Ⅰ 針森の村 -2
森から下ったところに、食物の集積所がある。貯蔵も兼ねているので、川の傍の涼しいところに建っていた。藁で覆われた一般の住居と違い、丸太を組み合わせてしっかりと造られており、木の実などを貯蔵する貯蔵庫は、動物に荒らされないように、高床になっていた。
貯蔵庫の前には、「見開所」と呼ばれる建物があり、木枠を筵で覆って屋根にし、床には固めた土の上に筵が敷いてあった。そこにとってきた成果を並べる。川魚などは、見開所の隣に生けすがあり、そこに放す。
見開所には吟味役がおり、とってきた成果を吟味し、食物以外のものを分配する。
食物はまとめてまかない所に届けられ、まかない師が村人全員分の食事をつくるのである。
今日の吟味役は塩爺である。吟味役は年老いて生業の仕事が出来なくなった者が、交代で務める。
塩爺は元は拾い師であった。食べられる木の実や草花、キノコに詳しく、集めるのも達人だが、子どもたちにみっちり仕込む役割もある。特にきのこにはうるさい。命にかかわるから、当然といえば当然なのだが、毒キノコでも間違って持って来ようものなら、村の向こうまで聞こえるほど、叱り飛ばされた。
塩爺が今日の吟味役とは知らなかったが、蘭も凛も、きのこは採ってこなかった。獲ってきた鳥を袋から出し、筵に並べる。塩爺は一瞥し、フンと鼻を鳴らした。
「茶羽根か。赤羽根が食べたいのう」
赤羽根は確かに美味いが、滅多に出てこない。塩爺にはひねくれたところがあり、素直に褒めるということがない。何かと難癖をつける。しかし、本当に文句を言っているわけではないと蘭たちにも分かっているので、そのまま受け流し、交渉に入った。凛の脛当てが、だいぶ擦り切れているので、脛当てを継ぐ為の皮が欲しかった。
「鹿の革はないかしら。脛当てがもうボロボロになってしまって」
凛が脛当てを指さすと、塩爺は長く白い顎鬚をなでながら、少し考える素振りをした。
「春先に狩師たちが大鹿を獲ったろう。その革がそろそろ仕上がっている頃合いじゃろう。鞣し所に行ってごらん。脛当てくらいの切れ端なら、分けてもらえるじゃろう。由に話をつけておいてやろう」
由はなめし所の頭で、二人の母、柳の幼なじみである。凛と蘭とも親しい間柄であるが、彼女の生業である革を分けてもらうには、やはり吟味役の口添えがなければならなかった。
「ありがとう、塩爺。よい脛当てをつくるわ。今度赤羽根を獲ってこられるようにね」
凛が調子よく言うと、蘭はやれやれとため息をついた。もう少し落ち着きがあると、この妹は可憐な美少女に見えるのだが。
「おまえさんは、何もいらんのかね」
塩爺が蘭に聞いてきた。鳥二羽では、脛当ての革がせいぜいだろうと思っていた蘭は、虚をつかれて言葉が出てこなかった。そんな蘭を見て、塩爺は笑い、しみじみと言った。
「もう、十六になったかのう。はなまつりで女になったのか」
そうだと答えると、塩爺はうんうんと頷いた。
「柳の拾い子が大きくなったのぉ。母と父、どちらの技を学ぶのじゃ」
蘭は凛が生まれる前の年に、森に置き捨てられていたところを、柳が拾って育てた子である。蘭たちの住む村は、針森と呼ばれている森に囲まれているが、針森は都からの街道にも接しているので、赤子が捨てられるのは、珍しいことではなかった。また、赤子を見つけたものが、拾い育てることも、珍しいことではなかった。拾われ、命を取り留めた子どもは、「幸いの子」と呼ばれ、幸いを連れてくるとされていた。
蘭は軽く首を横に振った。
「まだ、決めていないわ」
村の子どもたちは、男も女も皆、狩りと採取の知識と技術を学ぶ。食料を得ることは、生きる基本だからだ。それに加え、十六歳の「はなまつり」を終えると、父か母の技能を学ぶ。
二人の母は織師、父は薬師である。凛がどちらを選ぶかで、自分はもう一方を選ぼうと思っていた。薬師は繊細さと注意深さが必要なので、凛には無理かしら。でも織師も根気のいる仕事だし。
凛のことを、自分のことより先に考えてしまうのは、幼いころからの蘭の癖のようなものだった。母からも、友人からも、蘭は妹に甘すぎるとたしなめられてきたのだが、癖なので直すことは出来なかった。自分が拾い子だからという遠慮とは違う。蘭は、一つ年下のこの妹が、心底愛しかった。血はつながっていないのに、と自分でも不思議に思う。凛が生まれた時、自分は一歳くらいだったから、もちろんその時のことは覚えていない。気が付いたら、自分の後ろにいつもひっついている子どもが、幼い蘭には一番大切なものだった。
「蘭は器用だから、どちらでもうまくやりそうよね」
姉の気持ちを知らない妹は、ああでもないこうでもないと、二つの仕事を吟味し始めた。
「お前は姉だから、最初に選ぶ権利と義務がある。よく考えるのは、悪いことではない」
蘭の思いを知っているかのように、塩爺がさらりと言った。見透かされているようで、蘭はぎくりとしたが、塩爺は皺だらけの顔をゆがめるように笑って言った。
「お前は『幸いの子』だ。どちらを選んでも、幸運を連れてくるだろうよ」