Ⅱ 都 -22
ノックの作業場で、信はうなっていた。
こう言っては何だが石師の見聞を深めたいと言ったのは、ただの口実である。それは桜婆にも見破られていたが、下手に言い訳しても仕方がないとしらばくれていた。
しかし、ただの口実であったノックの作業場で、信は運命の出会いをしてしまう。
ノックの石工としての技術である。
針森の村では実用にかなっていれば、石に装飾はほどこさない。そもそも、一番多い仕事は矢尻をつくることである。
ノックは都でも高い技術を誇る石工だとザック言っていたが、石に素晴らしい装飾を施す。
大きな石に、鑿を自在に動かして、美しい模様や形を施していく様子に、信は釘付けなった。
ノックは普段はよくしゃべり、大雑把な性格なのだが、石を前にすると、人が変わったように寡黙になり、顔つきまで変わる。
その手から掘り出される文様は、息をのむほど美しい。
ノックはノックで、信の黒曜石から矢尻を作る技術に興味をしめしていた。都では狩猟は一般的ではない。ゆえに、矢尻は広く作られているわけではなかったし、質も針森のものには遠く及ばなかった。
ノックは普段、花崗岩を扱っている。花崗岩から、建造物と言っていいほど大きなものを生み出しているのだが、信が黒曜石を薄く薄く削っていき、鋭い矢尻を作ると、「美しい」と感心していた。
「そういえば」
作業がひと段落した休憩時間、豆茶をすすりながら、ノックがおもむろにしゃべり始めた。
豆茶はお茶用の豆を炒ったものを、細かく砕き、湯を注いだもので、都では広く飲まれているお茶である。
針森で飲まれる蜜茶のほうが、甘みがあって疲れた時にはいいが、豆茶のさっぱりした風味も、信は好きだった。
「お前さん、女を追いかけてきたのだっけ?」
なんでもないことのように、さらりとノックが言うので、信は意味をつかみ損ねた。一瞬の間の後、思わず豆茶を噴き出して、むせてしまった。
ザックはそう言って、ノックに紹介したのだろうか? よくそれで雇ってくれたものだ。
目顔でそう問うと、ノックはよほどおもしろかったのか、その時のことを思い出し笑いをしながらも教えてくれた。
ザックはもちろん、最初から事情を打ち明けたわけではなかった。辺境の村から来た「石師」を生業とする若者に、石工の技術を見せてやってくれないかと、切り出して来たという。その時ザックに信が作った矢じりを見せられ、興味をそそられた。
ノックは弟子を取ることに、積極的ではなかった。
なんのことはない。面倒くさいのだ。
普通は自分の技を伝える為に、後進を育てる。技術の伝承は、技術者の大事な務めだ。
だが、弟子をとると、弟子と生活を共にしなくてはならない。弟子の人生を背負いこまなくてはならない。
そこまでして、自分の技を伝えようとは思えなかった。
だが、その弟子育てが大好きなザックが切り出したのは、少し毛色が変わった若者だった。
黒曜石を加工する技術は素晴らしい。この薄く、鋭く削っていく技術は、ぜひ見てみたい。しかしそれでも、信を預かる気にはなれなかった。矢じりを眺めながら、その旨をザックに告げると、ザックは肩を落とした。
「ノックにピッタリだったのだけどな」
食い下がろうとするザックに、ますます断る意志を強くした。
「ほかの石工をあたればいい。都の下町には石工なんてごまんといるぞ」
そういうと、ザックは苦笑いした。
「いや、たぶんお前じゃないとダメだ」
「腕がいいからか? その辺の石工では、だめだということか?」
「それもある」
ザックは重々しく頷いた。
「では、俺が紹介してやる。俺くらいの腕なら、いいってことだろう?」
「いや、たぶん先方が断る」
「は?」
ザックは窺うような視線をノックに向けた。これを言って、さて吉と出るか。
「その子は、石工の技術を磨きにきたわけじゃないんだ」
「何?」
「女を追いかけて来たんだよ」
ノックは一瞬黙り、その後大声で笑い始めた。
「それで、とりあえず、顔見てやるから連れてきてみろって言ったんだ」
「どうだ」とばかりに愉快そうに言われても、信としては神妙にうつむくしかなかった。ノックの技術を学びたいと思った今では、なおさらだ。
そんな信を満足そうに見て、ノックは意地悪く言う。
「そんな奴に、俺の技術でぎゃふんと言わせてやろうという気持ちもあった」
ますますうつむくしかない信の背中をバシンとたたいて、嬉しそうに笑う。
「そんな情けない顔するな。そうでもなきゃ、会いもしなかっただろうからな」
で、とノックが顔を近づけてくる。
「いい女なんだな?」
にやにやする顔に頷きかけながら、信ははたとノックが独り身であることを思い出した。
顔をあげると、にっこり笑って、言う。
「もちろんです。追いかけて来たくらいですから」
「今度、会わせてくれな。ザックのところで働いているんだよな?」
「いやです」
信はにっこり笑ったまま、きっぱりと言った
「ノックさんが彼女を好きになっては困ります。師弟関係がギクシャクするのは嫌ですし」
「そうだな、俺は結構もてるしな」
「それはありません」
即答する信にカチンときて、ノックはつっかかるように言った。
「そんなの分かんないぞ。それとも、すっかりお前のモノなのか?」
「いや」
信の顔が苦しそうに歪んだ。
信のこんな表情を、ノックは見たことがなかった。思わずひるむと、信はすぐに笑って言った。
「彼女はまだ、彼女の妹のものなんです」
ノックは鼻の横をポリポリと指でかいた。
笑って言いながらも、言葉は切実さをはらんでいて、ノックはその意味について聞き返すことができなかった。
「まぁ、なんだ。もうじき豊穣祭だ。賑やかになるぞ」
もぞもぞとしゃべりながら、ノックは仕事に戻ろうと促した。




