Ⅲ 王の子 -8
「あれ、また、チョイがないよ。だれか買ってきてくれないかい? 早くしないと、ランが帰ってきてしまう」
ニノは戸棚の下の食糧庫に半分頭を突っ込んで、食料を漁りながら、声を張り上げた。
裏口から静かに入って来た若者が、笑いを含んだ声で、それに応じた。
「僕が買ってきましょう」
その声を聞いて、ニノはガバッと頭を引っこ抜き、声の主を見て喜びの声を上げた。
「シン!」
「ご無沙汰しております」
久しぶりに帰って来た信を、ニノは抱きしめようとして、目を丸くした。
「あなた、随分男らしくなったんじゃない?」
坊ちゃん風だった顔は、引き締まって男らしい精悍な顔になっていた。
信はニッコリ笑って言った。
「そうですか?ノックさんに鍛えられてるからかな」
ところで、と続ける。
「キースはいますか?買い出しに彼と行きたいのですが。重たいものも買ってこられますよ」
「ああ、それがいいね。帰って来た早々、すまないね。キースは店にいると思うよ。呼んで、一緒に行ってくれないか」
ニノはあっさりと承諾した。
「ご無沙汰しております。ただいま戻りました」
店先に信が顔を出し、挨拶してきたとき、キースはその笑顔の裏にある殺気に近いものに、ぞっとした。信に詰め寄られるところをいろいろ想像していたが、想像していたより怖い。
ザックと信が少し話した後、信がこちらを向いたので、キースは引きつった笑顔で、挨拶をよこした。
「やぁ、元気そうだね」
「おかげさまで。ところで、ニノにキースと一緒に買い出しに行くように言われたよ」
ザックが横から、「ああ、行ってきなさい」と口を挟む。今日はたくさん飲むだろうから、酒を多めに買ってきてくれとのん気に言っているのが聞こえた。
仕方なく、キースは頷いた。
「じゃあ、行こうか」
ひるんでいるのが声に出ていなければいいがと思いながら、戸口を出た。
「さて」
店が見えなくなったころ、腹の底から出したような低い声で、信が切り出した。
キースの体は不覚にも、びくりと震えてしまった。
「どういうことか説明してもらおうか」
怒りを含んだ声に、キースは内心頭を抱えた。
「ただいま帰りました」
元気な声が裏口から聞こえたかと思うと、方々から小走りで近づいてくる足音が集まって来た。最初に顔を出したのは、やはりニノだった。
「お帰り、ラン!」
即座に蘭を抱きしめようとしたが、動きを止め、そのままの格好で、まじまじと蘭の頭から足先まで眺めた。
「あらま、あんたも、まぁ、見違えちゃって」
「も?」
蘭が聞き返す。
「ランが帰ってくるって聞いて、シンもさっき帰ってきたのよ。なんだか、男ぶりが上がっていたわよ」
嬉しそうに言うニノに、蘭は笑顔で応えた。しかし、内心はそれどころではなかった。信は今回の帰省の大一番である。
「それにしても、王宮に行ったその日に見込まれて、女官なんてね。びっくりしたわ。それにしても、一か月で見違えたわ。もともと美人だったけど、なんていうか、引き締まった」
ニノは今度こそ、蘭を抱きしめた。
ニノやザックには事実の一部しか言っていない。
蘭はキースに連れられて後宮に行ったあの日、后に気に入られて、后付きの女官になることになった。ただし、礼儀作法を身に着けることが急務だったので、一度店に戻ることもなく、その日から教育係に預けられ、一から叩き込まれることになった。
店に一人で戻ったキースは、反物がうまく売れたことと共に、そう両親に伝えたのであった。
后様の直接の意向だったので、断ることなどできなかったこと。蘭が前向きに受け入れたと付け加えることも忘れなかった。
王族の命令を下々の者が断ることなどできない。ニノたちもそれはよく分かっていたので、蘭が后の命令を喜んで受け入れたと聞いて、安堵した。
ただ、信はそうはいかない。
キースは信にわざわざ伝えることはしなかったが、ザックからノック、そして信に伝わることは分かっていた。
ニノの大きな腕から解放されて、蘭は集まっている人たちを見た。ザックが嬉しそうな心配そうな複雑な顔で見守っていた。住み込みの見習いの若い娘が何人か、興味津々な様子でこちらを見ている。
「キースと信は?」
二人の姿が見えないことに気が付き、その組み合わせの不吉さに、蘭は恐る恐るニノに尋ねた。
ニノは答えようとして、あら、と蘭の背後にある戸口に目を向けた。
「やぁ。お帰り、蘭。会いたくてたまらなかったよ」
聞き覚えのある声がした。子どものころからよく知っている声。甘い言葉に、若い娘たちがキャッ騒いだ。
振り返ると、満面の笑みを浮かべている信がいた。作り物のような笑顔に、蘭は二の足を踏んだ。信の後ろに立っているキースが、こころなしか青い顔をしている。
キースの目を見ようとすると、ふいっとそらされてしまった。
信は蘭を抱きしめると、耳元でそっと囁いた。
「事情はキースに聞いたよ。俺も今日は泊まれるから、ゆっくり話そう」
答えないでいると、ちっとも腕の力を緩めてくれないので、蘭は頷いた。
まぁ、今回はそのつもりで帰って来た。信に黙ったままでいようとは蘭も思っていなかった。
「さぁ、挨拶はその辺にして、食事にしましょうか」
ニノが助け舟を出してくれ、信も腕を放してくれた。




