Ⅱ 都 -18
当然の話だが、信は朝からすこぶる機嫌が悪かった。もちろん原因は昨日の晩だ。
朝、起きると、まず頭が痛かった。そして背中も痛かった。しばらく呆然とし、頭痛の原因が飲みすぎだということに思い至り、それにしてもなぜ床の上で寝ているのだろうと眉をひそめたところに、キースの顔が視界に飛び込んできた。
さも心配しているような顔で、水を差しだしてきた。
「大丈夫かい? 昨日はずいぶん飲んでいたから」
そこで、何もかも合点がいった。
キースに挑発されて、飲みすぎてしまったこと。なぜキースが挑発したかも。
それでものどがカラカラだったので、黙って水を受け取る。起き上がると、どうやら胃もムカついてようだった。
水を飲むと、かすれた声でつぶやいた。
「覚えてろよ」
キースは聞こえていないふりをして、空になったコップを受け取った。
「さて、蘭はゆっくり寝られたかな」
楽しそうにキースがうそぶいたところで、扉がノックされた。
「おや、噂をすればなんとやらかな」
キースが嬉々として扉を開けた。
信は努めて、蘭の方を見ないように顔をそむけた。いや、見られないように、そむけたのだが、
「あれ? 蘭、よく眠れなかったの」
キースの心配そうな声に、一も二もなく振り向いた。
蘭は爽やかとは言い難い顔色で立っていた。
「眠れたんだけど、少し夢見が悪くて」
キースに招き入れられながら、蘭は困ったように言った。そうして、信の顔を見ると、
「信、大丈夫? 顔色がとても悪いわ」
心から心配している声に、信はますます自分の不甲斐なさに腹が立った。
「ごめん、飲みすぎたみたいで」
立ち上がろうとすると、激しい頭痛と吐き気に襲われて、思わずしゃがみ込む。
「これはちょっと今朝の出発は無理かな」
キースがやれやれと言った感じで言ったのを聞いて、信はもう一度立ち上がろうとした。キースにこれ以上弄られるのはごめんだし、出発が遅れれば、それだけ宿代も嵩む。
何とか立ち上がり、
「よし、行こうか」
と言ったが、だれも動こうとしなかった。キースは肩をすくめ、ザックはそんなキースの頭を叩いた。
「キース、お前は調子に乗りすぎじゃ。いい大人が、何しとる。信くん、気にすることはない。今回の遅れは、こいつの責任じゃ。昼までゆっくり休んで、昼飯を食ってから出よう」
それに……と、小声で耳打ちする。
「蘭も、もう少し休んだ方がいい」
蘭が自分たちの部屋で休もうと言ってくれたので、信は嬉しかった。
寝台に横になると、ふーっと体が楽になった。やっぱり床で寝かせるなんてあんまりだよなと、怒りが再燃してきたところで、隣の寝台に横になっていた蘭が、手を伸ばしてきた。
驚いて、どういう意味かと蘭の顔を見ると、蘭は不安そうな顔でこちらを向いていた。
「手をつないでいてくれる?」
狭い部屋なので、寝台と寝台の間は人が通れるほどもなかった。手をつなぐのはたやすいが、今までの警戒ぶりからの転身と不安そうな顔が気になった。知らない土地で、一人で寝たのが、不安だったのだろうか。
そう尋ねると、蘭はあっさりと首を横に振った。
「夢を見たの」
今でも夢心地な様子だ。
「多分……凛に……たどり着けなかった夢」
そう言って、目の焦点が戻ってくると、照れ笑いのように顔を歪めた。
「また、あの夢をみたくないから、手をつないでいてくれる?」
蘭の手を取ると、ひんやりと冷たかった。 強く握りすぎないように気を付けながら、信はしっかり包み込むように握った。
蘭が凛の名前を口にするときの、苦しそうな後ろめたそうな顔は、信に少しショックを与えていた。
凛は蘭をまだ放してくれないのだな。
幼い頃、なついてくる凛は可愛かったし、愛しい気持ちはあった。しかしやはり、妹みたいな存在は、それ以上の者にはならなかった。それより気になったのは、妹に対する蘭の健気さで、それは懸念でもあったが、信はうらやましく思った。蘭の妹に対する笑顔は、自分たちへ向けられるものとはまた別物で、特別な笑顔だった。その笑顔を自分にも向けてほしいと切に願った。
しかし、やはり、その笑顔は凛だけのものだった。
握った手を引っ張って、蘭を抱きしめたい衝動に駆られて、ぐっと我慢していると、隣から規則正しい寝息が聞こえてきた。身体から力が抜けていき、信も目を瞑った。




