Ⅴ 神意の行方 -10
ウェンはアランの幼いころを知っているようだったが、アランは思い出せなかった。
カロイの馘、そしてウェンの内大臣登用は、太陽王から直接命じられただけだと聞いて、アランは不審なものを感じたが、太陽王直筆の証書もきちんとあったので、異を唱えることは出来なかった。
この国は太陽神、ひいては太陽王の国だ。
カロイの次官を務めていた兄を差し置いて、最近まで姿も見なかったウェンがなぜ登用されたのか、謎であったが、不思議なことにカロイからもサムからも、不満は聞こえてこなかった。
太陽王に気に入られて、よく召されているので、その辺が関係しているのかもしれない。
実際、ウェンはよくやっている。
ただ、気になる点は多々あるが。
「ウェン、父上の容体はどうだ?わたしも見舞いに行きたいのだが」
四子宮まで来て、報告を済ませたウェンに、アランは尋ねてみた。
ウェンは几帳面に、アランの部屋まで業務の報告に来る。ただ、太陽王の様子は、こちらから訊かない限り、何も言わない。太陽王に頻繁に召されているはずなのにだ。
こちらから訊いたとしても、いつも答えは一緒だった。
「少しずつですが、回復しておられます。ただ、まだ揺り戻しも激しく、会われるのはもう少し待った方が良いと思います」
ドムの件で謁見したときも、もうだいぶ薬に侵されていると思った。あそこから回復させるのは、相当時間がかかるだろう。それは分かる。ただそれがウェンの口からしか分からないのは、少し気持ち悪かった。
「おや、また説教されにきたのか?」
夜の君の蛇のような目が、嬉しそうに細められた。蘭はぞくりと肌が粟立つのを感じながら、いえ、と首を横に振った。
「こちらに私の仕事がないかと思いまして」
いつもは見つからないようにこそこそしているくせに、いけしゃあしゃあとそう言う蘭に、夜の君は一瞬真顔になり、その後声を上げて笑った。女官たちがぎょっとする。
「これはいつになく愁傷じゃの」
じぃっと蘭の目を見つめる。蘭は正面から后の凝視を受け止めた。やがて后はおもむろに立ち上がった。
「ちょうどある。私室で話そう、付いて参れ」
二人の後には、カナエも付いて来なかった。
后は先に部屋に入り、蘭も招き入れると、自ら鍵をかけた。
后の私室は太陽王の正妃にしては、こじんまりとしていた。机と寝台が一台ずつ。家具の良し悪しは蘭には分からないが、そんな蘭から見ても、高級なものではなさそうだった。
「それは実家から持って来たんじゃよ」
蘭の目線に気が付いて、夜の君が言う。
「私の故郷は美しいが、貧しい土地柄でね、領主の館も、領民の家もそんなに変わらなかった。ただ血だけは確かでね、王家の傍流で、高貴な血筋だった。それで正妃にと乞われたのだが、持参したのが机と寝台、あとカナエだけだったのだよ」
「女官長ですか?」
「彼女は私の乳姉妹だ」
そう言って、后は寝台に腰を下ろした。そうされると、蘭が見下ろす形になってしまう。蘭が跪こうとすると、后は自分の横に座るよう促した。
少し迷ったが、蘭は后の隣に腰を下ろした。
后はニヤリと笑うと、蘭の方に身を乗り出し、蘭の唇に自分の唇を押し付けた。
蘭は驚いて目を見開き、思わず夜の君を突き飛ばした。后はあっさり寝台に倒れ込むと、肩を震わせて笑っている。
「そして、生涯の伴侶でもある」
笑いながら、后は言った。まだ仰向けのまま、両手を口元にあて、クックと笑い続けている。戸惑う蘭がおかしくてたまらないようだ。
「カナエだよ。カナエはわたしの愛人なんだ……わたしは女しか愛せないんだよ」
「え、でも」
夜の君は兄王を生んでいる。
蘭の疑問は予想されていた。夜の君は笑うと、天井を見上げたまま話し始めた。
「太陽王の正妃として入内する以上、何をしなくてはならないか、わたしにも十分分かっていた。例えそれがどんなに嫌なことでも、心に反していることでも、覚悟はできていた。実際、陛下とは閨も共にしたし、皇子は私が産んだ。男が愛せなくても、子どもは愛おしかった。自分はうまく振舞えていると思っていた。わたしの秘密はわたしとカナエだけで、死ぬまで隠しておけると思っていた」
一気にそこまで言って、后は起き上がった。乱れた髪に手櫛を通す。
「皇子が生まれて、陛下が見に来られた時、陛下はとても喜んでくれた。髪は金色ではなかったのに、とても愛おしそうに皇子を眺められると、わたしの耳元でこうおっしゃった」
「つらかったな。もうわたしと閨を共にしなくて良いぞ」
夜の君は遠い昔に思いをはせているようだった。やがて目線が蘭に戻ってきた。
「陛下は気づいておられた。その上で、わたしを責めることもなく、気遣って下さった」
「……なぜそのような話をわたしに?」
太陽王が許してくれたからといって、公にできる秘密ではない。変わらず、夜の君とカナエが死ぬまで守らなければならない秘密だ。
「わたしは陛下に恩がある。今、陛下は壊されそうになっている……陛下を助けたい」
「壊されそうに」
蘭は繰り返した。王がカエルム中毒になりかけていたことは知っている。しかし、壊れそうではなく、壊されそうにと后は言った。
誰に?
「ウェンじゃよ」
アランの部屋で会った、捉えがたい人物。そして心を抑えつけられる威圧的な声音。
「あの人はいったい……」
「あれも、アウローラと一緒じゃ」
「アラン様と?」
聞き返したが、夜の君は返事をしなかった。
寝台から立ち上がると、蘭に命じた。
「陛下の傍にいて、ウェンを見張れ」
「陛下の傍って、どうやって」
太陽王は今、奥の部屋に籠りきりだと聞いている。
「主治医の助手として付ける。主治医は私と通じている。話は付けてある。後はカナエに訊け」
后はもう扉に手をかけていた。取っ手を引こうとして、考え直したように、振り返って蘭を見た。
「頼んだ」
それだけ言うと、蘭を残して、外に出ていった。代わりにカナエが部屋に入ってきた。




