Ⅴ 神意の行方 -12
「何にせよ、雪が降りだす前に終わって良かった」
国の北に位置するドムは、冬は雪が多い。雪は道も塞いでくれるが、作業もできなくなる。雪解けを狙って攻め込まれることを懸念していたので、何としても本格的な冬の到来の前に、カエルムの道は塞ぎ終えてしまいたかったのだ。
兵士たちと祝杯を上げる上司を見て、信は深々とため息をついた。
誰のせいだよ。
ナナと話をして、コルもやっと殻から出て来られたようだ。コルが指揮を取り出して、現場の士気も上がってきた。ナナは町の者を説得してくれて、有志が作業を手伝ってくれた。
おかげで何とか一ヶ月ほどで終わり、雪で帰り道がおぼつかなくなる前に、都に戻ることが出来そうだった。
「すまなかったな」
皆が浮かれ騒ぐ間を縫って、隅っこでちびちび呑んでいた信の元に、コルが酒を持ってきた。空になった信のコップにジーニを注ぐと、乾杯しようと促してきた。
「ナナに訊いたのだが、お前、俺たちに慰めの言葉を送ってくれたんだってな」
……あんたたちはまだ、七歳のガキだった。何もできなかったよ。
コルがニヤニヤしながら、信の言葉を待っている。
「同情しただけですよ」
信はぶっきらぼうに言った。コルはおかしくてたまらないと言った風に、ふきだした。
「ラン以外にも優しくできるんだな」
「……今回のあなたの体たらくを報告したら、あなたは降格になりますかね」
厭味ったらしく、言ってみる。
コルは何食わぬ顔で返した。
「そうだな。その間のお前の活躍ぶりも報告したら、お前が近衛兵警備隊長に昇進するかもしれん」
そんな、面倒くさい。
信は黙り込んだ。そんな信の頭を、コルはガシガシと撫でまわした。
「……もう、俺二十一ですよ」
うっとおしくて、コルの手を払う。
「本当に助かったんだ。感謝してる」
コルが改まってシンに頭を下げた。
幸い、周りは飲んだくれていて、隊長が頭を下げたことに気が付かなかった。
「……しっかりして下さいね。僕にとばっちりが来るので」
「未来の隊長殿は優秀だからな」
「……」
「明日、都に戻る」
コルはそう言って、酔っ払って隊長を呼び立てている部下のところに、戻っていった。
信はほっと息をついた。
やっと蘭のところに帰れる。
久しぶりにラシャが飲みたいと思った。
「ランが父上をみているらしいな」
カエルムの道の封鎖工事が終わったとの報告をしていたウェンは、アランがほっとした様子で言うのを白けた気持ちで聞いていた。
きっと、気がかりだったガザからの侵入口が一つ閉じたことと、自分の報告だけでは不安だった王のことを蘭に任せることができて、安心したのだろう。
アランは太陽王となるであろう身を、一つも疑っていない。
母が死んでしまったことも、兄王が死んでしまったことも、自分が太陽王の印である金色の髪をもって生まれてきたせいだと自分を責めているが、自分の存在は一つも疑っていない。
そしてその責務を健気に全うしようとしている。
それが自分の存在意義だから。
……結構なことだ。
ウェンは内心、鼻で嗤った。
「ええ、それにしても彼女は何者です。薬の知識もあるし、手当もうまい。貴方様の命かと思ったら、后様の女官らしいですね」
あれから何度か王の居室を訪れたが、いつも蘭がいた。恐らく自分を見張っているのだろう。こちらも嫌がらせで、ねちねちと傍にいた。ウェンがあれこれ聞いても、蘭はほとんど答えない。ドムにいたのではないかと、鎌をかけてみたが、一瞥されただけだった。もっとも、ドムに関しては、ウェンもばれたら困るので、あまり突っ込んで訊くことは出来なかったのだが。
その間も、王の傷は癒えていった。蘭の手当ては的確だったらしい。太陽王も今では蘭にべったりで、ウェンが来ても、気にもしない。
忌々しい。
ウェンはアランの顔を見た。どうやって答えようかと、思案している。
アランは王の打ち身やケガのことは、知らないようだった。では、蘭は本当に夜の君が送り込んできたのかもしれない。
あのクソばばあ。
ウェンは后の蛇のような目を思い出した。その記憶は遠い昔だ。母親が死んだ後、呼び出された時の、汚いものでも見るような下げずんだ目。
「父親が薬師だったらしい。それでランも詳しいのだろう」
アランは答え、書類に目を落とした。
「蘭は」
ウェンは急に狂暴な気持ちになった。
この必死に清廉な心で王になろうとしている少年を、汚したい。
ウェンが蘭を蘭と呼んだのを訊いて、アランは目を上げた。
「そうだ、ウェン、なぜランの正しい名を呼べる?」
純粋な興味だ。そして、純粋にうらやましく思っていることが、伝わってくる。
「呼びたいですか?」
「え?」
「蘭と呼びたいんでしょ?」
ウェンは冷たく言った。急に口調が変わったウェンに、アランは戸惑っていた。
「でも、蘭は穢れた女ですよ。知ってるでしょ?」
ウェンはニヤリと笑った。
「貴方が交わってはいけない女だ」
ウェンは机の上の書類を手で払った。書類がバサバサと宙を舞う。
「僕の母親と同じにね」
書類が散乱した机の上に乗り、アランの金色に輝く髪を掴んだ。アランは呆気に取られて、声も出ないようだった。
ああ、愉快だ。
「僕がお前みたいな髪だったら、僕はお前になれたのにな」
掴んだ髪を引っ張り、引き寄せる。アランの顔が痛みで歪んだ。
「僕たちは同じだよ。髪の色のせいで、母親を殺した」
ウェンはアランの髪を離すと、机から降りた。アランは椅子にどさりと落ちた。
あははははは
ウェンの笑い声が部屋にこだました。
「蘭の名前は教えてあげない。貴方は呼んではいけないよ」
ウェンはそう言い捨てて部屋を出て行った。
その後ろ姿を見て、アランは十年前ウェンに会ったことを、やっと思い出した。




