出て、蘭の髪を結わえようとした。待て、と夜の君がさえぎる。
「短い方がいい。だれか、鋏をもっておいで」
一瞬、意味が分からなくて、だれも動けなかった。
女官長の咳払いが聞こえて、一人の女官がはじかれたように、動いた。
鋏を手に、すぐに戻ってきたが、それを誰に手渡せばよいか分からない。戸惑っていると、后が無造作に手を出した。
恐る恐る鋏を手渡す。
后は立ち上がり、スタスタと蘭のところに行くと、ザクッと蘭の右横の髪を切り落とした。
サラサラと切られた髪が、床に落ちた。
切られた蘭は、声もなく、后を見ていた。
后は頓着することなく、ザクザクと蘭の髪を切り落としていく。背中に流れていた美しい黒髪は、無残に床に散らばっていった。
一通り切ると、后は鋏を手にしたまま、少し離れて蘭を見た。
「ああ、いいよ。こちらの方がいい」
蘭の髪は肩のあたりでギザギザに揺れていた。
結べと命じられた女官は、震える手で短くなった蘭の髪をひもで括った。
夜の君はもう一度目を細めて蘭を眺め、満足そうに頷いた。
「ああ、凛々しくなったよ。晩餐会が楽しみだね。アウローラはどんな顔をするかしら。ラン」
「はい」
蘭は微動だにせず、后を見つめていた。声もかすれていない。しっかりした声だ。
「アウローラに髪のことを聞かれたら、『夜の君が、お手自ら、切ってくださいました』というのよ」
その目は愉悦の喜びに輝いていた。




