Ⅲ 王の子 -9
信が怒ると本当に怖い。幼いころから一緒にいた蘭は、よく知っていた。
剛などは怒るとすぐに顔を赤くして怒鳴るので分かりやすい。そして一通り怒鳴りあうなり、殴り合ったりすると、すっきりしてケロッとしてしまう。ある意味爽やかな男だったが、一見爽やかに見える信は、静かに冷たく怒る。そしてその冷たい怒りの炎は、いったん燃え出すと長いのだ。
冷たい怒りの矛先を向けられたものは、精神的に追い詰められていく。
剛とけんかになっても、信は軽くあしらうことの方が多かったが、本当に二人がぶつかると、剛が殴り掛かっても、信は結構強い。さらに、その冷たい怒りに長くさらされると、剛が参ってしまうことが多かった。
その信の部屋で、蘭はごくりと唾を飲み込んだ。信は寝台の縁に座って、蘭を見上げていた。立ち尽くす蘭に苦笑して、椅子を勧める。蘭は椅子を引っ張ってきて座った。
「この部屋、まだ俺用に置いていてくれたんだ」
数か月しかたっていないのに、懐かしそうに部屋を見回す。そうして、また蘭を見ると、ほほ笑んだ。
「蘭、怖い顔してるよ」
蘭は心を決めた。
「信、ザックさんやニノさんには本当のことを話してないの」
「うん、そうだね」
信はあっさり肯定する。
「でも信には本当のことを話しておきたい」
信の表情には何の変化も現れなかった。
「キースに聞いたんだよね?どこまで」
帰って来た時のキースの青い顔を思い出して、蘭はキースがほとんど吐いてしまっただろうと思った。
信は深くため息をついた。蘭の顔を見て、静かに話し始める。
「女官というのは建前で、本当は后の警護に付くこと。でもそれも建前だということ。一か月も帰らなかったのは、礼儀作法を身に付けるためではなく、武術の手ほどきを受けていたということ」
その目は怒りと言うより、痛ましいものに変わっていた。
「その代わりに巫女姫に会わせてほしいと、王太子と取引をしたこと」
それから……と付け加える。
「神殿の町で、人攫いに攫われそうになったところを、王太子に助けられていたこと」
「全部だね」
蘭がぼそりと言った。
信は思い出したように、少し笑った。
「神殿の町のことは、キースは最初、言わなかったよ。でも、王太子がどこで蘭に目を付けたか、分からないじゃないか。問い詰めたら、苦しいものを吐き出すようにしゃべっていたよ」
「信には言わないで」と安易にお願いしたことを、蘭は心の中でキースに謝った。
「蘭」
思い詰めたように、信が呼びかける。
「服を脱いで」
蘭が戸惑うと、今度は強い口調できっぱりと言った。
「体を見せて」
信の意図するところを察して、蘭は表情を強張らせた。信は立ち上がると、蘭のところまで行き、服を脱がせ始めた。
蘭は抵抗しなかった。
蘭の身体が露になると、信は傷ついたように、それを見た。
蘭の身体にはいくつもの傷、痣の痕が付いていた。
大きな傷はないものの、腕や足には、小さな擦り傷、切り傷がたくさんあり、打ち身は赤や紫のものが、足や腕だけではなく、胸や胴にまで残っていた。
蘭は弁解するように言った。
「でも、最近はけがをしないようになったの。これはほとんどが最初のころのものよ」
信は傷ついたままの目で、蘭の目を見た。
「そんなになっても、凛に会いたいの?」
信のまっすぐな言葉に、蘭はうつむいて頷いた。
「敵の懐に行くってこと、分かってる?そんな傷じゃすまないよ」
王太子と后は仲が悪い。なにかあれば、蘭の命など使い捨てだ。
「分かってる。でも、ただじゃ、使い捨てられないわ」
蘭の目が熱を帯びた。蘭が一歩も引かない時の目だ。信はその目を見ると、蘭を抱きしめた。
俺が引き止めても、止まらない。
「蘭、俺がいるって忘れないで」
切なさで身が千切れそうだ。
蘭は身をよじると、信の腕から少し身を離し、信を見上げて言った。
「分かっているわ。忘れてない。信がいるから、ちゃんと帰ってくるわよ」
信の血は逆流し、蘭をますます強く抱きしめた。そして、蘭の傷、痣、一つ一つに口づけていった。




