Ⅴ 神意の行方 -13
母親はいなかった。父親も……事実としては知っている。ただ、その人を父上と呼ぶのは難しかった。
「ああ、きみが王太子様?」
六歳のアランが庭で遊んでいると、いきなり腕を捉まれた。今まで腕を捉まれるなど経験がなかったから、驚いて振り返ると、青年がニコニコ笑っていた。
「僕は今からドムに行くんだ。その前に、僕の弟かもしれない子を見ておきたくてね」
そう言うと、アランの金色の髪を凝視した。
「弟?」
アランが訊くと、青年は金色の髪を触り始めた。
「そう、僕と君との違いを見ておきたかったんだ。僕と君との人生は、これから大きく違うんだろうけど、一体何が違うからそうなるのか、見たかった」
青年はまだ髪を触っている。アランは少し気味が悪くなって、身を引いた。
「ぼ、僕は、王太子だ。無礼は許さない」
青年の目が、すっと細くなった。アランの背中がゾクッと震えた。
「そのせいで、母親は絶望しながら死んで、父親は狂い死にしたんだろ」
そう言って、ペロリと舌を出す。
「ああ、父親じゃなかったから、死んじゃったんだっけ」
人を傷つけるための言葉。それは青年のねらい通り、六歳のアランに突き刺さった。
「ぼ、ぼくは……」
目からこぼれそうになる涙を必死に耐えて、アランは言った。
「太陽王になる」
青年はアランを見下ろすと、また元のニコニコ笑顔に戻った。
「じゃあ、せいぜい頑張って」
ウェンは手を振ると、アランの前から消えた。
……ああ、そうだ。
兄……かもしれないと言った男。
その男の母親は父王の妃の一人だったが、処女ではなかったと疑われた。そんな中、その妃は男子を産んだ。その子の髪は茶色だった。
この子は王の子ではないかもしれない。
そう言われた子は、臣下の養子となり、妃は不義で処刑された。
……お前みたいな髪だったら、僕は父王の息子になれた。
僕とお前は一緒だよ。母親を殺した。
奈落へと吹き降ろす風はいよいよ強くなっていく。恨みを込めて、猛々しく。
アランの手は崖から離れそうになる。ガラガラと音を立て、アランの掴んでいる突起の周りを石が転げ落ちていく。やがて、それはアランの身にも降りかかり、空いている手で顔をかばおうとした。その時掴んでいる突起が嫌な音を立てた。掴んだまま、突起が崩れる。体が、一瞬、浮く。
……落ちる。
ラン。
蘭はがばっと飛び起きた。
心臓が早鐘を打っている。
アランが落ちてしまった。一体何が起こったのか。
とにかく、アランのところに行こう。
蘭は急いで身支度を始めた。気ばかりがあせる。最近、王に張りつくのに忙しくて、アランの様子を気にする暇がなかった。夢は見ていたが、危険な兆候がなかったので、油断していたのだ。
コルもいないのに。
蘭は動きを止めて、唇を噛んだ。
今までギリギリで保っていたようなものだ、落ちてしまったらどうなるのだろう。
頭を振って、息を大きく吐く。今考えても仕方がない。幸い、王の方は落ち着いている。
服を着替え、顔を洗った時に、部屋の扉がノックされた。
アランに何か?
蘭は急いで扉を開けた。
扉の向こうにいたのは、主治医付きの従者だった。寝ているとばかり思っていた蘭が、身支度を整えて立っていたので、驚いている。
気を取り直して、顔を引き締めると、蘭に耳を寄せるように手招きする。
「ウェン様が、陛下の部屋に入られました。至急、お越しください」
こんな早朝に?
蘭は眉を顰めた。何か企んでいる?
アランのことも気になる。
しかし、それをこの者に言うこともできない。
「分かりました。すぐ参ります」
蘭は薬師道具一式を持つと、太陽王の部屋へ向かった。




