Ⅲ 王の子 -11
出入りの業者や下働きは裏上門を通り、後宮の裏口から入るが、女官は正式な職務とされているので、後宮に入る初日は政庁から後宮に入る。本当に中を通るだけの形式的なものなのだが、良家はかわいい娘の為に、せいぜい豪華な衣装を用意する。政庁を通るためだけの衣装である。家は各々一族の隆盛を、その衣装の煌びやかさで競うのである。
そして、後宮の主、正妃である夜の君に目通りする前に、煌びやかな衣装は脱ぎ、今度は落ち着いた色の無地の着物に着替える。
そうして、慎み深い顔で謁見するのが習わしになっていた。
昔、田舎の豪族の娘が女官として後宮入りした時、煌びやかな衣装のまま謁見してしまい、夜の君にこっぴどく罵られ、国に返されたことがあった。万に一つも、間違いがあってはならないのである。
蘭はキースに連れられ参内した。良家の子女たちは侍女をたくさん連れて参内するが、蘭にはそんなものはいない。保護者としてキースが付いてくるだけである。
蘭は政庁を通る時から、仕事着を着ていた。誇りたい家でもないのだから、仕方がない。藍色の無地の服をぴったりと着ている。
本当にそれを着て政庁の中を歩くのかと、キースは何度も聞いた。そのたびに、蘭はそっけなく頷いていた。
キースは蘭の服の地味さを指して言ったのではない。その藍色の服は足を動かしやすいように、両側に大きくスリットが入っていた。歩くたびに、蘭の美しい脚が惜しげもなく露になるのだ。
政庁に入ってすぐは、政庁の誰も蘭を目に留めなかった。しかしすれ違った役人がぎょっとして思わず振り返った。蘭は気にも留めずにずんずん進んでいく。キースが先導するはずなのに、蘭の足が速いので、ほとんど並んで進む羽目になった。
瞬く間に何人もの男が蘭の足に気が付き、振り返る。少しずつ大きくなりつつあるざわめきを残して、蘭はさっさと政庁を後にした。
後宮の入り口では、後宮の女官が無表情に待っていた。政庁から出て来た蘭を一瞥すると、少し眉をひそめた。
若い役人が政庁から小走りで出てきて、何事かを女官に耳打ちした。女官は重々しく頷くと、蘭の正面に向き合った。
「政庁での無事の参内、おめでとうございます。これから、お后様の御前に案内いたします」
そっけなくそう言うと、女官は入り口を通って、中へ向かった。蘭が後に続く。キースがどうしようか迷っていると、女官は馬鹿にしたようにキースを見た。
「ここからは男性は入れません。ご苦労様でした」
それから、女官は一度もこちらを振り返ることもなく、話しかけることもなく、前を向いて、無言で進んでいった。
奥まで進み、大きな扉の前まで来ると、初めて蘭を見て、頭を下げた。
「こちらで少々お待ちください」
そうして去っていき、蘭は取り残された。
すぐには扉は開かなかった。
蘭はまっすぐ立ち、静かに待っていた。
「入れ」
扉の奥から命じられ、蘭は扉の前まで進み、その大きな扉を押した。見た目より扉は軽く、片手でもすんなり開いた。
夜の君は籐で編まれた寝椅子に横になっていた。肘をつき、顎に手をあてて、面白そうに蘭を見ていた。傍らには、先ほどの女官が控えていた。
入るとすぐに、蘭は平伏した。額を床につけて待っていると、
「近うよれ」
面倒くさそうに后が言うのが聞こえたので、蘭は立ち上がり、ゆっくり近づいていくと、寝椅子の傍らに片膝をついた。控えの女官がピクリと動く。
「この間は平伏もろくにできなかったのに、鍛えられたか」
顔を上げて、夜の君を見る。ただし、目線は微妙にずらしている。
「わたしを一目見て、竦んで動けなかった者が……」
嬲るように言ってから、ペロリと紅い唇をなめた。
「よい面構えじゃ」
蘭はそれには答えず、さっと頭を下げた。
「ランと申します。全身全霊をもって、貴方様をお護りいたします」
蘭はわざと都の発音で、名乗った。出身を明かさない方がよいという、王太子の指示だった。
夜の君は鼻で笑った。
「では、せいぜい護ってもらおう。外の敵からも、内の敵からも、お前自身からも」
「わたし自身、ですか」
何でもないことのように、蘭が聞き返す。后は椅子の上で起き上がり、跪いた蘭を見下ろした。
「わたしを護るはずの刃を、わたしに向けないとも限らないだろう」
当たり前のことを説くように言う后の言葉に、蘭は吹き出した。
咎めるような視線を、女官が蘭に向ける。
蘭は微笑んだまま、静かに話し始めた。
「貴方様が殺されれば、わたしの命はないでしょう。それが、外の敵の仕業でも、内の敵の仕業でも、私の仕業でもです」
笑顔を張りつかせたまま、后の目を見つめる。
「わたしがこの仕事をするのは、貴方に忠誠を誓っているわけでも、王太子に忠誠を誓っているわけでもありません。わたし自身の目的のためです。そのために、わたしが死ぬわけにはいかないのです」
后の目が、更に細くなった気がした。そして夜の君と呼ばれる、後宮の最高権力者はにやりと笑った。
「よかろう」
愉快そうに、后が命じる。
「片時もわたしの側を離れず、いかなる敵からもわたしを護れ」




